2019年04月04日

【リレー時評】沖縄めぐる3つの報道課題=松元 剛(JCJ沖縄世話人)

 米軍の辺野古新基地建設に向けた埋め立ての賛否を問う県民投票は、住民投票の有効性の指標ともされる投票率50%を超え、反対が7割超となった。昨年9月の県知事選での玉城デニー知事の得票を約4万票も上回った。
 争点が新基地の是非に絞り込まれた上、全市町村実施にこぎ着けた。圧倒的な反対の民意の歴史的意義は重い。

 3月になって、岩屋毅防衛相は臆面もなく、県民投票の結果にかかわらず工事を継続すると決めていたと明らかにした。了承したのは安倍晋三首相だ。首相は昨年9月の県知事選と同様に、「結果を真摯に受け止める」と答弁したが、うわべだけの空虚さが際立つ。
 「国防は国の専管事項」と言い張り、沖縄に基地を押し付け続ける姿勢は、先の大戦から続く「沖縄切り捨て」の差別的構造の温存に映る。
 国会審議で野党側がこうした安倍政権の姿勢を追及しているが、「沖縄に寄り添う」「真摯に―」と言いながら民意無視を決め込む政権の姿勢は、メディア側が主体的に追及すべきではないか。

 一方、宮古、八重山への自衛隊基地新設も根強い反対を軽んじて進んでいる。沖縄戦は、国体護持、本土防衛のための「捨て石作戦」だった。多くの県民を軍と共に行動するよう仕向け、軍民混在の凄惨な戦場で死に追いやった。沖縄戦の教訓は、「軍隊は住民を守らない」である。
 安全保障問題で、頻繁に用いられる「島嶼防衛」をかいつまんで説明すれば、こうなる。島の戦闘は守備より攻撃が有利。攻め込まれたら、敵にいったん占領させた上で、逆上陸して島を奪い返す─。自衛隊が米軍を巻き込んで繰り返す「離島奪還」という奇妙な名称の訓練の核心である。
 間違いなく巻き込まれる住民の安全は二の次だ。自衛隊内の沖縄戦研究の蓄積を踏まえ、「第二の沖縄戦」が想定されている。「島嶼防衛」の危うさに対するメディアの検証は鈍いままではないか。

 平成の世が終わりを告げる4月末までの期間は、昭和天皇によって沖縄が切り捨てられた史実を検証する最後の機会だろう。
 1945年2月、近衛文麿元首相から早期和平を進言された、昭和天皇は「今一度戦果を挙げなければ実現は困難」と拒み、沖縄戦は不可避となった。47年9月、昭和天皇は米側にメッセージを送り「25年から50年、あるいはそれ以上」沖縄を米国に差し出す方針を示した。いわゆる天皇メッセージである。
 「象徴天皇」でありながら、昭和天皇がなぜ外交に深く関与し、沖縄の命運を暗転させた重大な方針を示したのか。「昭和天皇実録」などでもその経緯は未解明だ。沖縄に関する昭和天皇の「戦争責任」と「戦後責任」は明白だ。今に続く沖縄の基地過重負担に天皇制が及ぼした影響をあらためて検証し、その史実を後世にしっかり伝えることもメディアの役割ではないだろうか。それはもちろん、沖縄のメディアにも課せられている。
posted by JCJ at 09:41 | 政治・国際情勢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする