2025年01月18日

【選挙】嘆く前に自壊から始めよう 兵家県知事選SNSショック 旧メディア自爆直視=下村 健一(白鴎大学教授/元TBS報道アナウンサー)

 新聞・テレビ・紙雑誌など“旧メディア”界隈の人々にショックを与えた、先月の兵庫県知事選。年越しで喉元過ぎて、来夏の参院選などでもっと大きな衝撃波を受けないように、今一度捉え直しておきたい。

斎藤支持の理由
 「旧メディアは嘘つき。パワハラ等は無かった」という熱烈型。「旧メディアは先走り。真相がまだわからないから、今のところ続投」という保留型。「旧メディアは一面的。パワハラ叩きばかりだが、一期目の実績を評価」という別視点型。―――斎藤元彦氏を逆転再選させた投票理由のタイプは様々だろうが、一致してあるのは旧メディア批判だ。
 だが当の旧メディア人は、保留型や別視点型の人々が言う「先走り」「一面的」批判に対してはまた今回も真正面から向き合おうとせず、ただ熱烈型の「嘘つき」批判だけを上から目線で嘆いていないだろうか?

嘆きが孕む誤認
 しかもその嘆きの中には、熱烈型の人々を《すぐ扇動に踊らされる思慮の浅い人達》と単純化して見下している大いなる誤認がある。実相は、その正反対だ。長年メディアリテラシーの講演で幅広い年代と接している私の体感では、「SNSで“真実”がわかった!」と言っているのは、むしろ《物事を自分でかなり調べてから判断しようとする思慮深い人達》なのだ。
 ただ、せっかく真面目にネットで調べているのに、そのネット自体に仕込まれているフィルターバブルによって、調べれば調べるほど狭い部屋(エコーチェンバー)の中に[自動的に]連れて行かれ、「自分で[能動的に]調べた結果、SNSこそが真実で旧メディアは皆ウソだ」という極端な結論に導かれてしまう。
 この“沼構造”を認識せずただ「SNS信者は思慮が浅い」と貶していても、「旧メディアこそマスゴミだ」とプライドの傷つけ合いになるばかりで、不幸な分断は深まる一方だ。

真偽より快不快
 打開する道は、大きく二つ。まず何と言っても、“沼構造”を皆が知る機会=メディアリテラシー教育の全世代への普及を猛烈に急ぐこと。そしてもう一つが、思慮深い人達に「旧メディアでは満足な情報が得られない」という飢餓感を抱かれない努力を格段に強めることだ。
 かつて無いほど根深い所で、今、私達の社会は情報を《真か偽か》ではなく《快か不快か》で選ぶようになりつつある。《快》でさえあれば真偽は二の次、という情報価値の恐るべき主役交代。そんな中で人々が旧メディアの情報を選ばなくなりつつあるということはつまり、真偽はさて置き旧メディアの報じ方を「不快」と感じる人が増えている証左だ。
 
 「先走り」「一方的」という不快感に対して、「一つ一つの言い回しをよく見て下さい。決めつけてなんかいませんよ」とトボケる、確信犯的な“木を見て森を見ず”話法を採っていないか。自らの報道が与える「全体的な印象」に無頓着で、自滅していないか。
 「隠してる」という不快感に対して、「諸規制や公益性、真実性に鑑み、それは言えないんですよ」に安住し、ただ“無いことにする”態度を採っていないか。「別の要素の存在も示唆する、ギリギリの表現を探す」努力を放棄して、自滅していないか。
―――兵庫ショックを、SNSの勝利という帰結よりも《旧メディアの自爆》という起点で直視して、次に為すべきことを考えたい。
     JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2024年12月25日号
posted by JCJ at 01:00 | TrackBack(0) | 選挙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする