2022年01月02日

【今週の風考計】1.2─年初に起きた歴史的事件から今を考える大切さ

あけましておめでとうございます。4日から開催の第10回核不拡散条約(NPT)再検討会議が、コロナ感染拡大で延期される。
 核保有国も含め191カ国・地域が加盟し、「核兵器のない世界」の早期実現に向け、具体的な行動へ踏み出す重要な会議が、7年近く開かれていない。残念でならない。
昨年1月22日、核兵器禁止条約に51カ国・地域が批准し発効した。その後、署名・批准は加速し、昨年12月15日までに計144カ国・地域に及んでいる。唯一の戦争被爆国である日本が、いまだに核保有国への「橋渡し役」や「核の傘」論を振り回し、署名も批准もしていないのは腹立たしい限りだ。

さて新年となれば<温故知新>、日本や世界が歩んできた歴史が気になる。手もとにある年表やクロニクルから、90年前にさかのぼり10年ごとに下りつつ辿ってみる。
 まず日本を見てみよう。
1932年1月3日:関東軍、錦州(中国東北部)占領─前年の柳条湖事件デッチ挙げ以降、ハルピンなど満洲の主要都市を占領し、溥儀を擁立して傀儡国家・満州国を強引に建国。さらに軍部の暴走は5・15事件、国際連盟からの脱退へと突っ走る。
1942年1月2日:日本軍、フィリピン・マニラ占領─前年の12・8真珠湾攻撃による日米開戦と同時に、日本軍はフィリピン上陸作戦を始め、年が明けるやマニラを占領。捕虜兵に強いた「バターン死の行進」で約1万人が死亡。また日本軍はフィリピン女性を「慰安婦」に強制動員し、その数は千人を超える。

 次に世界を見てみよう。
1952年1月4日:イギリス軍、エジプトのスエズ運河を封鎖─エジプト政府は、第二次世界大戦後も居すわるイギリス軍の撤退を要求。国民の間でも反イギリス行動が拡大。イギリス軍は住民デモへの発砲やスエズ運河封鎖、施設占領などの強行策に出る。
 その後、国王による妥協策で事態は収拾したが、民衆運動の高揚はエジプトの社会・経済体制の矛盾を浮き彫りにし、6カ月後にはナセルが率いる「エジプト革命」へと発展する。
1962年1月1日:南ベトナム人民革命党の結成─米軍と闘う南ベトナム民族解放戦線の中核となる。ベトナム戦争が激しくなる68年のテト攻勢で、米軍とサイゴン政権軍に大打撃を与え、翌年6月には臨時革命政府樹立への道を開いた。

 最後に50年前の日本に戻ろう。
1972年1月6日:佐藤・ニクソン会談、沖縄返還5月15日決定─3日前の「日米繊維協定」で、日本は米国から大幅な譲歩を強いられ、「糸(繊維)を売って縄(沖縄)を買う」とまで言われる。しかも沖縄返還に際し「核抜き本土並み」はタテマエ、「沖縄への核持ち込み密約」まで押しつけられるに至った。
沖縄の人々が本土復帰に込めた願いは、日本国憲法の下での基本的人権の保障と「基地のない平和な島」の実現だった。
 だが今もって日米両政府は「本土」にある米軍施設面積の7割を沖縄へ押しつけ、さらに県民の民意すら足蹴にして、辺野古に米軍新基地建設を強行する。どこまで沖縄を苦しめれば気が済むのか。新年に際し新たな怒りがわく。(2022/1/2)
posted by JCJ at 05:00 | 【今週の風考計】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする