予想はしていたけれど関東大震災から101年となる今年も、小池東京都知事は理不尽に殺害された朝鮮人たちへの追悼文を送らなかった。その理由について小池都知事は「(犠牲となった)全ての方々に対して哀悼の意を表している」「何が明白な事実かについては歴史家がひもとくものだ」などと、テンプレのように答えている。
だが本書で安田が指摘するように、災害で亡くなった命と暴徒となった人たちによって殺された命を、一括りにすべきではないし、裁判資料や公式文書は数多くある。平安時代や室町時代の話ではない。歴史家が出る幕ではないのだ。
小池都知事に象徴される「史実を否定する人たち」に共通する要素は、「人を殺すような人たちは残虐で冷酷」との思い込みだ。その認識はあまりに浅い。多くの日本人が多くの朝鮮人を殺戮した事実から、僕らが身に刻むべき教訓は「多くの日本人は凶暴だった」ではなく「人はそれほどに多面的な生きものだ」と気づくことだ。状況によって紳士淑女にもケダモノにもなる。
ならば朝鮮人虐殺を誘発した状況とは何か。安田はその要因を本書で示す。震災時における混乱だけではない。もっと前から日本社会に胚胎していたその「何か」は、現在進行形で今も脈動し続けている。
安田は闘う作家だ。主要メディアの記者たちが自縄自縛する「公正中立幻想」には目もくれず、 ひたすら主観的に(結果的には公正に)日本社会に巣くう差別意識を炙り出し読者に突き付ける。(中央公論新社3600円)