今年は団塊の世代が75歳以上となり、社会保障財源などへの圧迫が強まるのだという。そこから「2025年問題」などという呼称まで生まれているらしい。
政府は、高齢者が増えると現役世代の負担増が必須になると強調してきた。それを擁護するかのように、成田悠輔氏による「高齢者の集団自決」論が世論をにぎわした。このような言説が、現役世代、最近ではとりわけ若い世代と高齢世代の利害は相いれないものだとする世代間対立の背景をなしている。
こうした状況の中でマスコミは、政府や一部野党の言い分である「税と社会保障の一体改革」を持ち上げ、財源となる消費税増税を主張する。それを回避すれば、ツケは将来世代に先送りされるのだという。
だが、ここには論点の大きなすり替えがある。社会保障や貧困問題の研究に取り組んできた唐鎌直義・佐久大学教授は、こう指摘する。「そもそも社会保障は、世代間で支え合うものではありません」(「赤旗」1.6)。税の社会的再配分(再分配)を行うものだという。わかりやすく言えば、同世代内で分かち合うものだということだ。経済的にゆとりのある層が、ない層を支える。つまり「応能負担の原則」、これが社会保障本来の基礎的概念だともいえる。
そこを意図的にゆがめているのが政府であり、マスコミは往々にしてそのお先棒を担いでいる。現実は、大企業減税や富裕層優遇税制が野放し状態にある。応能負担原則をないがしろにしたままで、低所得層により負担の重い消費税増税に頼る「一体改革」を進めれば進めるほど、社会的ゆがみは拡大してゆくしかない。
高齢世代をたたいたところで、いまある社会問題が解決しそうにないことは少し考えてみればわかりそうなものだ。だが、ここに一歩踏み込んでみるべき問題が存在する。筆者はこれに関連して「X」で少しばかりからまれた経験があるが、そこで気づいたのは、要するに高齢者を攻撃する多くの若者が本当に言いたいのは、自分たちが苦しんでいるということなのではないか。だから、頼るものが何もない自分たちからすれば、いろいろな制度があって恵まれているように見える高齢者をたたきたくなる。それでウサをはらしたくなる。
阿部彩・東京都立大学教授の貧困研究(「相対的貧困率の動向」2021、24)によると、この数年間に20代前半の相対的貧困率は目立ってアップした。若者の貧困状態が厳しさを増しているのだ。世代間対立を煽り立てているのは、政府やマスコミのミスリードによるところももちろんあろうが、同時に若者が実際に厳しい現実に追い込まれていることも大いに関連しているに違いない。
さきの唐鎌氏は「社会保障から遠ざけられている若い世代や非正規雇用に置かれた人の暮らしぶりにもっと目を向ける必要がある」と注意を喚起している。世代間対立をよりましな方向に持っていけるかどうかは、若い世代の悩みに具体的にこたえられるかどうかにもかかっているといえよう。
個人的には解決策の一つとして、住宅問題への取り組みを挙げたい。住宅政策を人々の貧困を包括する社会保障として立て直してゆくのだ。若い世代も公営住宅に入れるようにしたり(そのためには、現状の閉鎖的な公営住宅政策の見直しが必要だ)、普遍的な住宅補助の実現で住宅費負担を軽減したりできれば、それだけでも低収入の若い世代にとっては大きな助けになるだろう。何よりそれは、孤立感を抱いているかもしれない若い世代への社会の応援歌ともなるはずだ。