思えば筆者が矢口高雄さんと出会ったのは、今から27年前になるだろうか。『ボクの学校は山と川』(白水社)を文庫に収めたくて、東京目黒区自由が丘のご自宅をお訪ねし、2階の仕事場で懸命に矢口さんを口説いたときを思い出す。
◆その後、矢口さんや白水社の承諾を得て、実際に文庫化する作業に入り、打ち合わせを重ねていくうちに、文字だけでは飽き足らなくなった。
思い切って提案した。矢口さんの漫画から本文の叙述にあったカットを、できるだけ多く取り入れたいと。矢口さんは頷かれ、文字叙述の魅力を倍加させることができた。1993年10月15日に刊行、今も版を重ねている。
◆続けて『ボクの手塚治虫』『ボクの先生は山と川』、さらには『蛍雪時代─ボクの中学生日記』(全5巻)を文庫に収載するなど、担当して10年近く「矢口ワールド」に浸ることができた。
とりわけ矢口さんが、生まれ故郷の秋田・西成瀬村(現横手市)の山村や自然の厳しさを語るエピソード話は今でも耳に残る。また人の営みや山と川の姿を精彩なタッチで描く巧みさに驚かされてきた。
それだけではない。いつも笑顔で人と接し、談論風発、愉快な仲間が良く集まる。
◆毎年7月20日前後の休日には、矢口さんの自宅の庭を会場にして「鮎祭り」が開催される。矢口さんが釣った天然鮎が庭の炭火炉で焼かれ、かぶりつきながら生ビールを飲む。里中満智子さんを始め数十人が、入れ代わり立ち代わり集まり、鮎に食いつき、飲む、喋る。
◆つまみにはナスの一夜漬けが人気だった。秋田では「なすがっこ」と呼ばれる。一口大で濃い紫色をした丸ナスは皮が薄く、漬けるとパリッと歯触りが良い。
横手から送ってくる定番の一品が、砕氷を敷いた大皿に盛られている。ついつい手が伸びる、あの味は忘れられない。
ページを開けば、<秋の章>─木の実落つ夜来の風や里の秋─と詠い、真っ赤に色づいたモミジ、夕日に映えて躍る鮎、ススキを背にして吊り竿を操る三平の姿が、色鮮やかに描かれ目の前に迫ってくる。
そして今、矢口さんが創設に尽力した秋田県の横手市増田まんが美術館では、来年1月11日まで矢口さんの画業50周年を記念した企画展が開かれている。(2020/11/29)