「論争的なテーマはさわらない方が安全だ」。そんな空気がメディアに蔓延している。だが著者(元朝日新聞編集委員)は南京虐殺事件の報道を検証し、世に問うた。なぜ今あえて?
450頁を超える大著は「これでもか」と事実を積み上げる。当時の全国紙、地方紙、全国紙地方版、戦史、日記、研究論文と調査は分厚く、状況を浮かび上がらせる。
死屍累々たる揚子江岸「下関」では何が起きたのか、南京城外・幕府山での約1万5千人もの中国人捕虜のその後は? それらを新聞はどう報じたのか、何を報じなかったのか。
著者は「南京・下関に死体の山があったといった描写は当時の新聞にもみられるが、多数の捕虜を機関銃で虐殺する場面を…具体的に描いた記事はない」とする。第一の理由は報道統制だった。だが「当時は戦意高揚が記者の最大の使命だと思っていました」という元記者の言葉も紹介する。
ほとんどの南京の従軍記者は、戦後も沈黙を続けた。南京事件の新聞報道を見わたす作業は、ほぼ手つかずだった。
「書くべきことを書かなかった責任は、たとえ長い時を経たとしても、改めて書くことでしか果たされない」と考える著者は、3年半をかけて、国会図書館のマイクロフィルムに向き合い、遠隔地の図書館を訪ね、体を痛めつつ本書を次代に残した。執念の底には一人のジャーナリストとしての職能的な責任感があった。
「何を書き、何を書かなかったか」。それは私たちも後世から問われ続ける。(朝日新聞出版2600円)