人権・
自由の保護は国家の責任 中国も認める理念で議論を
尖閣問題と劉暁波ノーベル賞の日本の報道について、中国にいて感じることを書いてみたい。
尖閣諸島が日本の領土であることは、日本の政界、メディアのほとんどが一致していると言っていいだろう。
中国が漁船事件を機に報復的な措置に出てくるのは正直言って見苦しい。日本メディアも理不尽な中国をたたくという構図になる。
考えたいのは、中国は本来、論と理屈の国なのだが、いまは日中とも「議論・論争」が欠けているという点だ。
中国の論立ては@12世紀ごろから中国の文献にでてくるA日本は1895年、日清戦争のどさくさに尖閣をかすめとった、という2点だけだ。
前者は領土問題で重要な「先占」の概念が欠けているし、後者は歴史的事実や前後関係を踏まえていない。
日本でもこの点を意識して追求し、中国の言い分は成り立たないとの見解を出しているところもあるが、
メディア全体としてはきわめて不十分だ。
議論では肝心な点を突かないと相手は痛くない。論争・批判はメディアが本来得意とするところだろう。スケールの大きな報道が望まれる。
大きなスケールの論立てと言えば、劉氏のノーベル平和賞報道についても言えるのではないだろうか。
基本理念としては、「内政干渉は避ける」が、「自由と民主主義の理念」
については体制のいかんを問わず前進させていく必要があるという点だ。
中国は「政治改革は進めるが、中国にふさわしい方法でやる」と主張する。ここで日中間の議論は止まっているように見える。
だが中国がこれまで認めてきた理念を提示して論議することは必要だし、可能だ。
例えば、1993年の世界人権会議が採択したウィーン宣言は中国も賛成したが、「すべての人権、基本的自由の助長と保護は、
体制のいかんを問わず、国家の義務である」とうたっている。
ここへ踏み込んで議論を進めることは、政治家はもちろん、ジャーナリズムとしてもやらねばならぬことだ。
ただ、留意しておくことの一つはノーベル平和賞の「政治性」である。
少なくない日本人は、米国のベトナム戦争をひたすら支持し続けた佐藤栄作元首相に同賞が贈られたことをいまだに怒りをもって思い出す。
劉氏があまねく称賛されるに値するか―。この点では、「彼の思想は(略)米国型の民主・社会のあり方を唯一絶対のモデルとする傾向が顕著」
「米国のイラク侵攻(イラク戦争)に対しても、当初、肯定的な評価を下していた」(宇野木洋・立命館大教授、日中友好新聞11月5日号)
とする研究者の発言があることを紹介しておきたい。(北京在住)
(JCJ機関紙「ジャーナリスト」2010年11月25日号より)

