昨年10月から12月に放送されたドラマ「セクシー田中さん」の原作者で漫画家の芦原妃名子さんが脚本を巡る問題で自死(享年50)した事件は、原作マンガを出版した小学館、映像化した日本テレビを巻き込むなど波紋が広がっている。
自死したのは、原作に忠実にという原作者の意向がテレビドラマの内容に反映されなかったことが主因とみられる。
芦原さんが寄稿していた小学館第一コミック局編集局一同が2月8日に公表した声明でも、それを窺わせる文章がある。「著者が待つ絶対的な権利『著作者人格権』について周知徹底し、著者の意向は必ず尊重され、意見を言うことは当然のことであるという認識を拡げることこそが再発防止において核となる部分だと考えています」。
譲渡や放棄できず
著作者人格権は「作品や作者の『名誉』や『思い入れ』を保護し、原作者さんの許諾を得ず、無断で作品を改変することを禁止した法律で、著作権(財産権)と異なり、譲渡や放棄できない権利です」と日本史史科研究会の中脇聖研究員が語っている。
この著作者人格権問題で想起させられたのは東京・世田谷区の区史編さんを巡る区と大学教員の対立だ(筆者はJCJ機関紙「ジャーナリスト」2023年5月25日号で記事を掲載)。区制施行90年を記念して地域の歴史を書いた区史を新たに作成するため区から編さん委員を2016年に委嘱された青山学院大学文学部史学科準教授・谷口雄太氏は、世田谷を支配した吉良一族の盛衰を含め中世史部分を担当した。17年から調査・研究活動を始めたが、23年2月に事前の話し合いもなくいきなり40人の編さん委員に執筆の条件として区史(24年から各部門を順次発刊)の著作権無償譲渡に加えて著作者人格権の不行使の契約を締結することを区は要請した。40人のうち一人は他の仕事があるという理由で辞退し、谷口氏だけが契約を拒否した。
史実の書き換えも
筆者の取材に谷口氏はこう答えた。
「自治体の場合、執筆者らに著作権無償譲渡を求めることはよくあります。行政ならヘンな行為はしないだろうという性善説に立つので執筆者らは承諾するケースが多い。問題は著作者人格権不行使の要請です。認めてしまえば、区の学芸員らの解釈で史実が書き換えられる、あるいは削除されても抗議はできないし、修正も受け付けてくれません。著作権譲渡と著作者人格権不行使の2つを求めた自治体は世田谷区が初めだと思う。歴史修正につながり、悪しき世田谷モデル≠ェ自治体に広がる可能性もある。撤回してもらいたい」
実は区は区史発刊に向けた準備として17年8月に冊子『往古来今』を作ったが、執筆者の谷口氏が著作者人格権と著作権の両方を侵害したとして抗議した。谷口氏は「人格権侵害については原稿を800カ所修正、著作権侵害の方は『世田谷デジタルミュージアム』に冊子を無断で転載」と問題点を指摘した。これに対して区は著作者人格権を含む著作権について誠実に対応すると答えた。
その約束≠反故にするやり方の背景には「2つの権利を奪えば、執筆者とのトラブルは防げる」(谷口氏)という区の強引な姿勢がうかがえる。
労組の支援受ける
谷口氏は区史編さん担当職員と2月末に話し合ったが、不調に終わる。協議を打ち切った区は3月31日に谷口氏の委員を解任。谷口氏は調査・研究の成果を発表する場を失った。
フリーランスとして業務委託契約を区と結んだ谷口氏は、フリーランスの編集者らが集まるユニオン出版ネットワーク(略称出版ネッツ)に入った。世田谷区による編さん委員の解任と正当な理由がない話し合い拒否について谷口氏への不当労働行為と判断した出版ネッツは、4月中旬に東京都労働員会に救済を申し立てた。
区長との対話要望
今日まで都労委の結論が出ない中、谷口氏を支援しようと区民が中心となった「世田谷区史のあり方について考える区民の会」が今年1月に結成された。芦原さんが亡くなった後の2月10日に第1回会合が開かれ、著作者人格権をないがしろにするのは著作者の命を奪うほど重い問題であることが議論された。
そうしたことを踏まえて区民の会は「区史の執筆者との著作権に関する契約書の見直しを求める要望書」を27日に世田谷区に提出する。保坂展人区長との対話の会を3月7日〜15日の間に開いてほしいと要望。4日までに区から返事をもらいたいとしている。
区と谷口氏とは昨年2月に1回話し合っただけだ。その後は区側が話し合いを拒んでいる。
保坂区長は「熟議」を看板にしている。この問題でもそれを実行すべきではないだろうか。