私の子どもの頃、信州の高原の戦争孤児施設「鐘のなる丘」を舞台にしたNHKラジオドラマ(菊田一夫原作)が4年間も放送され、主題歌の「とんがり帽子」(古関裕而 作曲)が愛唱されて人気を博した。番組は戦争孤児の非行防止を目的にGHQのCIE(民間情報局)が制作を指導したものだった。
しかし、このドラマは悲惨な戦争孤児の実態と真相を世間の目から「隠す」役割を果たしたともいえる。
『かくされてきた戦争孤児』(講談社)の著者・金田茉莉さんは東京の浅草で生まれ、国民学校の学童疎開先の宮城県から東京に帰る列車に乗っていた時、昭和20年3月10日の東京大空襲で母と姉と妹を失った。父は亡くなっていたので、茉莉さんは10歳で戦争孤児となった。母は大阪に家族で疎開することを決めていたが、担任から熱心に説得されて「学童集団疎開」に応じた結果の悲劇だった。
茉莉さんは姫路の伯父の家に預けられたが、子ども7人もいる貧しい家、伯母の「親と一緒に死んでくれたらよかったのに」というひそひそ話が胸に突き刺さった。高校を卒業して無一文で上京、孤児に対する社会の差別のなかであらゆる辛酸を経験した。結婚して子どもにも恵まれた茉莉さんは戦後40年を経て50歳になってから、「20万人を超える戦争孤児たちの真実が永久に判明しなくなる」と自分史を自費出版し、これを契機に戦争孤児アンケート調査開始した。
学童疎開を研究する会に入り、戦争孤児の会代表も務めた。戦争孤児が辿った過酷な人生の記録を後世に語り継いでいく語り部活動を続けながら、20数年の歳月をかけて本書を書き上げ、85歳になって出版に漕ぎ着けた。
「2020年を『戦争孤児問題』研究元年に」と銘打つ『戦争孤児たちの戦後史』(全3巻、吉川弘文館)も刊行された。本書はその嚆矢に位置づけられる。(講談社1600円)