2024年06月20日
【寄稿】真の安全保障 続く米軍の性暴力=宮城晴美(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会)
1945年3月末から沖縄諸島に上陸した米軍が居座り続けて、実に80年。その間、彼らは強奪した土地に広大な軍事基地を建設し、住民への強姦、強盗、殺人、ヘリ・戦闘機事故など、無数の事件、事故を繰り返してきた。
被害女性含めぬ
人権回復の要求
米軍を前に司法も警察も非力で、被害者はただただ泣き寝入りを強いられるだけだった。そんな占領者に対して、沖縄人は弾圧されながらも米軍基地の撤去を訴え、人権の回復を求めて立ちあがった。しかしながら、そこには強姦被害の女性の人権は含められなかった。米軍事件のなかでもおびただしい数の犯罪であり、女性の尊厳を踏みにじる最悪の出来事であったにもかかわらずだ。
米軍上陸時の沖縄戦の混乱のなか、米軍は住民を救助する一方で女性を強姦した。時には男性も。
場所、年齢、時間帯など関係なかった。収容所の野戦病院に入院中、農作業中、共同井戸で洗濯中、夫の目の前……、そして居住地にもどってからも米兵は容赦なく民間地域に入り込んできた。
米軍基地が拡張されるなか、事件はその周辺で起こるようになった。
朝鮮戦争下の50年には、行政による米兵の犯罪対策として歓楽街が設置されたが、事件が止むことはなかった。むしろベトナム戦争下では、バーやキャバレーで働く女性従業員が強姦されたうえ殺害されるという事件が相次いだ。
米軍刺激避けて
犯罪件数非公表
すさまじく起こり続けた米兵による強姦事件。それでも、沖縄の施政権が日本に返還されてなお、被害の実数が公的に記録されることはない。
当時の強姦罪が親告罪であったことや、加害者が特定できない、あるいはメディアを含め周りの目(被害者の落ち度論=jを意識して訴えないといったケースもあろう。それ以上に「復帰後の外人事件の実数は、発生件数と検挙件数を同一数字として公表する警察庁の方針を採用。米軍関係を刺激しないよう未検挙の発生件数の公表は避ける」(「沖縄タイムス」73年8月26日)との姿勢は犯罪的だ。もはや二の句が継げない。
警察の数字だけでは事件の深刻さは伝わらず、軍隊の構造的暴力としての性犯罪の実態調査に着手したのが「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」(高里鈴代・代表)だった。
95年の米兵3人による少女への性暴力事件をきっかけに発足した団体で、その翌年2月、沖縄における米軍基地の駐留が女性や子どもたちに及ぼしている様々な被害について米本国の市民に直接訴えようと「ピース・キャラバン」を結成し、資料の一つとして「米兵による戦後沖縄の女性犯罪」を作成した。
「ピース・キャラバン」は、サンフランシスコをはじめワシントン、ニューヨークなどで国連職員や上下院議員スタッフ、研究者、学生などと交流し、意見交換を行った。
「沖縄・琉球弧の声を届ける会」第3回講座 脱軍事化 脱植民地化を
女性の国際的
ネットワーク
この訪問をきっかけに97年5月、米軍の駐留する沖縄・韓国・フィリピン・米国本土・日本本土の女性たちが沖縄に集い、国際女性ネットワークを結成。性暴力、アメラジアン、環境、地位協定問題をテーマに、それぞれの国の持ち回りで2年越しの国際会議を開催した。
その後、06年の米軍再編で沖縄の基地がグアムに移転することが公表されたことで、グアム・プエルトリコ・ハワイの女性たちが加わり、「軍事主義を許さない国際女性ネットワーク」の拡大結成となった。
沖縄では、米兵による性犯罪が今年も起きている。軍隊による暴力を断ち切るには、これまでの男性主導の軍事主義をフェミニストの視点で問わねばならない。米軍駐留地域で生きてきた経験を通して、女性ネットワークは安全保障の脱軍事化と脱植民地化をめざして活動を継続している。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年5月25日号