メディアは貧困問題を、どのように社会に問い掛けてきたのか。本書では、テレビ制作者として貧困問題を取材してきた著者が、リーマン・ショック期とコロナ期の貧困報道を検証。テレビ放送に関するデータベースを駆使し、自身の取材経験なども振り返ることで、その系譜を縦覧する。
注目するテーマは「ワーキングプア」や「ネットカフェ難民」、「生活保護バッシング」、「生理の貧困」などさまざまだ。メディアによる議題設定がどのような社会背景から行われたかを整理し、あるべき報道の姿を問うていく。
特に考えさせられたのは、貧困者をどう描くかという問題だ。実際の貧困者は家族や障害、教育などに起因する生きづらさを背景に、頑張ることすらできないことが少なくない。貧困問題の難しさは、そういった複雑さにこそあるとも言える。
しかし、そういった実像は分かりにくく、共感されにくい。結果的に「本人がいくら頑張っても報われない。かわいそうだ」といったステレオタイプな報じ方に集約され、「頑張らないように見える人は落ちても仕方がない」という自己責任論につながってしまうのだ。本書はこうした「自己責任論の壁」の弊害を指摘しつつ、報道人の葛藤にも触れる。記者の端くれとして貧困報道に力を入れてきた私には、身につまされる思いがした。
何度も通った民間団体の食品配布会場には、コロナ不況からの回復が兆しを見せても、長蛇の列ができている。問題の解決が待ったなしの今こそ、本質を突く報道が必要なのだと思いを強めている。(同時代社1800円)