日本の防衛費をGDP2%へ一挙倍増すべきだという安倍元首相の遺言≠ェいつの間にか既成事実化されて、いまや自民党内では増税を含む財源問題が中心議題となっている。マスメディアの報道や論調も、防衛力の強化を前提としたものとなっている。たとえば安保政策を大転換した閣議決定翌日の12月17日の朝日新聞の社説はこう書き出されていた。
「日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増しているのは事実で、着実な防衛力の整備が必要なことは理解できる。」
この認識は今回の政府の「国家安全保障戦略」の大前提となる情勢認識と共通している。同「戦略」にもこう書かれていた。「我が国は戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に直面している。」
しかし、本当にそうなのだろうか。いまこの国は、安保政策を大転換し、防衛費を一挙に倍増し、防衛力を飛躍的に増強しなければならないような危機的状況に直面しているのだろうか。事実にそくして状況を観察・点検し、この国がはたして「戦後最大の軍事的危機」に直面しているのかどうか、政府の主張を検証してみる必要がある。政府の「国家安全保障戦略」で具体的に示されている「脅威」とは、次の3つである。
1)中国の動向――「我が国と国際社会の深刻な懸念事項で、これまでにない最大の戦略的な挑戦」
2)北朝鮮の動向――「従前よりも一層重大かつ差し迫った脅威」
3)ロシアの動向――「ウクライナ侵略によって国際秩序の根幹を揺るがし、中国との戦略的な連携と相まって、安全保障上の強い懸念」
こうした脅威・懸念への対抗措置として、政府は敵基地攻撃能力をふくむ戦後最大の防衛戦略の大転換、軍備の大増強を実行するというのである。しかし本当にこうした脅威が実在するのだろうか。
◆ロシアは本当に「脅威」なのか
まずウクライナ侵攻によって、戦争の悲惨さを私たちに伝え、震撼させたプーチンのロシアから考えてみよう。ロシアが実際に日本にも侵攻してくるような脅威となる存在なのか――。
現代世界においては、どんな国であっても、何の理由もなしに他国に侵攻するということはあり得ない。
今回のウクライナ侵攻も、基本的にはプーチンの大スラブ主義(大ロシア主義)の野望が生み出したものであり、ロシア語を話す人々がロシアと国境を接するウクライナ東南部に住んでいることを口実として実行された。またロシアによる過去の侵略行為も、フィンランドをはじめバルト3国、ポーランドなどすべて国境線を踏み破って行われた。
それに対し、日本は海によってロシアと隔てられている。またロシアが日本と敵対する理由も事情もない。過去の冷戦時代には、宗谷海峡を渡ってソ連が攻めてくるという話が喧伝され、そのため自衛隊は持てる戦車の半数を北海道に配備したが、やがて冷戦が終わり、軍事的な見地からもそんな作戦行動はあり得ないことが暴露され、日米合作のフィクションだったとして抹消された。
いかにプーチンといえども、ロシアが日本に侵攻する理由も口実もないのである。「ロシアによる軍事侵攻の脅威」は現実にはまったく成りたたない。
◆北朝鮮は本当に「脅威」なのか
次に北朝鮮による「脅威」についてはどうか。その根拠とされるのは、北朝鮮による相次ぐミサイル発射である。とくに日本列島を飛び越す長射程のミサイルが、四半世紀前のテポドン以来、日本に対する脅威として喧伝されてきた。たとえば10月4日朝、日本列島を越え、太平洋はるか沖の東方海上に落下したミサイルは、「Jアラート」によりテレビ放送を1時間近く中断させて国民を不安がらせた。
しかし、「火星17号」と推測されるそのミサイルは、人工衛星よりもなお高い宇宙空間を平均マッハ4の速さで飛び去ったのであり、「Jアラート」などとはおよそ次元を異にする飛行物体だった。ではなぜ、北朝鮮はミサイル発射実験に固執するのか。理由は、米大陸に到達するICBM(大陸間弾道ミサイル)を完成させたいからである。
北朝鮮は、米国とはいまなお潜在的交戦状態にある。なぜなら70年前に金日成と米軍の司令官とが調印したのは休戦条約であって、平和条約ではないからである。潜在的交戦状態にあるからこそ、米国は韓国に広大な空軍と陸軍の基地を配置し、毎年、北朝鮮の目の前で、北側海岸への上陸作戦を含む韓国軍との合同演習を威嚇的に実施している。
北朝鮮は米国との敵対関係を解消し、国際的な経済制裁を解除させて、経済復興にとりくみたい。そのためには、何としても米国と直接交渉をする必要がある。
そこで2006年の米中ロ韓日との6カ国会議の場でも必死に米国と交渉したし、トランプ前大統領とも3度にわたって会談した。しかし、いずれも寸前のところで米国は身をかわし、交渉は不発に終わっている。
かくなる上は、米国を、身をかわせなくなる状況にまで追い込むしか方法はない。すなわち、核弾頭を装備したICBMを振りかざすことによって、米国にたいし休戦条約にかわる平和条約の締結を迫るしかない。これがいわば、北朝鮮に残された、彼らが考える最後の生き残り策なのである。したがって、ミサイル発射実験も核実験も、相手国はただ一つ、米国なのである。日本などは眼中にない。
北朝鮮が日本に対して求めているのは、35年間にわたる植民地支配に対する謙虚な反省と代償であり、かつて日本政府が韓国に対して行なったのと同種の経済協力なのである。
そしてそのことは、2002年の「日朝平壌宣言」で金正日と小泉純一郎、当時の両国首脳が約束し合っている。日朝国交回復ができれば、それは実現に向かう。その日本に対して、北朝鮮がミサイルを撃ち込んでくることなどあろうわけがない。それは人が自家に火を放つようなものだからである。
それなのに、自公政権は北朝鮮の現状を「従前よりも一層重大かつ差し迫った脅威」と決めつけ、大軍拡に向かって突進のスタートを切ろうとしている。「Jアラート」によって国民の危機感をあおったのと同様、これもフェイクである。
◆中国は本当に「脅威」なのか
最後は、「中国の脅威」である。政府の国家安全保障戦略はそれを「これまでにない最大の戦略的な挑戦」と規定した。近年、中国はたしかに軍事力の強化を急ぎ、南シナ海を力ずくで内海化しようとしている。台湾に対しては8月のペロシ米下院議長の訪台を牽制するためミサイルを連続発射し、その一つが与那国島のEEZの端に着弾した。
しかし習近平国家主席が実際に台湾に軍事侵攻するなんてことがあるだろうか。もしそれを敢行すれば、いまのロシアがそうであるように、中国は世界中から批判・非難にさらされるに決まっているのに。今日、中国が日本を抜いて米国に次ぐ経済大国となったのは、改革開放政策により国際経済のグラウンドに躍り出て世界の工場≠ニなったことによる。
バイデン大統領はこの10月に発表した国家安全保障戦略で、中国を「唯一の競争相手」としながらも、両国は「相互依存関係にあり、米国を含む諸外国との共有の利益を享受している」と述べた。実際、米中の昨年の貿易額は輸出入とも前年の3割前後も伸び、過去最高を記録している。
台湾の国民世論は民進党、国民党ともに圧倒的に現状維持を望んでいる。また台湾はいまや半導体の供給では世界をダントツでリードする先進国だ。その台湾を軍事力で暴力的にねじ伏せられるわけはない。
経済関係の重要性は、日中間でも同じである。07年以降、日本にとって中国は最大の貿易国であり、日本の対中依存度は高い。中国国内に拠点を置く日系企業は3万を数え、そこには10万人の日本人が生活している。
さる11月17日、バンコクで岸田首相は習近平氏と初めて対面で会談したが、その席で習氏はこう語った。
「アジアと世界の重要な国家として、われわれには多くの共同利益がある。中日関係の重要性は変わらないだろう。新時代の要請に沿った中日関係を構築していきたい。」(朝日、11.18付)
経済面に重点を置けば、この発言は額面どおりに受け取ってよいだろう。日中間に、尖閣諸島をめぐる問題はたしかに存在する。しかしこうした問題こそ、外交力によって解決すべきではないか。21世紀の今日、無人島の岩礁をめぐってGNP2位と3位の大国同士が軍事力で争うなんて愚か極まりない対応である。
ところが、この正気の沙汰とは思えない対応を、日本政府は目下、実行に移そうとしている。奄美大島から沖縄本島、宮古島、石垣島、そして与那国島までの南西諸島に、防衛省はミサイル基地、弾薬庫、沿岸監視基地を配備した。沖縄本島にはすでに空自部隊を増強した上に、陸自の第15旅団を実質2倍の「師団」に格上げして増強しようとしている。
自衛隊は、佐世保に駐屯する「日本版海兵隊」の水陸機動団を中心に、時に米軍とも共同で上陸演習を何度も行なってきた。敵軍に占領された島嶼を、奪回するための上陸演習である。その敵国軍とは、地理を見ても中国軍以外には考えられない。
「鉄の暴風」によって地形が変わるほどに破壊され、県民の4人に1人が命を奪われた沖縄戦を、戦争体験者がまだ多数生存しているのに、この国の政府は沖縄を戦場に再び戦うための予行演習を続けているのである。
沖縄戦の歴史的事実を知る人たちは、そのおぞましい光景を、息をのんで見つめている。
◆コモンセンス(常識)で判断しよう
以上、市民的なコモンセンス(常識)を判断基準として、日本が直面しているとされる「脅威」の実態を検証してきた。私は軍事や国際政治の専門家ではない一ジャーナリスト(書籍編集者)にすぎないが、考えてみればあまりに非常識なことが多すぎる。
たとえば今回の軍拡の柱とされている「敵基地攻撃能力」である。政府はこれを「反撃能力」とあいまいに一般化しているが、長射程ミサイル(トマホークは1500キロ先まで狙える)を使って相手国を攻撃することに変わりはない。
では、いつ、どんなときにミサイルを発射するのか。相手国が日本に対する攻撃に「着手」したときだという。しかし、その「着手」の瞬間をどうやってキャッチするのか。それは誰にもわかりません、とおっしゃる。そんなあいまいさを残したまま、トマホーク500発(?)を購入するというのである。
それでもまあ「着手」の瞬間をキャッチできたと仮定しよう。ではその「反撃」によって、相手国の戦意を打ち砕き、停戦に持ち込めるだろうか。もちろんそれはあり得ない。仮にその「敵基地」を粉砕できたとしても、相手国の「基地」は当然何か所にもわたって配置されている。日本国の「反撃」は逆に「先制攻撃」だとされ、相手国の戦意を誘発して激しい攻撃を招くことになるだろう。
では、相手国から先に攻撃されたときはどうか。「反撃能力」を持つ自衛隊は、その「能力」を発揮することになる。つまり、相手国の基地をはじめ都市や発電所などのインフラにミサイルを撃ち込むことになる。いま現在、プーチンのロシア軍がウクライナに対して行なっているように!
いずれにしろ、「敵基地攻撃能力」(反撃能力)の行使は、日本を相手国との全面戦争に引き込むことにほかならない。その危険をあえて冒すために、岸田内閣は大軍拡に踏み込もうとしているのである。いや、「敵基地攻撃能力」は実際にそれを実行するために持つのではない、もしも攻撃してきたら痛い目にあうぞと威嚇して、相手国の攻撃を「抑止」するために軍備を強化するのだ、という意見もある。「核抑止論」にも共通する「軍拡抑止論」である。
しかし攻撃力(軍事力)というものは、あくまで相対的なものである。一方が軍備を強化すれば、対抗する側もそれに負けまいと軍備を増強する。かつて日本の敗戦で終わった第二次世界大戦の前段がそうだったし、現在の米国と中国との関係がそうである。
つまり軍拡には終わりがない。5年間で43兆円の軍事費を注ぎ込んだところで、それで安心ということにはならない。時がたてば、次は60兆円、80兆円ということになる。「軍拡抑止論」のジレンマである。
先日(12月17、18日)行なわれた朝日新聞の全国世論調査では、敵基地攻撃能力の保有について、男性は「賛成」が66%で「反対」が29%、女性は「賛成」「反対」がともに47%だったという。年代別にみると、18〜29歳の若い層が最も高く、70歳以上が最も低かったという。
「敵基地攻撃能力」なるもののいい加減さとあいまいさ、そこに内在する致命的な危険性については先に見た。にもかかわらず、これほど高い賛成率だったというのは、その実体がよく知られていないことを示しているとしか思われない。ということは、マスメディアが、その実体を深く解明し、伝えていないからに違いない。つまり、マスメディアの社会的役割の放棄である。
国民世論は、正しい知識とまともな情勢認識によって形成されなければならない。そのための「知る権利」に奉仕するのがマスメディアの役目である。いま私は、マスメディアに、何をおいても近隣諸国「脅威論」のデマゴギーを検証してほしいと思う。(2022年12月20日、記)