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誰もが撮影して映像で記録を残せる市民メディアの時代に、当事者の手による映像が如何に重要な意味を持つのかを、このドキュメンタリーは明確に示してくれた。
2011年の東日本大震災で、大川小学校(宮城県石巻市)の74人の児童(うち4人は未だ行方不明)と10人の教職員が津波にのまれ亡くなった。全校児童の7割に当たる多数の犠牲者を、なぜ出したのか。親たちの「何があったのか」を知りたいという無念の思いに対し、行政の対応は納得できないことばかり。
二転三転する市教育委員会の説明、メールのやり取りを破棄してしまうなど、自己保身のための嘘や隠蔽が見え、怒りが収まらない遺族たちだが、一方で冷静に、出席した説明会や記者会見などの様子を映像で記録していた。監督の寺田和弘は、その映像を何度も繰り返し見続けて、「説明会を開催するたびに遺族と行政側の溝が広がり、深まっていくように感じた」といい、映画を観てくれる人にも追体験してもらいたいと考えたという。
「裁判なんてしたくなかった」という遺族が提訴したのは2014年3月。18年4月に「平時からの組織的過失」を認めた仙台高裁の判決を勝ち取り、19年10月に最高裁で確定するまでの10年に及ぶ記録である。
この映像を見ながら、ドキュメンタリーの鬼才と評される原一男監督が製作した3部構成・計6時間12分の水俣病を描いた大作「水俣曼荼羅」との共通性を感じた。闘いの当事者たちが発信者となり、「生きる」姿を示した「当事者性」が強く伝わってくるのだ。
2月18日から順次公開。124分。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2023年1月25日号