2010年07月10日

参院選:投票行動を通じて民意が指し示すもの メディアはいかにとらえるか

 参院選の投票日を明日に控えてもなお、昨年秋口に国民が起こした政権交代をうけて、 日本の政治家はいかなるビジョンのもとに新たな国づくりにいそしむのか、見えてこない。
 この見えにくく、煮え切らない状態を私たちはどう考えるべきなのか。片方の目に異常が出てしまったこともあって、 少し情報収集のスピードと量をおさえて、ゆっくり「名言集」の類に目を通したり、CDをつかって自らに耳から刺激を与えたりしていた。
「いかなる政府にも、人民の意思こそが唯一の正当な基盤である」(トーマス・ジェファソン)という言葉は、私たちにとっても、 政治家にとっても常にいつもで思いこせるようにしておきたい言葉の一つではあるが、この参院選で日本の政党は、 どこまでそのことに忠実であろうとしただろうか。選挙戦を目前に、鳩山内閣から政権を引き継いだ菅政権だが、普天間基地の問題、 労働形態の歪みと格差の問題、少子高齢社会をむかえながら国民を踏みつけにしてきた福祉制度の崩壊の問題など、 政権交代までに自公政権が歩んだ亡国の施策の数々を抜本的に見直し、新たな展望の端緒を切り開くことが、 新政権が担うべき役割だったわけだが、菅政権は交代のタイミングを活かして、それを十分指し示すことができたかというと、 到底おぼつかないというのが実際のところだろう。

(JCJふらっしゅ:Y記者のニュースの検証=小鷲順造)

 というより、自ら消費税論議に世論を引き寄せながらも、それは国づくりのビジョンを打ち出す姿勢ではなく、党派を超えて税・ 財政の問題を考えましょうというものでしかなかったわけだから、その効果は、 自民党政権をバックアップしてきた旧支配層に属する各方面に対して、政権交代したけれども「前政権とそう変りませんよ、だから退潮・ 分裂の時代に入った自民党でなく、これからは私たちを全面的にバックアップしてくださいな」 というメッセージを送り込むところへの期待にとどまる、ものとなっている。発売予定の製品の写真ではなく、 完成予定の模型やCGだけを載せた意味不明のカタログに過ぎない印象が強い。

 西日本新聞は7日付の社説に<普天間問題 「触れない戦術」は姑息だ>を掲げて、<つい1カ月前まで、 あれだけ議論が沸騰していた米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題が、なぜか選挙の争点になっていない。 鳩山由紀夫前首相の辞任理由になった大問題である。日本の安全保障の在り方や日米関係を考えるとき、 避けて通れない重要政策課題でもある>と問題を提起、<菅直人首相に衣替えして引き続き政権を担う民主党は当然、 普天間問題をどう解決していくのか、選挙を通じて具体的な方策を国民に示す責任がある>として、<菅首相は「沖縄と基地」の将来像を含め、 自らの安全保障の考え方と政策を率直に語るべきだ。それが結果的に、こじれた普天間問題の糸を解きほぐす近道になる>と提言、 <先のオバマ米大統領との会談で「沖縄の負担軽減の必要性」で一致したことで菅首相が問題解決の道筋がついたと考えているとすれば、 とんだ思い違いだ。普天間問題の本質は対米懸案ではない。 安全保障コストをめぐる日本の国内問題であることを忘れてはなるまい>と釘を差した。

 普天間基地の問題に関連して、朝日新聞は6日の社説として<選挙と外交―内向き論戦に出口はない>を掲げ、<どんな国であれ、 内政と外交は切り離せない。とくにグローバル化時代はそうだ。消費税、年金改革、少子化などの課題が山積しているからといって、政治が 「内向き」で外交戦略を怠ると、国内での成果もやせ細る。にもかかわらず、参議院選挙戦では、 対外政策や国際社会との付き合い方をめぐる論戦が低調なままである>と書き出しに記した。この社説の細部については異論もあるが、 <国際社会では、他国や人々の共感を得るソフトパワーの比重が高まりつつある。この流れは、強制(軍事)と競争(経済)に偏らず、 日本らしく影響力の強化をはかる好機だ。(中略)政府や企業から独立した超党派のシンクタンクをつくり、そこを知恵の拠点にする。 海外からの論客も招き、世界を動かす政策を提言する。外交でも「新しい公共」を切り開いてみてはどうだろうか>との提言は、 今後の日本の政治が歩むべき方向のひとつを示しているように思った。

 西日本新聞はまた、翌8日付社説で、<憲法 「選択の判断材料」なのに>を掲げ、<ことし5月の国民投票法施行で、 憲法改正の賛否を国民に問う国会発議が法的にはいつでも可能になった。にもかかわらず、 消費税論争の陰に隠れて憲法をめぐる論戦は低調だ>として、次の指摘をした。

 <護憲を明確にしている共産、社民両党や自主憲法制定を訴えるたちあがれ日本を除いて、 与野党の多くは憲法を選挙の争点にしようとはしていない。消費税増税をはじめ、景気や子育て、年金や医療、 介護など国民生活に直結する政策課題に比べると、憲法は切迫した政治課題ではないかもしれない。確かに憲法論争は一時より下火にはなった。 憲法改正を初めて政治日程に乗せた安倍晋三首相の時代には、改憲勢力は高揚し、護憲派は危機感を募らせた。 その熱気は3年前の参院選での自民党大敗と安倍首相の退陣でうせたが、 国会議員の3分の2以上の賛同で改正の賛否を国民に問える仕組みが整ったいまこそ、憲法改正の現実味はむしろ増した。
 そう考えれば、今回の選挙は重い意味を持つ。私たちの「国のかたち」と「生き方」 を方向づける憲法の行方を託す政党を選択する大切な機会である。だからこそ、各党が憲法問題をどう考え、どうしようとしているのか。 有権者は各党の憲法観と憲法改正問題への対応を知っておく必要がある>。

 また北海道新聞は9日付社説に<10参院選 共通番号制度 増税の地ならしは困る>を掲げ、国民の所得を正確に把握するために、 一人一人に番号をつける共通番号制度の導入に向けて政府が具体的に動きだしたことについて、 <政府が番号制を透明な税制の構築に生かすというなら、公平性が担保できる税制そのものの改革にまず取り組まねばならない。見逃せないのは、 菅直人首相が検討会で、消費税増税に伴う基盤整備のために番号制の導入を急ぐ方針を示したことだ>と指摘して、<首相は、 参院選の遊説でも低所得者対策の重要性を訴えている。しかし、消費税はもともと低所得者ほど負担感が増す「逆進性」が高い。 低所得者への手当ては、現行制度の下でも必要な措置だ。番号制の制度設計は、 消費税率引き上げの是非や逆進性対策とは分けて考えるべきだろう。番号制導入が増税に向けた地ならしになるようでは、 国民の理解は得られまい>
と提言した。

 上記、北海道新聞の指摘する種々の言い回しのなかに、菅政権の体質や課題がそのまま出ている。
「是非や対策とは分けて考えるべき」
「慎重な検討と万全の準備」が必要
「国民への丁寧な説明を欠いたまま、導入を急ぐことがあってはならない」
「導入が〜に向けた地ならしになるようでは、国民の理解は得られまい」

 政権が早くもさらけ出している課題は、消費税やそれに関連する施策案にとどまるものではない。民主党政権そのものの、力量、 これまでの政党・政治家としての蓄積、積み上げの度合いが疑われて当然といわねばならないほど、言葉が軽く、曖昧で、 壁に突き当たると実態を隠すことに汲々として別のところに重点を移し、自らの誠意ややる気を隠しこんでしまう。 これでは国民の理解は得にくい。国民は菅政権に対して、「大きな失敗にあえて踏み込むことのできる人物は、 また大きなことを成し遂げることもできる」(ロバート・F・ケネディ)と大目に見ることさえ難しくなっており、「小さな事柄に留意せよ、 わずかな水漏れが大きな船を沈めてしまうからだ」(ベンジャミン・フランクリン)という警句を共有すべき時なのではないかと、 発足したばかりの菅政権と各党の状況をよくわからないまま、不安と不満の解決策・ 出口を求めて投票のときを待っているというのが実際のところかもしれない。もちろん、 だからこそメディアには目先の断片的な情報に右往左往して報道しているつもりという自己満足に陥るのではなく、 いま国民が共有すべき政権の本質と実態を伝える報道が求められることは言うまでもない。

 東京新聞は8日付社説に<国会議員削減 助成金も仕分けしては>を掲げた。
 同社説は、厳しい経済情勢下、議員自ら身を削る姿勢をアピールする狙いをもって、 <主要9政党のうち6政党が参院選で国会議員の定数削減を公約に掲げている>ことを問題として取り上げ、 冒頭から<320億円に上る政党助成金も削ってはどうか>と提言した。

 民主党は衆院の比例80、参院で40程度の削減、自民党は衆参合わせた定数を6年後に3割減の500に削減する案を掲げ、新党改革、 たちあがれ日本、みんなの党も具体的な数字を挙げて定数削減を主張し、公明党も選挙制度改革に合わせた削減を打ち出していることから、 定数削減に反対し、比例中心の制度への移行を訴える共産、社民両党と、 公約に明記していない国民新党を除く各党による削減競争の様相となっていることを、同社説は指摘して、 <国会議員自らが身を削る姿勢を示すことで、支持拡大を図ろうとしているのだろう>と、「議員定数削減」 を唱える各党の動機をすっきり抉り出した。

 特に消費税率引き上げ論議をにらむ民主党は、<増税に踏み切る前に、特権的待遇を受ける国会議員の定数を削減しなければ、 国民は納得できないだろうことは理解できる>としつつ、<とはいえ、議員定数削減は象徴的な意味の方が強い>と、 以下の具体的な数字を挙げている。<例えば、衆院議員一人当たりの歳費・期末手当、立法事務費、文書通信交通滞在費、 公設秘書給与の総額は年間約七千万円。衆院で定数を八〇削減しても六十億円弱程度の予算削減にとどまる>のである。

 <だとしたら、歳費などに加えて政党助成金も「仕分け」対象にしてはどうか。共産党以外の政党が320億円を「山分け」しており、 国会議員が身を削るなら、この方がより実質的な意味がある>こと、そして、さらに懸念すべきこととして、 <民主党が衆院の定数を比例代表から削減しようとしていること>を挙げ、
1)比例定数が減れば、少数政党は議席を得にくくなる。二大政党化に拍車が掛かり、民意がより鋭角的に反映されるようになるとはいえ、 少数意見の切り捨てにつながるのなら見過ごせない
2)衆参両院の「一票の格差」を是正することも喫緊の課題だ。
 の二点の課題の重さを明確にして、<議員定数は単純に削るのではなく、衆参両院の役割をどう定義し直すのか、 選挙制度をどう変えるのか将来像を描く中から、適正な定数を導き出すべきだろう>
 と提言した。

 この「国会議員削減」問題については、毎日新聞9日付「余録:国会議員の定数問題」が参考になる数値を挙げて、 <国会議員の数や選び方は、民意をどういう形で国政に反映させるかという民主主義の基本にかかわる。あと2日となった熱い戦いのあと、 各党で冷静に論議を深めるべきテーマ>であることを指し示している。

1)日本の国会議員は多いのか少ないのか。衆院1議席あたりの人口を欧米諸国の下院と比べると、 日本の26万5000人に対し英国とイタリアが9万5000人、フランス10万9000人、ドイツ13万2000人で、米国が73万人だ (国立国会図書館調べ)。日本が多いとはいえない
2)なぜ「定数削減」のスローガンが出てくるのか。共通のキーワードは「信頼を取り戻す」だが、 政治への信頼は議員の数を減らしただけで取り戻せるものではもちろんない
3)「議員定数削減を含めしっかり実現したい」菅直人首相の狙いが増税批判かわしにあるのだとしても、 政治家が自ら身を削る覚悟をもつのは結構なことだ。本気度は今後試される
4)ただ、議員減らしを少数政党いじめにしてはいけない。国会議員の数や選び方は、 民意をどういう形で国政に反映させるかという民主主義の基本にかかわる。

 こうしてみてくると、民主党の政権運営の方法が、いかに粗雑なものであるか、浮かび上がってくる。自民党の退潮・ 分裂の傾向に歯止めがかからないにもかかわらず、民主党は、依然、民主対自民の二大政党の構図から抜け出せないでいるかのようだ。 トップが政治とカネの問題で糾弾されつづけ、そして在日米軍基地の課題で少しも存在感を示すことができなかったふがいなさなどから、 民主党は参院選候補者の擁立をめぐる表面的な勢いを余所に、内実は民主対自民の構図に足をからめとられているか、もしくはそこ以外に 「たたかい」の姿勢を示す場所を見出せないという、旧態依然の袋小路に陥っているということだろうか。

 政権交代を成し遂げたのは国民である。この歴史的分岐点にあって、 過去の負の遺産を徹底して見直していくプロセスにあってよい政権が、こうまでへっぴり腰では、 ようやく21世紀の幕開けをむかえたはずに日本の政治状況は、まったく気の抜けたビールのようである。 国民からも強く湧き上がった小沢バッシングのなかには、政権の座についた民主党に対して、 断じて自民党政治に逆戻りするなという駄目押しの気持ちが強くあり、それは戦後の自民党政治からの脱皮、 新たなステージへの飛翔を確実にしようとする民意ではないのか、と私は感じるところがあったが、この間のそうした民意による新政権「検証」 作業のなかで、民主党は自民党に距離を縮められ、民主対自民の二大政党の構図に自ら埋没し、消費税では自民党提案の「10%」 も参考にしたいと菅首相が口にする体たらくに陥っている。

 これでは政権交代を機に、一足早く政権交代を果たしていた米国に対して、「日米軍事同盟」を抜本的に見直し、 沖縄に集中する米軍基地の問題をアジア全域・地球社会のありようの問題の視点から米軍の存在、 担うべき役割を根本から時代対応させていくプロセスとともに解決していこうとする道筋を描き出せなかったことと同様、政権交代の意味・ 意義を政党・政治家の側から描き出せないという点において、政権交代を成し遂げた国民をがっかりさせる状況にほかならない。 世界から何十年も遅れてようやく成し遂げた日本の民主革命を、 それを成し遂げた国民とともに喜び合う姿を国内外で確認しあうことができずに終わったことも、民意は、 いいかげん自民党政治を卒業する民主革命を希求こそしたが、民主党の政治家個々、 面々に対する信頼という点では手放しで喜べる状況ではなかったことを、そのまま指し示しているともいえるのだろう。

 昨年の政権交代を機に、民主党と連立を組んだ社民党や国民新党はそれなりに存在感を示しているが、 自民党の沈没を早期に予期して外へ逃げ出した面々のうち、石原都知事が後押しする政党は新たな日本の政治状況のなかでそれなりに位置づく 「保守」のスタンスを掘り下げ発見することができるのか、それとも「極右」と称されるような勢力へと堕していくのか。また「みんな」 という名をつけた新政党も、ほかに「無難」という点で同様の存在を見出しにくいところから、メディアの点数付けの甘さもあって、 世論調査ではそれなりの支持をうけるバブル状況にあるが、民主党が民主対自民の二大政党の構図に足をとられている限りは、 浮遊し続けるほかない心もとさを感じさせ続ける存在でとどまっている。

 私としては、自公政権を退場させ、民主党を主軸とした政権を誕生させたエネルギーは、その後も、国会の勢力図を民主・共産・社民・ 国民新の4党が塗り替え、日本の政治の抜本的な改善を遂行する時代を志向していると感じている。今度の参院選が、 選挙期間中のTV報道が相撲界の野球賭博やサッカーの話題で半分以上占められていたにせよ、 各種世論調査は国民の投票行為への高い意欲の存在を示唆しており、どこまでいま私たちが直面し、 問題解決していくべき重要課題を共有しているのか、確認していきたいと思う。メディアはどこまでそれを抉り出し、読者・ 視聴者に提示できたか。あるいは不十分だったか。あるいはミスリードしたか。種々のパラメータをもって、 検証すべき多くの課題を私たちは共有していることだけは事実だろう。

 ところで、民主党の体たらくの一方で、政権から脱落して退潮・分裂の時代に入った自民党は、依然、 時代認識を改められないでいるようだ。
 時事通信によると自民党は7日までに、参院選で民主党への投票を呼び掛けた「日刊ゲンダイ」の記事が、 公職選挙法が禁止する法定外文書や脱法文書の頒布に当たるとして、中央選挙管理会に大島理森幹事長名の質問状を提出した、という。自民党は、 日刊ゲンダイは参院選期間中、「迷わず民主党へ投票しよう」「いまさら『自民に投票』は時代遅れだ」などの見出しの記事を掲載したとして、 その質問状で「民主党と同党公認候補への投票を直接かつあからさまに求める表現だ」とし、公選法に抵触すると指摘したというが、 政権にあった当時も自民党は放送に対する不当な圧力をかけたり、 局の側がお上の意向を忖度して番組内容を改変するなど民主主義社会においてゆゆしき事態を引き起こしてきたが、 その民主主義を体内にきちんと取り込もうとしないおかしな体質は野党になっても変わっていないようだ。

 この件について、ここで詳細に入り込んだ議論は割愛するが、自民党がかみついた印刷媒体「日刊ゲンダイ」の事例は、 今後の日本のメディア社会と言論表現の自由のビジョンを明らかにしていくうえでも、この際、 徹底的な議論と検証を付す一事例としてもよいのではないだろうか。放送法で種々の規定をうける放送局をめぐる事例ではないが、 自民党のメディアに対する姿勢は、本来、「他人をとがめだてする前に、時間をかけて自省してみるべきだ」(モリエール) という言葉を思い出してしかるべきケースが多い。政権にいようと野党の立場であろうとメディアの内容に介入しようとし、まして 「話題にされないよりはいい」ということさえ認識していないご様子。

 冒頭に挙げた「いかなる政府にも、人民の意思こそが唯一の正当な基盤である」(トーマス・ジェファソン)につづく言葉は、 「ゆえに人民の表現の自由を守ることが当然私たちのなすべき第一の事柄である」 という第3代米大統領の言葉をよく噛み締めたうえでの行動なのかどうか、疑いたくなるのも事実である。こうしたところからも、 自民党は少しも反省していないのではないか、と感じてまう。いつか政権に返り咲こうという意欲のほどはわかるが、そこに 「われらほど政権にふさわしい者はなく、返り咲いたときにはみておけ」といわんばかりの圧力を振りまかんとする姿勢のようにも感じられて、 人の世の哀れを感じるのと同時に、「ほとんどすべての人が逆境には耐えられるものである。だから、もしある人物の人格を測ろうとするならば、 権力を与えてみるとよい」(リンカーン)とする言葉をまた、思い起こしたりしてしまうのである。その自民党に、再度政権を付託する「予兆」 を与えようとする人がどの程度存在しているのだろうか。

 16代米大統領・リンカーンは、「一定期間、すべての人をだますことはできる。幾人かの人をずっとだますこともできる。しかし、 すべての人をずっとだますことはできない」という言葉も残している。自民党はまず、 この言葉を深く噛み締めなおすことから始めるべきなのではないか、とも思う。

 自民党との選挙協力を野党転落に伴い公式には解消したはずだった公明党は、 今回の参院選では全体の7割の計33選挙区で地域レベルの協力関係を続けていることが、毎日新聞の取材で分かった。同党の山口代表は、 参院選前に「党対党の選挙協力は考えていない」(毎日新聞)と明言して、自民候補の推薦を見送ったが、地域レベルでの協力は容認し、各地で 「友党関係」は続いているという。記事によると、自民党県連と公明党県本部が実質的に協力し合ったり、 統一地方選の協力を担保に自民党の地方議員が支持者に「比例は公明」と呼びかける「非公式協力」も21選挙区に広がっているという。また、 29ある1人区では23選挙区で自民党との協力が成立しており、そのうち12選挙区で自民候補が優勢、4選挙区で民主候補(推薦も含む) と接戦になっているという(毎日新聞の中盤情勢調査による)。

 この参院選は、昨年の総選挙で政権交代を実現して見せた国民の、さらなる民力の高さを示す機会である。後ろ向きと内向きをつづけ、 驕りと自己満足にふんぞり返った自公政権の負の遺産は払拭されていない。
 その作業に取り掛かっているべき民主党政権のあゆみは、よろよろと当面のゴールへの道筋を踏み外してばかりいる。 国民が政権交代を成し遂げる際に期待した4党のうち、民主には稚拙・荒削りを脱する体勢の組みなおしを求めたい。また、共産・社民・ 国民新の各党には、それぞれここでもう一度、現状の迷走を俯瞰して日本の政治のタガを締め直し、 政権交代の意義と果たすべき役割とを明確にして、新たな国づくりの道を勇躍前進させるよう求めたい。参院選の投票行動を通じて、 民意は自公政権時代への逆戻りを志向することなく、 各党に対して叱咤と激励とをこめた力強い要請と要求とを突きつけていくことを期待してやまない。注目すべきは、 投票行動を通じたその民意のメッセージの表明の仕方、伝え方であろう。そしてメディアは、 投票行動にこめられた民意をきちんとキャッチできるか、それをしがらみやこれまでの習性に基づいて安易にミスリードすることなく、 これから政治の改革に、前進に活かす報道へと結び付けていけるか。それが大きな課題となっていることを見過ごすわけにはいかなくなっている。

(こわし・じゅんぞう/ジャーナリスト会議会員)


日刊ゲンダイ記事で質問状=自民(時事通信)
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/politics/jiji-100707X938.html?fr=rk
与党、過半数は困難 朝日新聞終盤情勢調査(朝日新聞)
http://www.asahi.com/politics/update/0708/TKY201007080575.html?ref=goo
参院選:33選挙区で自公協力 統一選にらみバーターも(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100706k0000m010083000c.html
普天間問題 「触れない戦術」は姑息だ(西日本新聞)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/182952
選挙と外交―内向き論戦に出口はない(朝日新聞)
http://www.asahi.com/paper/editorial20100706.html
憲法 「選択の判断材料」なのに(西日本新聞)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/183162
国会議員削減 助成金も仕分けしては(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2010070802000083.html
’10参院選 共通番号制度 増税の地ならしは困る(北海道新聞)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/240646.html
余録:国会議員の定数問題(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20100709k0000m070130000c.html


 

posted by JCJ at 17:05 | TrackBack(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック