2009年08月09日

ネット時代とジャーナリズム不信の関係を考える(3)=桂敬一

―大メディアは独立メディアの育成・連携に動け―

 7月20日、角膜移植手術のため、急遽入院した。全身麻酔から覚めると、酸素マスクに眼帯、さすがに病室のテレビを見る気も起こらない。本も読めない。点滴が連日つづく。点眼、内服薬服用、検査の頻度も高い。これではベッドでぼんやり寝ているほかない。 FM、AM、テレビ音声がヘッドホンで聞けるポケット・ラジオをもっていったので、ニュースと音楽を聴くぐらいが、時間つぶし。ときはまさに総選挙。解散は21日。当然関心はニュースに向かう。しかし、各局の放送を追っかけて聞くうちに、なんだこれはと、愛想が尽きた。
 入院の20日、どの局も 「いよいよ明日は解散」 と、鳴り物入りで伝えた。そして、翌21日も 「今日は解散」、22日も「昨日解散」 だ。一つのあめ玉を3回もしゃぶらすような騒ぎ方が、繰り返されるだけ。いくらなんでもこれではニュースがもたない。そこで各局とも、大雪山山系の高齢登山者遭難、山口・防府市の豪雨・土砂災害などの「事件」を、もっけの幸いとばかりもてはやす。どこもかしこも金太郎アメだ。鳩山民主党代表は今度の総選挙を 「革命的選挙」と評した。また、どのメディアも、歴史的転換期のなかの総選挙と口では繰り返す。だったら、なぜそれほどの画期的な選挙なのかの意味を明確にすべきではないか。こんな体たらくだから、国民はメディアを見向きもしなくなるんだと、苛立ちが募る。

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*NPJ通信「メディアは今 何を問われているか」に飛びます。
posted by JCJ at 19:36 | TrackBack(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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