2019年01月31日

【シンポジウム】 戦場取材と自己責任論 シリア拘束 安田純平さん語る=編集部

 髭をたくわえ、黒いシャツを着た痩身の男性が、ごく自然体でむしろ飄々とした感じで壇上に上がった。安田純平さん。拘束されていたシリアで3年4カ月ぶりに解放され、去年の10月に帰国したフリージャーナリストだ。      

安田さんを招いて、戦場取材の意義と「自己責任」論について考えるシンポジウムが、去年12月に、東京で開かれた。司会を務めた月刊「創」編集長の篠田博之さんは「ジャーナリストが戦場に行く意義が伝われば、極めて日本的な、自己責任論など出てこないのではないか」と議論の口火を切った。

拘束者いまだ不明

安田さんはまず、なぜ戦場に行くのかについて「対テロ戦争では『テロリスト』と人間を記号にあてはめる。権力やメディアにテロリストと呼ばれた時点で人権がゼロになってしまう。しかしそう呼ばれた人たちは生身の人間であり、それぞれの人生があることを現場で見ておきたかった」と淡々とした口調で語った。また、単独でシリアへ入ったことへの批判や自己責任論に対しては「今になっても誰に拘束されたのか、自分でも分かっていない。批判されるのはかまわないが、事実関係をきちんと知ったうえでしてほしい。ジャーナリズムは事実を明らかにするもの、事実に基づくことの重要性が共有できなければ話ができない」と、この時の口調は強く感じられた。

シンポでは戦地での取材にあたってきたフリーやメディアに属するジャーナリストたちも登場し、各人こう指摘した。

TVキャスターの金平茂紀さんは「政府に従わないなら叩いても当然、今の政権を支持する人たちが声高に叫ぶ、同調圧力をかけてはじき出していこうという風潮だ」と、自己責任論の声が大きくなる背景を分析した。中東ジャーナリストの川上泰徳さんは「なぜ中東に行くのか、戦争が続いているからだ。戦争がどういうものか、想像するのではなく行って、調べて、伝えるのがジャーナリスト。しかし自己責任論が広がると、メディアは委縮してしまう」と指摘した。なぜ危険を冒してまで戦場へ行くのか?この問いにアジアプレスの野中章弘さんは「戦争は我々の世界で起きている最も不条理なことで、そこにジャーナリストが取材する価値がある」と答えた。

先行きはまだ未定

 シンポの中で浮かび上がってきたのは、今の日本で広がっている、外の世界に目を向けない排外主義だ。そこには中東で起きていることがいつ日本で起きるかわからない、という想像力の欠如がある。さらに、若い人たちの多くが、中東だけでなく沖縄や福島で起きていることが全部、自分の外部にあることとして、ジャーナリストと若い人たちとの間で対話が成立しない状況にあるという指摘もあった。

こうした排外主義にどう向き合うのか?一つの問題提起が、次の問題を連鎖的に引き寄せるという、会場の参加者にとっても宿題を与えられた形だ。

それは私たちの想像を絶するような体験をした安田さんが、私たちに気づかせてくれた問いでもあるのだろう。「これからどうするのですか?」―会場からの問いに安田さんは、「これからどこへ行くのか、事前には言えませんし、まだ決めていません」と穏やかな表情で答えていた。

(編集部)

JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2019年1月25日号
posted by JCJ at 14:59 | Editorial&Column | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【映画の鏡】 穏やかな家庭で銃撃事件 『ナポリの隣人』  駆けつける父親と娘の葛藤=今井 潤

高齢化社会は世界共通で、映画も「ガンジスに還る」(インド)、「ボケますから、よろしく」(日本)と老人問題を扱った作品が増えている。

この作品もナポリのアパートにひとり住む老弁護士のロレンツオが主人公だ。今は引退し、妻は数年前に亡くなり、法廷通訳をしているシングルマザーの娘とクラブ経営の息子がいるが、関係は良くない。娘は父の女性関係を許せずに来ている。

 そんなある日、アパートの隣にミケーラと夫のファビオと二人の子供が越してきて、バルコニーでつながっているので、隣人の付き合いが始まる。食事に招かれたロレンツオは、まるで本物のお爺ちゃんのように二人の子供と遊び、ミケーラとファビオと楽しく食事をし、おだやかな時間を過ごす。束の間の疑似家族のようだ。

 しかし、事件は起きる。ある雨の夜、ファビオがミケーラと二人の子供を撃ち、最後に自分も自殺したのだった。ロレンツオは重体で病院へ運ばれたミケーラのもとに駆け付ける。ミケーラの父親のふりをして、病棟に入り込んだことがわかり、息子はあきれて帰るが、娘は父親を見つめていた。ミケーラのそばで語り続けるロレンツオだったが、通報されてしまう。ロレンツオと実の娘はわかりあえることが出来るのか?

 映画の中盤で、ロレンツオとファビオがそれぞれナポリの古い石壁と石畳の路地を歩くシーンがカットバックされるが、二人の孤独が象徴化されていて胸に響いてくる。21世紀のネオリアリズムという印象が強く漂っている。

(公開は2月9日(土)から神田・岩波ホール)

今井 潤

JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2019年1月25日号
posted by JCJ at 12:52 | Editorial&Column | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする