2019年08月01日

【メディアウオッチ】 韓国民主化運動支えた 伝説のジャーナリスト 札幌で植村裁判を支援 「言論弾圧に声あげねば」=林秀起

軍事独裁政権と闘った韓国の伝説的ジャーナリスト任在慶(イム・ジェギョン)さん、李富栄(イ・ブヨン)さんが7月3日、北海道大学で講演した(JCJ北海道支部など主催)。2人は韓国で植村隆さんを支援する団体を立ち上げ、札幌高裁で開かれた植村裁判も傍聴した。講演での両氏の発言を紹介する。

「忍耐は美徳」ではない

任在慶さんは、1988年に市民の出資で創刊されたハンギョレ新聞の初代副社長。韓国では「ムチで打たれても痛いと言えず、腹が空いても言えない時代が続いてきた。圧力が強ければ反発も強まる。(ハンギョレ新聞)創刊は、言論弾圧に対する人々の強い反発の結果だった」と話す。

 「『忍耐は美徳だ』というのはウソだ」と強調した。

 同国では、かつて李承晩(イ・スンマン)大統領を退陣させた民主化運動のなかで誕生した新聞が、40日で廃刊に追い込まれ、創設者は北のスパイとして処刑された。そんな国柄で、生まれたてのハンギョレ新聞を守ったのは読者、市民、広告主たちだった。創刊時2万7千人の株主は今6万9千人。発行部数は50万部という。

 「株主は一度も配当を受けていない。それはハンギョレ新聞のあり方に納得してくれているからだと思う」

 時代の大きな流れ、運動の方向が味方したともいう。民主化闘争で軍事政権が終結に向かい、経済的平等への志向が強まった「時の運」が、ハンギョレ新聞を生んだと振り返る。

 「時の運は、偶然には生まれてこない。日本の言論の自由は、憲法9条を変えようとしている勢力との戦いに左右される。国の主権は、君主や大統領にあるのではない。人々が『国民主権』をどれだけ意識しているかにかかっている」「言論の自由が保障されている日本で、人々は言うべきことを言っているのだろうか。慰安婦報道で裁判を闘っている植村隆さんのように、不当な攻撃には声をあげなければならない」とも指摘した。

弱まる言論の発言力

李富栄さんは元東亜日報記者。44年前、朴正熙(パク・チョンヒ)政権の言論検閲に抗し、解雇され投獄された。

「特派員をはじめ日本の人々は、私たちの闘いをずっと支援してくれた。だから慰安婦報道で植村隆さんが攻撃されているのは、信じ難い」

 1965年の日韓条約反対の学生運動にかかわった。「条約は朝鮮併合、植民地支配の反省もないところで結ばれた。経済協力金は『独立祝賀金』とされた。河野談話や数々の首相談話、平成天皇の『痛惜の念』表明は、植民地化への謝罪だが、安倍政権はすべて覆した」

 東亜日報の約200人が、自由な言論の実施を宣言して朴正煕の検閲に対抗した。全国35社の言論人が同調した。新聞広告を出させない圧力で白紙になったスペースに、市民の激励広告が寄せられた。しかし会社側は圧力に屈し、朝鮮日報と合わせ166人を解雇した。

 「軍事独裁政権を終わらせないと記者には戻れない。民主化運動の全国組織を作る一方、金大中(キム・デジュン)、金泳三(キム・ヨンサム)ら野党指導者などとの橋渡し役も務めた」。大統領の直接選挙制を目指す改憲運動で、4回目の逮捕。度重なる刑務所暮らしで親しくなった保安係長から、ソウル大生が水攻めの拷問で死亡したこと、犯人とされる捜査官2人がここにいるが真犯人3人は外にいることを知った。

 「保安係長に、私との面談記録は廃棄しろと伝えた。私が何をしようとしているのか彼は察したと思うが、黙って見過ごしてくれた」。事件の真相は外部の協力者を通じて暴露され、大統領直選制に結び付いた。「私は記者の使命を果たせて満足している」

 「政治は残酷なものだ。議席を得るようになった政治家は『在野の者は口を出すな』という態度に変わっていく。復職の望みを断たれた記者たちは『自分たちで新聞を作ろう』と思い立った。それがハンギョレ新聞となって実を結んだ」

 新聞などのメディアは以後急増したが、大資本の影響力も強まり、保守化が進んでいるという。「大新聞が変節、SNSの発達で、正当な言論の発言力が弱まっている」のが今の課題という。

林 秀起(北海道支部)

JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2019年7月25日号
posted by JCJ at 09:55 | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする