北海道支部代表委員の林秀起さんが2月19日、すい臓がんのため、札幌市の病院で死去した。79歳。葬儀は近親者のみで営まれた。
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低音で発せられる「林語録」はキレとツヤがあり、ジャーナリストであることの自負と気概に満ちていた。酒席を包み込む呵々大笑が今も耳から離れない。「山田君、酒は命がけで飲むもんだ」。酒豪らしい一言が潔く、格好良かった。
出会いは1986年。私は入社2年目の毎日新聞釧路支局員、林さんは朝日新聞釧路支局長。朝日の新人記者から支局長に毎晩しごかれる話をよく聞かされた。
「原稿を何度書き直しても通してくれない」と彼はこぼした。「この原稿のどこにお前の主観があるのか」と問い詰められるのだという。主観なき客観報道はあり得ないという林さんの教えは私の記憶に深く刻まれた。
ある晩、林さんから酒場に誘われた。他社の駆け出し記者に何の用事かと思ったら、「朝日新聞に来てもらったら困りますか」と言われて驚いた。お断りしたのだが、いささか誇らしい気分になり、自分では自信があった連載記事の感想を尋ねた。「あれはあまり良くなかったなあ」と意外な答え。理由を聞くと、「記者に演説はいらない」。鋭い一言に大きな勘違いを思い知らされた。
林さんは室蘭勤務時代、有珠山噴火(2000年3月)に遭遇し、現地で開かれたJCJの全国交流集会に案内役として参加したのを契機に入会。退社後は北海道支部運営委員、事務局長、代表委員を歴任した。植村バッシング≠ニ闘った「植村裁判を支える市民の会」では事務局次長として雑務をこなし、ご意見番的な存在でもあり続けた。
いただいた言葉だけでなく、生き方そのものが私の「師匠」であった。「山田君、ジャーナリストにリタイアはないんだ」。いつもの声で、林さんのそんな言葉が聴こえる気がする。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2023年3月25日号