2018年08月01日

<月間マスコミ評・新聞>オウム報道「闇」の強調には疑問=六光路弦

 一連のオウム真理教事件で死刑が確定していた教団幹部13人のうち、松本智津夫(教祖名・麻原彰晃)ら7人の刑が7月6日、執行された。教祖の公判は1審で終結し、無差別テロを起こした理由や動機を自ら法廷で語ることはなかった。だからだろう、新聞各紙の報道には多かれ少なかれ「闇」や「謎」を強調するトーンが目についた。7日付朝刊で東京新聞は1面トップに「オウム真相 闇残し」と取り、朝日新聞は社説で「根源の疑問解けぬまま」と掲げる、といった具合だ。
 
 本当にそうだろうか。教祖は口を閉ざしたかもしれないが、教団幹部の中には洗脳が解け、悔悟の念とともに知りうる限りのことを話した者も少なくない。「闇」や「謎」と呼ぶほどのものは残っていないとも思える。
 
 地下鉄サリン事件からでも23年もの時間が経ち、直接事件を知らない世代が増えている。「闇」ばかりが強調されると、いずれは「事件は国家権力による謀略だった」などという陰謀論が広まらないとも限らない。メディアは今後、何が分かっていないかを強調するよりも、分かっていることを語り継ぎ、再発防止につなげるべきだ。
 
 「闇の中」なのは大量処刑の方だ。13人のうちなぜこの7人なのか、なぜこの時期なのか。記者会見した法相は回答を拒否。国民に知らせる必要はないと言わんばかりだ。死刑は究極の国家の強権発動であることを見せつけた。執行の内幕を暴くは報道の課題だ。
 
 各紙とも事件を振りかえる特集記事も掲載したが、捜査のありようを再検証する視点が乏しいように感じた。地下鉄サリン事件の発生で、後手に回った警察当局の捜査は「オウム狩り」とも呼ぶべき苛烈さだった。教団信者なら、マンション駐車場に車を止めれば「住居侵入」、カッターナイフ所持なら「銃刀法違反」で現行犯逮捕。平時なら批判を免れない手法に、新聞も社会も表立って異議を唱えなかった。
 
 今日、「オウム真理教」の代わりに「工作員」でも何でもいい。「社会が攻撃を受ける」と喧伝されれば、同じように人権侵害が起きないだろうか。教祖らの死刑執行は、当時の自らの報道も含めて総括を試みるいい機会だったが、そうした記事が見受けられなかったのは残念だ。次の機会に期待したい。   
posted by JCJ at 21:19 | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする