筆者の原発取材歴は1972年ごろから。50年以上も一貫して原発労働の過酷な実態、事故の悲惨さを写真と文で記録し続けてきた。
前著の「原発崩壊」(合同出版)が絶版となり、写真を入れ替えての再刊。それでも色褪せた感じがしないのは、原発の問題自体が解決の糸口すら見いだせず、むしろ状況悪化の一途をたどっているからにちがいない。
2011年3月の福島第一原発の事故により日本人は原発の恐ろしさを肌で知った。 だが、それは遅すぎた。日米原子力協定が仮調印された1955年以後、この国は有り余る難題を承知の上で強引に原子力政策を進めてきた。白を黒と嘘を重ねた結果として、幾多の事故があり、そ
の延長線上で福島第一原発は爆発したのだ。
筆者が一番力を入れて伝えているのは、原発労働者の悲劇である。ろくな知識も与えられぬままに、高線量の発電所で下請け仕事をさせられ、体調を崩して働けなくなると「原発ぶらぶら病」などと揶揄された人々。「(原発企業は)社会的弱者を徹底的に使役し、搾取し、病気になればボロ雑巾のように捨てたのである」
彼らの証言を発表しようとすると、兄弟や家族が原発で働いているからと拒否されたことが多々あったという。そうして悲劇は闇へと葬られた。闇の上に胡坐をかき、原発は増殖したのだ。
福島第一原発の核燃料デブリの取り出しが始まった。高線量下で時間に追われ、危険な作業を担うのは、また下請け作業員だ。事故はいつ起きてもおかしくない。(現代思潮新社2800円)