2024年10月11日

【追悼】元JCJ広告支部代表・運営委員 矢野 秀典さんが死去 人脈生かし例会、ツアー牽引=川田 マリ子

                  
3面左下 JCJ広告支部 矢野さん.JPG

 長年にわたり広告支部の代表で、本部の運営委員だった矢野英典さんが8月20日亡くなった。83歳。
 
 体調をくずし郷里の香川県に帰ったのは12年前、戦線離脱はさぞ悔しいことであっただろう。
 広告会社での分野はマーケティング。だからか誰彼かまわずと言っていいくらい人との接点を増やすのが得意だった。組合の役員として会社と闘いながら自ら職場新聞を作るなど、なんでもこなす人だったので、人脈を生かして支部として、時に市民団体とのコラボなどの例会を重ね私たちを牽引した。文字通り広告支部の顔だった。

 その頃の広告支部は、広告はジャーナリストではないという意識を持っていたので、少し遠慮をしながらも、遠慮せずに意見を言った。
 2008年にはベトナム戦跡ツアーを組み、ベトナム共産党本部を訪ね外務次官相当の方と面談したり、戦争時の若者の心情を描いた小説の作家バオ・ニンさんを訪ねた。その翌年は八ッ場ダム取材ツアーを行い、各分野から20人以上もの参加があったように、外へ出る人だった。
 こういう活動をしていても争いごとの嫌いな人だった。若い人に気軽に声をかける人だったので、彼の周りはいつも笑顔と笑い声に溢れていたように思う。面白いことをいって人を笑わせながら、ふと真面目なことを言う。幅広い好奇心を持っていた。

 口癖は「いろいろ大変なんだよ」。持論のひとつが「読まれない100行より読まれる30行」そして「JCJらしい人を呼ぶ、ではないんだよ。JCJらしい話をしてもらうんだ。誰でもいろんなことを考えているんだ」。今の社会の中で、どんな支部例会を、どんなツアーを考えてくれただろう。
      JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年9月25日号
posted by JCJ at 01:00 | TrackBack(0) | 追悼 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする