SBC信越放送
「サンダカン死の行進」とは大平洋戦争末期の1945年、マレーシアのボルネオ島で日本軍が島の東部のサンダカンから西部へ部隊を異動するためジャングルを行軍、日本軍兵士1〜2万人のうち半数が飢えなどで亡くなりました。そして一緒に連れて行った日本軍捕虜収容所の英豪の捕虜2434人は、脱走した6人を除き全員が亡くなりました。
私がこの事実を知ったのは、戦死した大伯父の戦友が書いた手記を手に取ったのがきっかけです。その後、東京に出張した際に国会図書館で資料などを調べ、2015年から取材を始めました。生き残った兵士の息子で死の行進について調査を続け、本を出したオーストラリア人の男性ディックさん。また戦犯として処刑された日本軍司令官のお孫さんも取材しました。2020年には日豪などの遺族が和解の旅を計画しましたが、コロナ禍でかないませんでした。そしてその間にお二人は亡くなってしまったのです。
亡くなったディックさんは著書の最後で日本人との和解を強く望んでいて、それを何とか実現したいと思いました。このため私たち、日英豪や日本兵に殺害された現地の人の遺族などはオンラインで30回にわたりミーティングを開いて意見を交わしました。
そしてようやく去年、ボルネオでの和解の旅が実現したのです。現場で具体的に話を聞きくとイメージと違う発見があります。一緒に回ることで世界観が変わっていくのです。国籍のことはついて回るのですか、国籍を超えて一緒に事実を積みあげていくこと、普段は離れていても直接会って話し合っていくなかで、戦争はいけないというところにみんなが収れんしていきました。
ボルネオの遺族のシンシアさんが、自宅に石碑を作りました。そこには、それぞれの国の遺族の名前が刻まれていたのです。こうしたことを実際に見聞きすることで戦争の教訓を引き継いでいく。これからもこうした教訓を忘れないようにして、しっかりと取材を続けていきたいと思います。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年10月25日号