2025年02月26日
【日本被団協】いまこそ核兵器廃絶へ= 田中田中熙巳さんメッセージ
人類への大きな貢献と世界の平和を目指して、制定されたノーベル賞の2024年度の平和賞に、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が選ばれた。12月の授賞式には、日本から多数の被爆者と支援団体の人々が参加、核廃絶の早急の実現を訴えた。授賞式で受賞演説をした、代表委員の一人、田中熙巳(てるみ)さんに、受賞をどう受け止めたか、忙しさを押してメッセージを寄せてもらった。 編集部
昨2024年10月11日夕、私たち日本被団協の役員の誰もが全く思いもかけていなかった「二ホンヒダンキョウ」へのノーベル平和賞授賞のニュースが流れた。当日まで開かれていた中央行動を無事終え、帰宅中の路上や車中で授賞を知った者も少なくない。私も自宅近くの路上で電話を受け一瞬耳を疑った。
事実は動かしがたい。帰宅を待ち受けていたのは報道各社の取材陣で、門外で取材を受けたが、記者から見せられたテレビは、体調不良で広島にいた箕牧代表委員が一人対応していた。
実は、私たち日本被団協の役員たちは、2017年のノーベル平和賞が、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)に授与されたとき、それまで度々有力候補と報道されていた日本被団協の名前が全く挙げられなかったことで、NATO加盟国ノルウェーのノーベル委員会には、米国が投下した原爆の被害者団体の日本被団協に授賞することに、何らかの政治的なためらいがあるに違いない、と詮索していた。だから、私たちにとって、授賞はまさに「青天の霹靂」というのがふさわしかった。
「核超大国のロシアが隣国のウクライナに侵攻し、あからさまな核兵器使用の威嚇で戦闘を長引かせている。中東ではイスラエルがパレスチナ自治区ガザ地区への徹底破壊を行い、多くの子供を含む市民に死傷者を出し続けている。また、核兵器不拡散条約国に参加していない核保有国の政府要人が核兵器の使用について広言した。広島、長崎以来80年、核兵器を使用させなかった障壁の高さを低くする危険な核兵器を巡る国際情勢に、ノルウェーのノーベル委員会も黙示できないとの英断があったのに違いない」―。
私は野外での記者団の質問にこう答えた。
とはいえ、1985年に初めて受賞候補に挙がり、その後も何度か期待しては諦め、そのうえで実現したノーベル平和賞である。受賞の喜びがじわじわと身体を熱くした。
とくに、嬉しかったのは、そのあと、ニュースの映像、新聞の記事などで確認できたノーベル賞委員会・委員長の簡潔で明確な授賞理由の詳細だった。
委員長による日本被団協の組織と運動とその成果についての具体的でかつ正確な紹介は、その認識に感動さえ覚えた。
委員長はその短い言葉の中で、「核のタブ」(タブー)という言葉を3回も使った。私は、その新鮮さと、日本の言葉としても使える含意に委員会の工夫があったのか、と思いを巡らせた。
21分にわたる代表委員としての私の受賞講演は、感動と好意をもって受け止められた。私も多くの被爆者も、残り少ない草の根の証言活動に、精一杯頑張ろうとの決意を促されている。
同時に、忘れられないのは、受賞を一緒に分かち合うことのできなかった多くの仲間のことだ。今回の受賞は、彼らが残してきたものを、次の世代の世界中の人々と生かして、核兵器のない、戦争もない世界を世界のすべての人々と速やかに作り出さなければ、との決意を呼び起こしている。
ノーベル賞委員会のヨルゲン・フリードネス委員長は授賞発表時39歳。授賞式典は40歳で迎えた。その推挙の言葉、授賞式での格調高い講演はノーベル平和賞の歴史に深く刻まれるに違いない。
委員長は、全ての報道機関が紹介した通り、「核のタブー」という言葉に光を当て、原爆被害者たちが体験の証言をとおして粘り強く訴えてきたこと。草の根の活動で、核兵器の使用の非道徳性、非人道性を深く刻みこんできたことを強調し、たゆまぬ運動で築き上げてきたこの言葉の重要性を強調した。そして、一国の首脳の威嚇の言葉として「核の使用」が軽々しく多用されることで、そのバリアーが限りなく低められ、実際に使われるという危機感を強くした。
盟国アメリカに対する気兼ねなどしている余裕はもはやない、と判断したに違いない。あるいは議会の構成の変化がノーベル委員会の人選で大幅な変化があったのかもしれない。
被爆者は年々高齢化し、原爆被害者の「自らの声を通して、核兵器も戦争もない世界の実現を強く訴えることのできる最後の年になるかもしれない」との思いも強い。
いまこそ、私たちは被ばく80周年を前にしたこの判断を全面的に生かし核兵器禁止条約の一層の普遍化と核兵器廃絶への世界の世論形成、強化を急がなければない。
JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2025年1月25日号