総選挙後の臨時国会が11月28日に召集され翌29日、石破茂首相が所信表明演説を行った。その内容について30日の朝刊社説は、例外なく「演説の評価」を取り上げた。
「問われる『熟議』の実行」(朝日)、「熟議で開く未来が見えぬ」(毎日)、「目指す国家像が判然としない」(読売)、「国民に見える法案審議に」(西日本)、「対中認識が甘すぎないか」(産経)の見出しで、少数与党の政権に対して審議方法への注文に重点を置きながら内容を吟味した。産経のように「対中国問題」を中心に書いた内容もあったが、少数与党の石破政権に対して、これまでと違う国会審議を望むといった趣旨が目についた。
ところで、「石破演説」には「貧困問題」や「マイナ保険証による困惑」といった、国民が生活する上での「心配や不安をどう解消するのか」の視点が全くと言っていいほどなかった。
演説では「国民の皆さまの暮らしが豊かになったと感じていただくためには、現在や将来の賃金・所得が増えていくことが必要です。…『国民の安心・安全と持続的な成長に向けた総合経済対策』を策定しました」と言っていたが、「豊かにな」る前に、増え続ける「子ども食堂」が象徴するように「貧困世帯」が多くなっている現実を、どう認識しているのか。
また、12月2日から運用が始まった「マイナ保険証」については、病院通いが常態化している中高年齢層を中心に大きな不安が広がっている。しかし、演説にはその点には触れていなかった。日常生活で不安を抱えさせる「改革」を強引に始めた政府の責任について、政府は何らかの弁明なり説明が必要だったのに不問にした。
以上の2点について、各紙社説もまた、素通りしている。石破演説の中身を吟味するだけならば「石破作文に対する感想文」と言われても仕方がないのではないか。「社説」は、読者の生活に根差した視点で、石破演説を吟味して、論評をしなければ、「新聞の役目を果たした」とは言い難い。
新聞が「ジャーナリズム」の一角を占めているのは、政府のすべてをチェックしなければならないのはもちろんだが、その先にある「読者の生活」を見据えて説得力のある社説を求めるのは、ない物ねだりなのだろうか。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年12月25日号