暉峻淑子さんは、近著「承認をひらくー新・人権宣言」(岩波書店)の「おわりに」で次のように書いている。「私が本を書きたいと思う動機には・・・社会の中に、深いひずみが生じて、周りから悲鳴をあげる声が聞こえ、私の心がその悲鳴に共振するときでした」と。
「悲鳴の声」が筆者に届き、「深いひずみ」を素早く感得できるのは筆者が常に社会を凝視し、虐げられた人々、マイノリティに温かい目を注いでいるからであろう。そればかりではない。筆者はしばしば市民・民衆のなかに飛び込みその声を聞き、多様で複雑な現実の核心を捉え分析しその結果をわかりやすく提示してくれているのである。『豊かさとは何か』『対話する社会へ』に続いて本書もまた、現代社会の「ひずみ」を解き明かし進むべき道を提起してくれている。
グローバル化した資本主義経済が深刻な「貧困」を生み出し富の再分配を不可避としている。同時に「承認」に関わる問題もまた決定的に重要であることが提示される。承認とは「相互承認」であり、親子関係も家族や友人との関係もその原型。人間は社会に参加し他者との「相互承認」の過程のなかで自己実現とアイデンティティが「成就」されるのに、競争が強制され、自己責任論が一般化されるなかで格差拡大・社会的排除が極度に進み「承認拒否」や「まやかしの承認」が蔓延し、民主主義を掘り崩していることが明らかにされる。
貧困が生み出すさまざまな排除(承認拒否)、承認を求めて果たせなかった末の悲劇・犯罪((引きこもり、自死、拡大自死=無関係の人々の殺傷)、権力による不当・違法な承認(「モリ・カケ・サクラ」など)、逆に不承認(学術会議委員候補者任命拒否など)、ゆがんだ社会的承認基準(戦前の日本が典型)などなど「承認」に関わる深刻な具体的事例を法律、制度、制度の運用を含め詳しく紹介・解読・分析するなかで筆者は次のように読者によびかける。 承認とは、認めるという行為を行うとき、「真実、正義・公正・人権などの普遍的価値」や「妥当性」に照らし合わせて行う行為であり、そうした「相互承認」を浸透させることによって社会を変え、「民主主義に新しい命」を吹きこもう、と。ジャーナリズムへの問題提起でもある。