菅義偉首相が8月3日に突然の退任表明、翌4日の新聞各紙には、社説、解説、分析、雑報など「大事件報道」が満載だった。その後の新聞はじめマスコミが「コロナ禍」よりも「自民党総裁選」を熱心に報道していることは、政府・自民党と同じくマスコミにも「コロナが大災害」という認識が足りなかったことを物語っているのではないか。
さて、菅首相は3日のぶら下がり会見で「私自身、新型コロナ対策に専念したい。そういう思いの中で総裁選には出馬しない」旨の一方的発言をして、記者の質問を無視して立ち去った。官房長官時代からの変わらない独善的な姿勢だった。そこには、自らの心情を国民に語ろうという誠実さは全く見えなかった。しかも、その後の行動をみると「コロナ対策に専念」しているとは思えない。行動に「嘘」がある。これも不誠実だ。
5日の西日本新聞朝刊2面の日曜日コラム「時代ななめ読み」で筆者の永田健特別論説委員が「コロナ禍での政局混乱は不幸だが『国民に届く言葉を持たない首相が、結果として退場を強いられた』という事実は大切な教訓となる。言葉を軽んじた政治家がどうなるか、自民党も野党も肝に銘じるべきだ。/ただ、それなら大事なのは『発信力』だ、とは考えないでほしい。…必要なのはただ一つ。誠実さなのだ。語り手が誠実なら、その言葉は必ず相手に届く。まずは記者会見や国会論戦で、ごまかさず真正面から質問に答えるだけでいい」とコトの本質を訴えている。
この指摘は安倍晋三前首相にも大いに当てはまる。「桜を見る会疑惑」について国会で118回も「嘘答弁」をして、それを認めて弁解はしたが深く反省した様子が見られない。「安倍政権を継承した」菅首相も、国民には「嘘答弁」でごまかせると考えていた節があったと思う。
菅首相の総裁選不出馬を表明した後のぶらさがり会見の発言についても永田特別論説委員は「この発言を私の『身もふたもない翻訳機』にかけたところ『あまりに不人気で、出馬しても勝てそうにないので出ません』という訳が出た。国民の受け止め方も同じだろう」と書く。こうした本音の記事が今の新聞には、ほとんど出てこないのは寂しい限りだ。
白垣詔男
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2021年9月25日号