2024年09月25日

【79年原爆忌】ドキュメント8・6ヒロシマ=JCJ広島支部取材班

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              撮影:田中 伸武 
 8・6広島の慰霊と平和祈念式は、例年通り公園の南半分中央部の原爆死没者慰霊碑前が会場だった。だが、今年は慰霊式典の前後4時間にわたって、平和公園全域で入園規制が敷かれ、なぜか鉄柵で封鎖された入り口もあって、「園内に入ることさえままならなかった」と訴える人たちもいた。手荷物検査実施ゲート=写真=が設けられた6カ所の公園入口には「再入園」の6時半検査開始を待つ長い列が周辺にでき、思いがけない「公園封鎖」の実態に直面して戸惑う被爆者と付き添いの家族連れや、式典の朝の公園の空気に触れようと内外から訪れた人たちの姿があった。

市民に戸惑いと混乱

 広島市北部の家から息子夫婦と一緒に公園を訪れた91歳の女性被爆者は、市が設けた「専用」出入り口と通路で原爆慰霊碑参拝をすませた後、息子に「毎年手を合わせる供養塔に行きたい」とせがんだ。
 だが、園内は「専用通路」を外れて自由に歩くことはできないうえ、時間も朝5時半になっていた。市職員には「6時半まで待てば、手荷物検査を受けて再入園し、供養塔にも行けますよ」と言われたが、「1時間も先では…」とあきらめた。

 入園規制の余波は式典会場、それも市が「先着順」「定員に達した時点で入場不可」とする被爆者・遺族席(約1600席)でも起きていたことを地元紙中国新聞が式典翌々日の8日付紙面で報じた。記事は「参列席の一角に空席」の見出しで「原爆慰霊碑前に用意した約7千席のうち、西側の被爆者・遺族席が少なくとも約500席空いていた」「一方で着席できずに立ち見する人も」いたと記し、「以前は会場に自由に入れたのに随分変わった」と嘆く、埼玉から5年ぶりの参列に来た祖父と叔父が被爆者という76歳男性の声を伝えた。
「入園規制に問題」とは書いていないが、読者は気付いたに違いない。

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              撮影:沢田 正
場所奪われたダイイン

 一方、新たに規制対象となった公園北東端の原爆ドーム周辺広場には、規制に反対するデモ隊が前夜から座り込み、警官・市職員と対峙した。
 未明から集会が始まり、「岸田首相・米・イスラエル参加の『戦争式典』を許さない」の連呼や演説が始まってにらみ合いに。
 午前5時、市職員が「滞留は市公園条例違反」と退去を呼びかけ。交代した警官も「無届集会は県公安条例違反」「公園管理業務への威力業務妨害だ」と警告を繰り返すなどし、「攻防」は、式典の原爆投下時刻8時15分の黙とうが終了し、デモ隊が行進に出発するまで続いた=写真=。
 だが、このあおりを受け1981年から40年以上も原爆ドーム前広場で原爆投下時刻に「ダイイン」をしてきた市民たちは場所を奪われた。メンバーはやむを得ず、電車通りを挟んで原爆ドームの反対側にある遊歩道に場所を移し、戦争反対と平和の実現を誓って地に横たわるダイインを約50人で敢行して「反戦平和」を訴えた。また、日本山妙法寺の僧侶約30人も、同じように場所を移し、うちわ太鼓をたたいて読経しながら「核兵器のない世界の実現」を祈った。

規制の目的何のため

 今回、原爆ドーム周辺の「攻防」で、市と警察は退去命令の法的根拠として市公園条例と県公安条例違反、威力業務妨害罪の3つを挙げた。しかし5月7日の全面的な入園規制の発表以来、市の市民活動推進課は一貫して「法的根拠はない」「市民の方々へのお願いにすぎない」と問い合わせに繰り返してきた。
 行政法が専門の田村和之広島大学名誉教授は「公園全域を式典会場と『みなす』という、ありえないことを前提にして打ち出した規制はどこから見ても使用実態がない。このような規制こそ、都市公園法・市公園条例違反だ。フェイク(嘘)まで弄して公園の自由利用を制限しようとした目的は何なのかが問題だ」と指摘する。
 「法的根拠もなく市民にお願いしているだけ」の広島平和記念公園8・6全面規制が、来年はどうなるのか。ヒロシマを取り巻く世界の状況と日本政府の動向を見たとき、規制強化は必至だ。私たちは今年「ヒロシマとナガサキで何が起きたのか」を9月の「不戦の集い」で取り上げ、広島、長崎両被爆地を結ぶ大きな議論を深めることで、この流れに抗う市民の輪を全国に呼びかけたい。
       JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年8月25日号
posted by JCJ at 02:00 | TrackBack(0) | 中国・四国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする