2025年02月17日

【オピニオン】国家賠償と核廃絶 被団協の訴えにどう応える=藤元康之(広島支部)

 「1994年12月、2法を合体した『原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律』が制定されましたが、何十万人という死者に対する補償は一切なく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けてきています。もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたいと思います」

 日本被団協の田中煕巳代表委員のノーベル平和賞受賞式演説で、私が一番感動したところだ。しかし、中継したNHKニュースや直後のテレビ朝日報道ステーションでは、何の説明も解説もなかった。翌日からの報道で「もう一度繰り返します」のところは、用意した原稿にはなく、「いまの世界情勢を考えると、繰り返して言わなければと衝動的に思った」と田中さんは明かしている。

 被団協の二つの基本要求は演説のなかで分かりやすく述べられている。一つは、日本政府の「戦争の被害は国民が受忍しなければならない」との主張にあらがい、原爆被害は戦争を開始し遂行した国によって償われなければならないという運動。二つは、核兵器は極めて非人道的な殺戮兵器であり人類とは共存させてはならない、すみやかに廃絶しなければならない、という運動である。

 演説は、原爆死没者への日本政府の補償と言っているが、意味するところは戦争を起こす全ての国家の責任を断罪しているのだと思う。米国による原爆投下から80年も経つのに、再び核戦争の危機が充満する世界にあって、戦争は誤った国策によって国家が起こすこと、それを止める大きな役割をジャーナリストが担っていることを、再認識したい。

 残念なことに、広島市の松井一実市長は記者会見で、国家補償を求める被団協の運動は、大切なことと述べながらも、世界から評価されたのは平和や核廃絶を訴える運動に限られているとの見解を述べた。この人は、パールハーバーと広島平和公園の「姉妹協定」締結や市職員研修で教育勅語を肯定的に引用するなど、私から見れば世間常識とはかなりずれていると思うのだが、今回も独自見解を披露してくれた。ただ、これも残念なことに広島のメディアでさえ大きく報じられなかった。

 フリー記者の宮崎園子さんのYahooニュースによると、田中さんは「核兵器廃絶と国家補償という私たちの二つの基本要求によって『核のタブー』が形成されたということについて、ノーベル委員会は適切に理解してくださっている」と述べ、ノーベル委員会からは、事前原稿ではなく実際のスピーチの内容を正式文書として残すとの説明を受けたという。

 日本国憲法前文は「日本国民は……政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し……」で始まる。80年前に終わった戦争は、政府=国家が起こしたと明記し、二度としないことを日本国民は決意した。しかし、自民党の憲法改正草案(12年)では、この大切な文言は削除され「平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する」と、戦争の反省も不戦の誓いも感じられないものになった。そして被爆地広島から選出された岸田文雄前首相は、米国の要求に従って、中国に対抗する軍事力増強に舵を切った。米国のトランプ新大統領は防衛費のさらなる増額を要求すると言われている。
 昭和100年、戦後80年のことし、年老いた被爆者の訴えに私たちは、どう応えるのか、きわめて大切な1年になる。
     JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年1月25日号
 

 
posted by JCJ at 02:00 | TrackBack(0) | オピニオン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする