2010年06月05日

「臣には、まだ12隻の船が残っております」――哨戒艦「天安」事件に関する調査発表をみて――=金大鎬(キム・デホ)

2010.5.26 (C) 創批週刊論評:「創作と批評」誌週刊版
http://weekly.changbi.com

金大鎬(キム・デホ)/社会デザイン研究所長
訳=朴貞蘭(パク・ジョンラン) 監修=李 順愛(イ・スネ)

 1987年に起きたKAL858機爆破事件に対する、私の疑惑は、シン・ドンジン氏と会うことで明確に解消された。シン・ ドンジン氏は、2000年代の初めの頃、「安企部(訳注:国家安全企画部)捏造」に嫌疑をかけて、3年以上、「KAL858機失踪事件」 を取材した人である。これを基に、彼は、KAL858機関連疑惑を集大成したKBSドキュメンタリー<われわれは知りたい: KAL858機失踪者家族の訴え>を制作し、『KAL858、崩れた捜査発表』(チャンヘ、2004)という本も出した。
 また、この縁から、「KAL858機の家族会」の事務局長も務めた。ところが、驚くことに、シン・ドンジン氏は、盧武鉉(ノ・ムヒョン) 政権時代の2004年11月、国家情報院( 訳注: 安企部の後身。以下、国情院)がKAL858機事件を糾明するための 「過去の事件の真実糾明を通じた発展委員会」にも参加した。それも、国情院の要請と家族会の推薦を同時に受けて!

 もちろん、その時まで、シン・ドンジン氏は、「安企部の捏造」を疑っていた。しかし、膨大な捜査資料を自由に閲覧し、 関係者とも数多くインタビューしてから、ようやく捜査結果を信頼するようになったという。だが、彼が支持し信頼したのは、 1987年の大統領選挙前後に出された(中間)捜査発表ではなく、かなり時間が経過してから法廷に提出された最終捜査報告書である。

二つの捜査資料が明らかにした事件の核心的なあらすじは、特に異なってはいなかったが、その信頼性の差異は非常に大きかったという。 初期の捜査発表がずさんで捏造の疑いが強かったのは、当時の民正党、安企部、保守的な言論機関などが、 この事件を政治的に利用しようとする意図が明確であったためである。従って、多くの人々が長い間抱いていた疑惑も正当であったと思われる。

おそらく、ずさんだった初期の捜査発表だけを記憶し、参与政府(訳注:盧武鉉政権のこと)の時の「真実委」 の検証結果を知らない人々は、未だに捏造であったと考えているだろう。しかし、これは、彼等の責任ではない。むしろ、 政治的な目的でずさんな捜査報告書を発表し、全く関係のない国情院を疑わせた人々が非難されるべきである。

◇北朝鮮攻撃説と常識的な疑問の間

 多くの人々は、この時点で、北朝鮮が潜水艦で挑発をしてくる政治的理由がないと言う。しかし、私は、 北朝鮮の甚だしい閉鎖性と硬直性からくる時代錯誤を考慮すれば、過去に北朝鮮に侵入し、拉致、殺人、破壊などを平気で行ったと主張する 「北派工作員」たちと似たような心理を持つ人々が、朝鮮労働党や朝鮮人民軍にはいくらでも存在していると考える。だから、私は、 北朝鮮の潜水艦がこっそり浸入し、韓国の軍艦を攻撃した可能性を決して排除していない。

 にもかかわらず、哨戒艦沈没事件以後、5月24日の李明博大統領の談話にいたる一連の発表と事件には、 常識から外れた点があまりに多い。潜航した潜水艦を探知することが技術的に難しいということは認めるとしても、調査発表どおりなら、― 遠く公海上を回って浸入し、静かに待ってから魚雷を発射、そして、浸入した経路どおりに逃げたなら―、 少なくとも全軍に非常事態がかかった状況において、潜水艦が捕捉されないはずがない。この潜水艦の潜航能力の限界が明確だからである。 しかし、沈没直後の数日間、軍もアメリカも、北朝鮮側のどんな兆候も捕捉されないと言っていた。

 理解に苦しむのはこれだけではない。バブルジェットによる水柱に関連する陳述の不一致(哨戒艦の生存者のうち、 誰もこのような話をした人はいない)、火薬の匂いの不在、死んだ魚の群れの不在、ソナー(sonar)における異常な兆候の不在 (魚雷探知の不能)、船の破断面とスクリューの損傷状態、死亡者の身体損傷の状態、ヨノ型潜水艇(訳注: ヨノとは鮭を指す韓国語で130トン級の潜水艇のこと)の(攻撃に使用した)重魚雷搭載の可能性、魚雷の部品の錆び具合、 爆発の衝撃に続く50日間に海水の腐食に耐えた「1?」(1番)という青いマジックペンの文字、沈没前後のTOD(熱線観測装置) 映像の不在、航跡記録と交信記録の非公開、魚雷攻撃を受けたという生存者たちのマスコミとの接触の封鎖など、 常識的に考えて解消できない疑問点が未だに残る。

◇合同調査団は何を見逃したのか

 こうした疑問などは、批判的なマスコミで多く取り上げられている。しかし、魚雷による爆沈が事実であれば、 最も重要な証拠として採択されるべきであるにもかかわらず、軍と保守的な言論機関はもちろん、 批判的なマスコミと野党までが疎かに扱っていることがある。

 一つ目は、遺失した後に発見された哨戒艦の巨大な機関室である。機関室はディーゼルエンジン室とガスタービン室からなっているが、 前者は、5月中旬に(正確な時期は明らかにされていない)引き揚げられ、後者の方は、調査結果発表の前日になって引き揚げられた。 明らかなことは、合同調査団の発表どおり、機関室が魚雷の爆発によって至近距離で打撃をこうむったとしたら、 魚雷攻撃を裏付ける証拠の宝庫に他ならないということである。

もしかしたら、失踪した乗務員6名の、爆弾でふっとんだ遺体が発見される可能性もある。しかし、軍もマスコミも野党も無関心である。 5月15日に、劇的に引き揚げられたという魚雷の後尾部の部品は、どこから入手したものなのかも分からない―― 少なくとも輸出用のカタログから得たものではなかった――魚雷の設計図と共に、「決定的な証拠」として採択され、 未だにきちんとした結果が出ていないコンピューターのシミュレーションの映像さえも有力な証拠として採択されたにもかかわらず、である。

 二つ目は、爆発地点の海底の状態である。実際、爆発が起きていたら、海底にその爆発の痕跡がないはずがない。また、 その周辺には魚雷の破片が数多くあるはずである。それこそ、証拠の宝庫である。しかし、海底から引き揚げられた証拠は、 破片としてはとても大きくて申し分のない魚雷の後尾部の部品だけである。

 三つ目は、曲がったスクリューに対する多くの疑惑も、金属表面の精密調査をすれば解消できるのに、 やはり証拠資料として提出されなかった。

◇解消されない証拠に対する疑惑

 哨戒艦爆発の原因が魚雷であることを裏付ける証拠の中で、少数の利害関係者が捏造しにくいものは、 韓国地質資源研究院が捕捉した空中音波データくらいではないか。しかし、これすらも、 バブルジェットの音波の波型と哨戒艦沈没直後に捉えられた音波の波型が異なるという。大韓民国の国民として、 合同調査団の公式発表をできるだけ信頼したいが、常識的な次元から考えれば、到底それができない。機関室、爆発地点の海底面、死体の状態、 死んだ魚の群れ、無数の魚雷の破片、水柱、沈没直後の慌てふためいている生存乗務員の率直な陳述、TOD、 CCTVの映像などから事件後に捏造できない科学的な証拠がいくらでも出てくる可能性があるのに、どういうわけか、明らかにされていない。 結果的に、合同調査団が提示した証拠は、大半が、事件後にも捏造可能なものである。

 ある一部の人々は、「証拠の捏造」自体が大変に難しいのだから、軍の発表を信頼するべきだという。それは、それなりに一理がある。 事件後の捏造が難しいことは、たとえば、多くの人の発言に一貫性を保たせることの難しさ、行為が伴う数多くの物理・ 化学的現象まで作り上げることの難しさからもわかる。また、闇市場に出てくる古代遺物の真贋の検証過程からわかるように、 事後的に作り出された物理・化学的現象が科学的検証を乗り越えることは容易ではない。

 しかし、問題は、哨戒艦事件に関するかぎり、陳述の検証作業も、科学的な検証作業も、事実上、不可能であるところにある。 生存将兵を含むすべての証拠資料は、兵営で銃をかまえている哨兵によって、また、軍事機密保護法によって、徹底的に防御されている。 KAL858機事件の場合は、比較的簡単に接近できる証拠資料が少なくなかった。関わった民間の人々(主に外国人)もいたし、 小さい爆薬により起きた事件であったために、物理的検証も可能であった。何よりも、国情院は、捜査報告書に自信があったために、 疑惑説を体系的に、また執拗に提起してきたシン・ドンジン氏のような人を「真実委」に加え、関連捜査資料をすべて公開した。しかし、 哨戒艦に関連する軍と合同調査団の態度は、その時とは全く異なっている。

 もちろん、民間人の専門家と外国人の専門家を合同調査団に入れるには入れた。しかし、 3月末から4月初めにわたって提起された保守的な言論機関と国防長官の予断に公然と反旗を翻した民間人の専門家は、民主党が推薦した申想哲 (シン・サンチョル)氏(サプライズwww.seoprise.com代表)だけであった。

申氏の言葉を借りると、証拠への接近と独自的な調査活動はかなり難しいという。そして、 軍が主導的に選定した外国人の専門家に対しても、軍が莫大な武器と軍需品を輸入する力のある顧客であるということを考えれば、 信頼することは容易ではない。彼らが、外国の軍需品業者たちと直・間接的につながっているとしたら、 朝鮮半島の緊張が激化し北朝鮮の在来式武器の「優秀さ」が立証される事態は、韓国軍の戦力を増強する予算の爆発的な増加をもたらし、 とてつもないビジネスチャンスを提供するからである。しかし、 合同調査団の発表に公的な信用を倍加させた彼等外国の専門家たちはどこで何をしていた人なのか、誰がどんな経緯で選抜したのか、 誰も聞こうとしなかった。アイロニーである。いや、これは、野党の大きな失策である。天安艦の機関室の捜索のために、 もっと声を上げなかったことと、国会での調査特委を稼動させなかったこととともに!

◇「恐怖、義務、まさか」が、疑惑を抑えつける

 韓国の検事たちが被疑者を疑う目でみれば、いや、批判的な理性の目でみれば、今、北朝鮮の魚雷攻撃説を信じ込ませているのは、 科学的証拠ではなく、「恐怖」と「義務」と「まさか」である。韓国のスーパーパワーである保守的な言論機関と国防長官、 合同調査団と大統領と与党が皆、北朝鮮の潜水艦が犯人であると主張する。保守の論客たちは、反論する人々を公然と、親北左派であり、 有事の際には電光石火に除去すべき後方の敵だとみなしている。

大統領も、戦争記念館での特別談話を通じて、「国論を分裂させる行為」には銃口を向けるかのようであった。しかも、今は、 本当に局地的な戦争が勃発する可能性が高い。保導連盟の大虐殺事件(訳注:朝鮮戦争勃発時、 元左翼が集められていた保導連盟の人々が韓国政府によって虐殺された事件)も、それほど遠い過去ではない。また、 民主労働党の加入嫌疑をうけた教師(百数十名)の罷免など、厳しく懲戒する「常識の摘出」の狂風が吹いている。国家保安法も、 その姿を見せ始めた。

 こうした状況だから、恐怖をいだくのは当然である。恐怖だけではない。南北間が一触即発の対置状況にあるのだから、 軍の過度な閉鎖性(秘密主義)も容認しなければならないし、軍の発表は無条件に信じなければならないという義務があるように、感じる。 軍のずさんな発表に対して、批判的な想像力を働かせると、到底、認めたくない想像に至る。「まさか」が人を捕らえると言うが、 先進国に近づいている誇らしい大韓民国の軍がそんなはずがないと信じたいがために、首を横にふるようになる。「まさか」 が政府発表に対する疑いを押さえつけ、心地よくない想像を無視させるのである。

 しかし、私を最も慨嘆させたことは、証拠に対する科学的検証の問題ではない。恐怖、義務、まさか、 に押さえつけられている批判的知性でもない。むしろ、進歩と保守を超えた知識社会の歴史的教訓に対する酷い忘却である。人間が、 物質的な利害関係の前では取るに足りない存在であるという、人文学的洞察の貧しさである。三権分立、利益集団の牽制、文民統制など、 民主主義の基本哲学の貧しさである。この核心には、文民統制ができない閉鎖的な韓国軍に対する警戒と疑いの不在がある。同時に、原則、真実、 民族の運命との間に壁を作ってしまったまま、短期的な利益を得ようとする、実にめざといCEO出身の大統領に対する牽制装置の不在がある。

◇人文学的な洞察と民主主義の基本哲学の不在

 歴史を振り返ってみると、第一次世界大戦を始め、数多くの悲劇的な戦争は、最高統治者の世界観、価値観、利害関係に劣らず、 軍部のエリートたちの世界観、価値観、利害関係により起きてきた。しかも、現在の軍は、兵営にただ存在するわけではない。 天文学的な規模の国防予算を背景に、高価な武器と軍需品を購入する顧客として、数多くの国内外の企業及び専門家集団を管理・統制している。 しかも、知識と情報が権力である時代に、軍は、軍事機密という名目のもとに、合法的に多くの情報を独占し統制している。

まさにそのために、三権分立が徹底し、政府に対する各種の監視・統制システムも良く整えられている米国ですらも、 「米国の民主主義に対する新しく巨大な脅威」として、軍産複合体(military-industrial complex) が挙げられているのである。これは、1961年1月17日、8年間在任したアイゼンハワー大統領が告別演説で述べたことである。

 国防長官・海軍総長・哨戒艦の艦長と高級将校らは、哨戒艦沈没の原因がどのように結論づけられるのかによって、 その運命が大きく変わる利害関係者である。しかも、韓国において国防長官は、軍に対する文民統制の手段ではなく、 合同参謀議長と参謀総長の上にいる、事実上の上官である。特に、金泰榮(キム・テヨン)国防長官は、合同参謀議長から、 軍服を脱いですぐに長官になったのだから、何をか言わんやである! 国防長官の直接的な指示を受ける国防部の要職は、 ほとんどが軍人または軍出身者である。構造的に韓国軍は、文民統制がうまく働かないようになっているのである。

 哨戒艦の沈没以後、北朝鮮攻撃説を最も前面で提起したのは、「朝・中・東」(訳注:それぞれ朝鮮日報・中央日報・ 東亜日報のことを示す)であり、その先に立ったり後ろに立ったりした人物がまさに金泰榮長官である。だから、 天安艦関連の国会国防委会議での答弁の途中、VIP(李明博大統領)から、「発言に問題がある」というメモまで渡された。古今東西、軍は 「位階」と「一糸乱れず」を重視する。従って、軍の大先輩であり、合同参謀議長からそのまま栄転した国防長官の予断と意中が、 合同調査団に莫大な影響を与えずにいられようか? それは常識ではないか?

◇歴史上、最悪の「火田民」大統領

 李明博大統領はどういう人物なのか? 朝鮮王朝実録の伝統をよみがえらせて、 後世の厳正なる評価のために残した盧武鉉前大統領の膨大な記録を盗んでしまおうという意図がなければできない行為をすることで、 「大統領記録物管理法」の精神を完全に踏みつぶしてしまった人である。

おそらく、李明博大統領は、次世代の厳正なる評価のために、「マッサージ」されていない史料を残すという概念自体がないのであろう。 統治者の道徳的信頼という概念と最も距離のある人間である。短期的な利益ないし一時しのぎのために、 原則をあまりにも軽く考える旧時代的な人物である。だから、優れた戦功を立てなかったために、慣例上、 武功勲章の授与対象にはなりえない46名の死亡将兵に――生存した将兵には与えずに――、花郎武功勲章を与えたのではないか。

これは、大韓民国が存続する限り、永遠に栄誉になるべき武功勲章を、激昂する遺族をなだめるために使ってしまったことを意味する。 そして、合同調査団の発表どおりなら、哨戒艦の爆沈は、警戒の明白な失敗であり、最悪の敗戦であろう。また、 初動の対応の乱脈ぶりを克明にみせた事件として、軍の最高総帥権者としての責任の痛感の表明と関連者に対する問責があって当然である。

 しかし、李明博大統領は、リップサービスとしても、「責任の痛感」だとか「申し訳ない」だとかの言葉ひとつ言わなかった。 責任を追究して人事の措置をするどころか、むしろ、文民統制が働いていない状況では軍の代表であり核心の利害関係者(しかも偏向性も強い) である国防長官に、調査を主導させた。これもやはり、常識外れの行為である。こうした無原則、非常識の頂点が、 まさにずさん極まりない捜査結果を地方選挙運動の開始日に発表し、また、盧武鉉前大統領の一周忌の翌日に、 民族の運命に莫大な影響を与える措置が含まれた談話を、しかも戦争記念館で発表したその行為であろう。

 いくら考えても李明博大統領は、自分にとって短期的に利益になるなら、 下の人間から上げられてきた怪しい報告書を決して検証しない人間のように思える。 下の人間が行う無原則で非常識な行為を直接に支持することはないとしても、それを見逃すことで、ひそかにそれを助長するように見える。 こうした推測が合っているとしたら、盧武鉉前大統領の悲劇的な死と哨戒艦事件の根っこは同じであると言える。

結果的に、李明博大統領は、数百年の間、数多くの生命が生きていく林に火をつけ、 何年間かの高い収穫だけをかすめて去っていってしまう「火田民」的な政治家であると言える。彼の任期中、 またどれほど多くの林が廃墟に変えられてしまうのか、想像するだけでぞっとする。統治者の記録文化、検察などの機関の政治的中立化、 政治報復などの行為を自制し前任者を尊重する風土、対話と妥協の政治文化、権力をビジネスモデルとみなさない文化、軍に対する信頼、 大統領の発言に対する信頼、そして、世宗市、民主主義、四大河川、南北関係など、大切に育ててきた常識と原則という林が、 すべて廃墟に変わってしまった。

◇臣には、まだ12隻の船が残っております

 私は、李明博政権の誕生を、歴史の「順理」とみた一人である。当時、民主、進歩、改革を売り払った人々がとても情けなかったし、 李明博とハンナラ党が、彼等ができなかったことをある程度はやってくれる存在であるかのように、大衆の目には映っていたからである。私は、 レベルの高い保守政治がレベルの高い進歩政治の産婆役になることを信じたがゆえに、李明博政権の成功を心から祈っていた。

だから、2008年のキャンドル集会も、残念な気持ちで見守っていた。ところが、政権の出帆から2年余りで、 こんなにも歴史が急激に後退するとは思ってもいなかった。白昼に、常識と原則と批判的知性が殺されるという、 暗欝な死の時代になるとは思わなかった。

苦労して得られた民主主義と共和主義という遺産の中で、壊されてしまったものを数えるより、 残っているものを数えるほうが早い状況になってしまった。今、残っている遺産は、いったい何か? 幸いにも、拷問による「容共」捏造はない。 4・19を招いた投開票の捏造の可能性も、政治ヤクザもいない。軍部のクーデターの危険もない。そして、まだ、 このような文章をインターネットに掲載できるし、メールでも送信できる。どれほど幸いなことか!

 壬辰倭亂(訳注:文禄・慶長の役のこと)の時の「鳴梁大捷」(訳注:1597年、李舜臣が日本の豊臣秀吉軍に勝利した)直前、 朝鮮王朝の宣祖に「まだ12隻の船が残っており、李舜臣は死んでいない(?有十二 舜臣不死)」という長計(訳注: 先のことを見通した計画のこと)が差し出された場面が思い出される。私も歴史に長計を差し出したい。たとえ、 常識と原則が無惨に踏みにじられる野蛮の時代が津波のように押し寄せてくるとしても、未だ拷問も投開票の捏造もなく、 言論の自由の空間も多少残されているのだから、自覚ある市民と行動する良心が力を合わせ、投票を通じて、 この深い暗闇をゆうに追い払うことができると!

訳=朴貞蘭(パク・ジョンラン)
監修=李 順愛(イ・スネ)
2010.5.26 (C) 創批週刊論評
http://weekly.changbi.com

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