沖縄が「慰霊の島」となる六月。今年は沖縄戦終結から75年の節目を迎える。例年、6月23日(沖縄慰霊の日)に平和祈念公園内の「平和の礎」に隣接する広場で開催されてきた沖縄全戦没者追悼式の会場を、新型コロナウイルス感染拡大防止のため規模縮小し、同公園内の国立沖縄戦没者墓苑に変更すると、玉城デニー知事が発表(5月15日)したことが大きな波紋を呼んだ。
規模縮小に伴い、安倍晋三首相ら政府関係者を招待しないことを県民は歓迎する一方、国の施設で式典を行うことへの違和感・危機感が広がった。沖縄戦研究者や遺族らをはじめとする「沖縄全戦没者追悼式のあり方を考える県民の会」は、「住民目線から殉国の思想へと追悼式の意味が大きく変わってしまう」と、従来の式典広場での開催及び可能な限りの遺族・県民の参加を知事に直接要請した。
地元2紙はともに文化欄や社会面で連続企画を組み、論稿やインタビューで多角的に問題提起。遺族の一人として県民の会共同代表を務める知念ウシさんは「人々の素直で真摯な祈りが、植民地主義の秩序に回収されてしまう不安」に言及した(6月10日付「沖縄タイムス」)。
これら県民の意向を受けて玉城知事は再検討を行い、例年通り式典広場での開催を発表(12日)したが、一連の事態は図らずも、追悼のあり方や沖縄戦継承について、改めて考えさせるものとなった。
国立墓苑での開催について、知事の国への忖度があったとは思わない。むしろ、彼が(知事でさえ)「勉強不足だった」と正直に言ったことが、沖縄社会の現実を浮き彫りにしたのではないか。「風化」が指摘されて久しい沖縄戦をどう次世代に継承し、沖縄戦から続く戦後史をどう捉えるか。それは、国の意向や強権に傾きがちな「コロナの時代」、私たちが「いつか来た道」と同じ過ちを犯さないための貴重な材料を与えてくれたと思う。
浦島悦子
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2020年6月25日号