JCJ沖縄ジャンプ ナイトは4月27日、岩波 新書『ドキュメント 〈ア メリカ世〉の沖縄』の著 者、宮城修さん(元琉球新 報論説委員長)をゲスト に迎え、「民意のゆくえ」 をテーマにオンラインシ ンポジウムを開催した。
沖縄は日本独立の取 引材料とされ、講和条約 で日本から切り離された。
県民は米軍の土地接 収に抗う「島ぐるみ闘争」 で「土地は渡さない」と 決議した。15万人の集会 による最初の統一した意 思表明だった。
また「祖国復帰協議 会」が、宮森小学校への 米軍機墜落を機に発足。 民意の受け皿となった。 一方、琉球立法院は19 62年、「日本領土内で住 民の意思に反して不当な 支配がなされている」と 決議。国連の植民地独立 付与宣言を引用して加盟 104ヵ国に送付し、国 際社会を動かした。
1968年、琉球政府 初の主席公選では革新の 屋良朝苗が当選。屋良新 主席は「私の当選に示さ れている県民の願い、要 求、民意を率直に確認し て政治や外交に十分反映 させていただきたい」と 佐藤首相を訪問する日の テレビ会見で語った。
1971年、屋良主席 は施政権返還を前に「建 議書」をまとめ、急遽上 京した。建議書には「基 地のない平和な島」「戦争 につながるもの一切の否 定」など県民の要望がま とめられ、「沖縄は余りに も国家権力や基地権力の 犠牲となり手段となって 利用され過ぎた。このよ うな地位からも沖縄は脱 却していかなければなら ない」と「自己決定権」 が宣言されていた。
だが、自民党は主席の 到着直前に衆院特別委員 会で協定承認案を強行採 決。沖縄の頭越しに作ら れた返還協定の問題点を 指摘した建議書は無視さ れた。
1995年、少女暴行 事件をうけて大田昌秀知 事が要求した不平等な日 米地位協定の改定を国は 拒否した。
知事は、軍用地地主へ の強制使用手続きの代理 署名を拒否。「沖縄は本土 のマジョリティ―の幸せ の手段になることを拒否 する」と声明した。
2015年、菅官房長 官に辺野古新基地建設中 止を訴えた翁長雄志知事 は、「沖縄の自治は神話だ と言ったキャラウエイ高 等弁務官の姿と重なる」 と、「粛々と進める」と繰 り返す菅長官に抗議。
辺野古埋め立て承認 を取り消し「全てが国の 意向で決められるように なれば地方自治は死ぬ」 と危機感を表明した。
宮城さんの話は、改め て沖縄が国に強いられ続 けた理不尽な状況を浮き 彫りにした。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年5月25日号