国民的歌手、国民的美少女――。私たちはよく口にする。だが「国民的」は、危ない言葉だ。
今夏の東京五輪・パラリンピックはコロナ禍で低調だったが、五輪は元々、国威発揚や国民的高揚と表裏一体だ。べルリン五輪はよく知られているが、幻となった1940年東京五輪も「紀元2600年」を盛り上げる大会だった。今も金メダルごとに国旗掲揚・国歌演奏が行われる。
菅義偉首相が東京五輪を強行したのは、「国民的な盛り上がり」を背に解散、総裁選に臨みたかったからだろうと9月4日の朝日社説は書いた。その通りだと思う。
今回かなり減じたとはいえ、五輪には、どこか正面から反対しにくい「祝祭」のオーラがある。東京五輪の中止を主張した新聞もあったが、多くの社は条件を付けて言い切りを避けた。「国民的祝祭」に水をかけることを躊躇う意識も潜んでいたのではないかと、読み比べて思う。
今年は、15年戦争の始まりの満州事変から90年にあたる。
発端は関東軍の満鉄爆破だったが、当時の新聞は軍部の発表通りに中国側の仕業だと書いた。大阪朝日の編集局長は「軍部の数ヶ年来の計画遂行に入ったものと直覚」と日誌に記したが、結局、軍部発表に追随した。
軍事行動に反対していた朝日がなぜ満州事変で社論を転換したのか。以前、朝日の連載「新聞と戦争」の取材班で社内資料を渉猟した。仲間とも議論し、私なりに、長期、中期、短期の要因の複合だったと整理した。
明治から続く長期的な要因は、絶対天皇制の重し、明治憲法下で限定された言論の自由、新聞社の私企業制である。
中期的要因は、朝日も主唱した大正デモクラシーが「内に立憲主義、外へ帝国主義」という自己矛盾のもろさを内包していたこと。また、大正末に大阪朝日が百万部を超え、世論を慮る「国民的新聞」になっていたことだ。
短期的要因は右翼の圧力、不買運動、朝日記者攻撃、反戦主義の無産政党の転向や沈黙などだ。その背景に、中国の反日運動に憤懣を募らせていた圧倒的多数の日本人が、軍事行動を熱狂的に支持した事実があった。
要するに、新聞は自らが火をつけた国民的熱狂に煽られ、孤立を恐れて大勢に追随した。
戦後、天皇は象徴に変わり、言論の自由は基本権となった。しかし、メディアが国民的孤立を恐れる体質は、どれほど変わっただろうか。
例えば竹島、尖閣などの領土問題だ。ほぼ全てのメディアが日本国政府の主張をおうむ返しにしている。背後に、圧倒的な民意がある。「非国民」という言葉は今も生き残っている。先の戦争で、国民は単なる被害者ではなかった。
「国民的」という呪文に、ジャーナリズムはよほど心しなければならないと思う。
藤森研
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2021年9月25日号