2023年05月03日

【紙魚の独り言】松尾芭蕉は<あそび>の天才だった!=萩山 拓(ライター)

 大型連休を利用して、多くの人が旅に出ることだろう。連休からは10日ほど後だが、俳諧師・松尾芭蕉もまた江戸・千住を出て東北へと旅立った。今から336年前の5月16日だ。5カ月かけて太平洋側を北上し東北・北陸を巡り、日本海側を南下して岐阜県の大垣までの旅をした。
 その行程は曽良のメモと合わせ、「おくのほそ道」として後世に残されている。まさに今でいう旅行ガイドブックでもある。

 芭蕉といえば<わび・さび>の象徴、俳聖ともいわれてきた。<あそび>などとは無縁の畏れ多き俳諧師だ。ところが芭蕉は言葉を自在に操って、仲間たちや鑑賞する者たちに、<笑い>の句を作り、<あそび>の心でもてなそうとしていたと説く書が刊行されている。深沢眞二『芭蕉のあそび』(岩波新書)だ。
 俳諧の本分は、たわむれ、滑稽にあると言い切られると、筆者には戸惑いばかりが残る。だが本書を読むと、芭蕉が心したのは、その精神であるのが分かる。
 第一章で「しゃれ」の妙味を明かし、第二章でパロディを、第三章で「もじり」「なりきり」などの技法に触れ、第四章では「なぞなぞ」の遊びまで、芭蕉が五七五の文字に、言葉の力を注ぎ込み、人びとに笑いをもたらすことに苦闘した俳諧師であったことを、実証している。

 『源氏物語』や『平家物語』『徒然草』などの古典を取り込んだ句を始め、有名な能の謡曲を「もじり」にして遊ぶ句など、著者の謎ときは鮮やかだ。芭蕉が主催する句会に参加する当時の文化人の学識を、十分にくすぐる知的な<あそび>を、芭蕉は用意していた。
 とりわけ第五章の「蛙はなぜ飛びこんだか」を読むと、あの名句が誕生する経緯や背景が、俳諧仲間のやり取りも含め、まさに「古池」をめぐる長期間にわたる<あそび>であったことが分かる。
 まさに目からうろこ。芭蕉と仲間たちの掛け合いの妙味を解説する本書は、時に難しく、時に呻ったり、時に理解が及ばず、少し手こずるが、芭蕉の新しい顔に出会う楽しさで相殺されること間違いなし。
posted by JCJ at 09:06 | TrackBack(0) | 紙魚の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする