2020年03月03日

第5回日韓学生フォーラムin九州 25人筑豊・水俣を訪ねた 両国の歴史を知る大切さ学ぶ=古川英一

 「九州と朝鮮半島は近い、お互いの歴史を知ることが理解の一歩です。そしてジャーナリストの仕事は、歴史を記録していくことです」―日本と韓国のジャーアリストを目指す学生たちを前に、九州で映像ジャーナリストとして活動を続ける西嶋真司さんは力強く訴えた。
 今回で5回目、3年目になる日韓学生フォーラムは1月末から5日間、九州の筑豊・水俣を巡った。
 九州には炭鉱の人々、朝鮮半島から来て働いた人々、水俣病で苦しむ人々の姿を追い続けた上野英信、林えいだい、石牟礼道子といった「記録作家」がいた。その人たちの足跡も辿る企画だ。日韓合わせて25人の学生が参加した。

アリラン峠
 ぞろぞろと歩く若者たちの姿に犬を連れて散歩をしていた高齢の女性が「どちらへ行くのですか」と。「アリラン峠へ、ご存知ですか」と問い返すと、「いいえ」・・・地元の人ですらほとんど知らない、もちろん地図にさえないアリラン峠が、林えいだいによれば筑豊にあった。 
 その一つを西嶋さんの案内で訪ねた。舗装された道の横、人家のない細い道を5分ほど上っていくと、少し広い平地に出た。そこにはかって炭鉱で働いた朝鮮半島の人たちが寄り添うようにして暮らしていた家々があったという。いまは草生い茂る場所に、韓国の女子学生がマッコリを撒き、全員で静かに手を合わせた。

不知火の海
 真冬だというのに、水俣の海、不知火海は青く、そして穏やかだ。水俣病が大きな問題になった当時も、今のように海はきれいだったという。
 胎児性水俣病の患者として語り部の活動を続けている男性は「水俣病のように危険だとわかっていたのに放置していた国の責任は重い。3・11後の福島原発の問題も同じこと、だからこそ原発を止めていくことに精一杯努めていきたい」と語った。男性の視線は水俣から広がっていく。
 記者として水俣病を長年取材してきた熊本日日新聞の高峰武論説顧問は「水俣は訪れた人の想像力を試している。きれいな海を見て、ではそこで何を見たのか。自分たちが帰った場で、水俣を一つの座標軸として、スタートの場としてほしい」と、語りかけた。
 そしてジャーナリストとして、自立と自律の2つの「ジリツ」を持つこと。さらに物事を捉えるにあたり、楕円のように2つの中心を持つ「楕円の思想」が必要なことを将来のジャーナリストたちへアドバイスした。 

思いを語る
 フォーラムでは毎回最終日に、学生たちが一番印象に残ったことを、自分が撮った写真と合わせて発表し合う。連日連夜明け方まで語り合ってきた、それぞれの集大成の時間だ。
 今年の春、地方紙の記者になる女子学生は「自分の県の歴史をもっと勉強しなければ。フタをするだけでは差別はなくならない。そこに住む人たちの思いを汲み取れる記者になりたい」と決意を述べた。
 韓国から参加し、兵役につくため一足早く帰国した男子学生は「日本の記者が韓国の歴史を、韓国の記者が日本の歴史を学ぶことは大切だと思います。
 そして植民地時代の歴史は日韓が共有できる歴史、日本の地にある韓国人の歴史です。ジャーナリストとして伝えていくべきことだと思います」とメッセージを寄せた。
筑豊と水俣、日韓の学生たちの「旅」はここからまた始まったばかりだ。
古川英一
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年2月25日号
posted by JCJ at 17:39 | 政治・国際情勢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする