2021年09月18日

【メディア時評】「9・11から20年」報道にみる大いなる欠落=梅田正己(歴史研究者)

 9・11の惨劇から20周年を迎え、テレビではツインタワーが崩れ落ち、灰白色の噴煙が空をおおう光景が繰り返し放映された。
 日本人24名を含め、約3千人が犠牲となった。遺族の悲しみは20年たつとも消えることはない。その悲哀もメディアで伝えられた。
 また「テロとの戦い」を呼号して米国の戦争史上最長の戦争に突入し、2兆ドルの戦費を投じ、2400人の米兵の命を失いながら、米国が事実上敗退せざるを得なかった事情についてもいろいろと論じられた。しかし、当然論じられるべくして論じられなかった重要な問題が一つある、と私は思う。それは何か?
あのような史上空前の大量破壊・殺戮行為が、どうして引き起こされたのか、という問題である。およそ人間社会で惹起する事態には、必ず理由がある。どんな事象にも、原因があり、プロセスがあって結果が生じるのである。
 ところが9・11については、その「結果」についてはさまざまに報じられ、論じられたが、あのような恐るべき事態がいかなる「原因」によって引き起こされたのか、については殆んど論じられなかったのではないか。
あれほどの事件である。当然、重大な原因と長期にわたるプロセスがあったはずだ。
 
 発端は「湾岸戦争」

 原因の発端は、1990年8月2日、イラクのサダム・フセインが突如、小国クウェートに侵攻して併合を宣言したことから始まった「湾岸危機」にあると私は考える。
 この報を受け直ちに行動を開始したのが、父ブッシュ米大統領だった。空母をアラビア海に向かわせるとともに、チェイニー国防長官をサウジアラビアに派遣、同国にイラク攻撃のための軍事基地の設置を要請(3日がかりの交渉で説き伏せる)、あわせて国連安保理でのイラク制裁の決議を呼びかける。
 米国の強力な工作によって、安保理は8月には限定的だった武力行使容認を、11月には限定なしで決議する。この間、ペルシャ湾岸には米、英軍をはじめ各国の軍が集結する。多国籍軍と呼んだ。
 明けて91年1月、「湾岸危機」は「湾岸戦争」へと転換する。以後6週間、ハイテク兵器とともに連日、数百の戦闘爆撃機がイラク上空へ飛び、空爆を続けた。
 こうして抵抗力を奪われたイラクに、2月、地上部隊が陸続と侵攻、フセインはわずか3日で降伏、以後、最大の産油地帯であるアラブの地に米軍部隊が基地を設けて駐留、世界の産業の血液≠ナある石油が米国の覇権下に置かれることになる。(→続きを読む)
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posted by JCJ at 01:00 | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする