2023年02月07日

【寄稿】取材・報道の自由あっての公共放送 権力への忖度・迎合 NHKの死につながる 形骸化した経営委 知的創造と生涯学習の場=前川喜平

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 NHK経営委員会の新会長選出の密室性に一石を投じた「市民とともに歩み自立したNHK会長を求める会」の前川喜平さんの新会長候補推薦は、経営委員会が稲葉延雄・元日銀理事を新会長に決定したことで区切りを迎えた。だが、NHK職員らからは「前川新会長」期待の声も届き 、会のメンバーらも喜んだ。JCJは、制度外の候補推薦をあえて引き受けてくれた前川さんに、公共放送としてのNHKのあり方について寄稿をお願いし、快諾をいただいた。
                
番組改変事件
 私がNHKのあり方に自覚的に問題意識を持つようになったのは、「従軍慰安婦」を扱った番組「問われる戦時性暴力」が政治の圧力によって改変された事件が起きたころだ。同じ時期に中学・高校の歴史教科書における「従軍慰安婦」に関する記述への政治的な攻撃も激化していた。放送への政治介入と教育への政治介入は同時に起きていたのだ。文部官僚だった私はそこに共通する政治の横暴を見た。
 第二次安倍政権下でNHKへの政治支配は激しくなった。二○一四年に会長に就任した籾井勝人氏が「政府が右と言うものを左と言うわけにはいかない」と妄言を吐いた時も、経営委員に百田尚樹氏や長谷川三千子氏が任命された時も、私はNHKの政治支配と右傾化に脅威を感じた。「クローズアップ現代」の国谷裕子キャスターは安保法制について菅官房長官(当時)に厳しい質問をしたことで降板させられ、岩田明子解説委員は安倍政権べったりの解説を垂れ流した。

スクープがボツ
 二◯一七年の加計問題では真っ先に私を取材した中にNHKの社会部記者がいた。彼らは「総理のご意向」が記された文書も入手していたし、僕の証言映像も撮っていたが、それらは一切ニュースにできなかった。私を取材していた記者は私の前で涙を流していた。私が加計学園問題について記者会見を行ったのは二○一七年の五月下旬だったが、記者会見を行った理由の一つはその記者から「このままではニュースにできないから記者会見をしてほしい」と言われたことだった。

政治的中立性
 政権に忖度したり迎合したり、いわんやそのお先棒を担いだりすることは、報道機関としての死を意味する。報道の政治的中立性・公平性は、特に公共放送であるNHKでは強く求められることだが、権力者が求める「公平性」は権力への批判を封じ権力に奉仕する結果しかもたらさない。「公平性」という大義名分があろうとも、番組制作への介入を許してはいけない。
 真の公平性は自由な議論を通じて実現される。取材の自由、報道の自由、番組制作の自由そして議論の自由が組織内で確実に保障されなければならない。その自由こそが真実を追求する唯一の道であり、真実を追求することこそがNHKの公共性である。番組制作は学問にも芸術にも匹敵する高度に知的な営為だ。その基盤には精神の自由がなければならない。

政治任用ダメ
 番組制作の自由を保障するためにはNHKの政権からの自立性が必要だ。それは学問の自由のために大学の自治が必要であるのと同じ理由による。その鍵になる仕組みが経営委員会であるはずだ。話し合いにより意思決定を行う合議制機関は一人の人間が意思決定権を持つ独任制機関よりも中立性・公平性を守りやすく、外部からの不当な介入も防ぎやすい。国においても地方においても政治的中立性が求められる行政が合議制機関に委ねられているのはそのためである。国にあっては人事院、公正取引委員会、原子力規制委員会などであり、地方においては教育委員会、人事委員会などである。
 しかし国でも地方でも長期政権が続くと、委員の選任を通じて合議制機関への政治支配も可能になる。NHKの経営委員会はそうした委員の政治任用によって形骸化し、独立性を完全に失って政権の言いなりになっている。次期会長となる稲葉延雄元日銀理事は、岸田首相がごくわずかな側近と相談して選んだと報じられているが、内閣総理大臣にはNHK会長の選考権も任命権もない。これでは経営委員会はあってなきがごときものだ。それどころか二○一八年の「かんぽ生命不正販売問題」では経営委員会が当時の会長に圧力をかけて番組制作に干渉した。こんな経営委員会なら無い方がましだ。
 総務大臣という独任制機関が放送行政を所管していることにも大きな問題がある。

独立行政委を
  許認可権限を振りかざしてNHKをはじめとする放送事業者に干渉することが可能になるからだ。それを防ぐためには、放送行政自体も合議制機関即ち独立行政委員会が担う形に改革すべきである。その際には委員の選任に当たって野党の推薦する人物が必ず入る仕掛けにするなど、政権寄り一辺倒にならないようにする工夫が必要だろう。
  戦後間もない時期にNHK会長になった高野岩三郎は「大衆とともに歩み、大衆に一歩先んじて歩む」NHKをめざした。この精神は現代もなお価値を失っていない。視聴率を上げようと視聴者に迎合するようなことは公共放送の仕事ではない。NHKは一つの知的創造の場であり生涯学習の場であると思う。その意味では、大学と図書館と博物館と公民館の機能を持ち合わせていると言ってよい。視聴者である市民に一歩先んじて、市民が学び考えるべき課題を提示し、市民が議論するフォーラムを提供する。それは民主主義の基礎としての「知る権利」と「学ぶ権利」に奉仕することにほかならないのである。
  JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2023年1月25日号
posted by JCJ at 01:00 | TrackBack(0) | 寄稿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする