「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」。夢の島公園(東京・江東)の第五福竜丸展示館の一画に、核兵器への怒りを訴えた久保山愛吉さん(享年40)の言葉を刻んだ石碑が立っている。
1954年3月、静岡県焼津市が母港のマグロ漁船「第五福龍丸」は、ビキニ環礁での操業中にアメリカの核実験の灰を浴び、23人の船員が被曝。無線長だった久保山さんは同年9月、被ばくで亡くなった。
ロシアのウクライナ侵攻、北朝鮮による相次ぐ弾道ミサイル発射などを背景に、米国の核の傘を前提にした「核抑止論」が勢いづき、軍拡のきな臭さが漂う。68年前、反核運動のうねりを起こした第五福龍丸事件の教訓を忘れていないか。そんな問題意識を立て、船を擬人化し、数奇な運命を描いたのが本書だ。
前身は47年に和歌山で建造されたカツオ漁船。マグロ漁船に改造後、53年に焼津市の船主に譲渡され「第五福龍丸」となり、5回目の遠洋航海で水爆実験に遭遇する。
疫病神扱いされた船は、文部省が引き取って東京水産大学(現・東京海洋大学)の練習船「はやぶさ丸」となった。67年に廃船が決まるとエンジンは業者に取り外され、船体は夢の島に捨てられた。
一度は歴史から消えた船が修復・保存され、76年に都立の展示館が誕生。後にエンジンも回収、展示された経緯が、元船員や関係者の肉声と共に綴られる。戦前、戦中、戦後を繋ぐ船と人のドラマを、漁業史、造船史の視点を踏まえて描いた点もユニークだ。
筆者は元毎日新聞記者。静岡支局時代にビキニデー30周年企画を手掛けて以来、取材を重ねた。(旬報社1600円)