2010年12月07日

「情報流出」とウィキリークス 何が公益で何が危険か=新聞2紙の社説から

 5日、毎日新聞は社説に<論調観測 ウィキリークス 何が公益で何が危険か>を掲げた。東京新聞も同日の「【社説】 週のはじめに考える」で、<『情報流出』が問う意味>を掲げて、米政府の外交公電を大量に入手し公開を進めている内部告発サイト 「ウィキリークス」の衝撃と存在意義などについて検討している。

(JCJふらっしゅ「Y記者のニュースの検証」=小鷲順造)

 毎日新聞は、<外交と機密情報、内部告発の是非、インターネット時代のメディアの責任など難しいテーマを含んでおり、 世界中で論議が盛んだ。自らの活動と密接に関係する問題であるだけに、新聞も悩みながら論じている>英米と日本の反応・ 状況を浮き彫りにした。

 日本国内の新聞について、毎日新聞は、 <外交関連の会話が部分的に暴露されることによる外交上の打撃や政府関係者の身の危険を指摘しつつ、 ウィキリークスが10月に公開したイラク戦争関係の機密情報について「米政府が自ら公表してしかるべきだった」と、 暴露の意義も認め>姿勢を明らかにしたが、<朝日は4日現在、国内全国紙で唯一、この問題を社説に取り上げていない>こと、また、 読売新聞については、「新しい時代に合わせて、政府や企業が機密情報の管理を強化するのは当然」と主張した読売について、 「ネット時代だからこそ、メディアも含め情報を公開する側は、これまで以上に自らに厳しく、抑制的でなければならない」とした。 政府に情報開示を迫り、政府が隠したがる情報を掘り出して報じる役割の報道機関が自ら「抑制」を唱えるとはどういうことなのか、 と問いかけた。

 毎日新聞社説はウィキリークスについて、<結局、非開示情報の公表が公益か否かは、私たちが良識に従い一件一件判断するしかない。 一律に規制を強化したり、組織の不正を暴こうとする人を短絡的に締め出そうとすれば、自由や民主主義を阻害し、 私たちの首を絞める結果になるだろう>と提言した。

 東京新聞は「情報流出」の意味を問う立場からウィキリークスだけでなくユーチューブにも話を広げて問いかけた。
<ネット上の内部告発が同時多発的に起きたのは、私たちが直面している「新しい現実」を示しています。 一人の個人が非合理や理不尽と感じたことを独力で世界に知らせるようになったのです。この意味はとても大きい。
 機密情報が無秩序に流出する事態を放置すれば、情報源や外交官に危害が及ぶ事態もありうるでしょう。 政府の情報管理強化が必要なのは当然です。
 そう認めたうえで、告発を「個人による権力監視活動」とみるなら、 たとえ政府職員であっても公益や国益を考えた行動はできる限り尊重されなければなりません。権力監視はけっして既成メディアの特権ではない。 民主主義は一人ひとりのものなのですから。
 ネットという便利な道具の広がりを考えると、管理強化で告発を完全に止めるのも不可能です。 政府はいまや内部の職員とも緊張関係に入らざるを得ません。
 政策の企画立案から実施に至るまで国益や公益に照らして適正かどうか、これまで以上に厳しく検証する。 そうした本来あるべき姿勢が問われます。まして妥当な理由なきまま、都合の悪い情報を隠したりするのは論外です。
 「妥当性」について、みんなが目を光らせるようになった。それが問題の核心なのです>
 と現象の本質に迫った。これまで「ジャーナリズムの雄」を標榜し、権力監視に誇りを抱いてきた新聞など既成メディアのこれからについても、 <新聞として自問せざるをえません>と問題提起した。

 内部告発者を情報源として活用しながらも、日本の新聞は身体を張ってでも守るべき内部告発者を守る気はないのではないか、 と疑われた時代もあったが、ウィキリークスのようなサイトの登場は、新聞や放送など既存メディアの<萎縮>や<娯楽への傾斜・ 逃避><ジャーナリズム機能の劣化>をはっきり意識すべき状況が、世界で、特に米国内部で著しくなっているとみることもできるかもしれない。

 また私は、ウィキリークスのようなサイトは、自らも情報公開できる強力な内部告発機構だが、 その存在と力を強めるためにはメディアとの連携が不可欠であることも熟知しており、 その意味で情報発信媒体というより内部告発機構の意味合いが強いと考えている。

 だがその枠組みを超える存在へと社会的(世界的)認知が広がったとき、あるいはそれが加速するような情報 (強大な政府や企業などから「反社会的」のレッテルを貼らずにおけなくなり反撃を招くような情報)を入手・公開するなどして、 情報発信媒体としての力が内部告発機構としてのバランスを上回った場合、メディアによっては、 ウィキリークスのようなサイトに反感を抱いたり、警戒心を抱くよう忠告するところが出てきてもおかしくはない。

 世論がそうしたサイトへの関心を高め、かつ賛否両論が浮上したとき、そのとき否定的印象や見解を軸足に、 巧妙かつ迅速にそうしたサイトをつぶしにかかってみせるような権力機構こそが<優秀>であると、 賞賛をあびるような社会はどこかを病んでいると考えるべきだろう。また、病んでいるが<巧妙な>権力は、 こうしたサイトについて冷静な認識を保持するためにそれを<犯罪者扱い>はせずに、間接的に手を下そうとするが、 <遅れた>あるいは<愚か>で<幼稚な>権力機構やその一部である政治家は、そうした動きに乗り遅れまいとだけ考えるため、 そうしたサイトを<犯罪者>あつかいするに違いない。

 既存メディアがそうしたサイトに掲載された情報に関心を寄せ、 たとえサイト側がジャーナリストなどによって真偽を評価して掲載を決定しているシステムを有すると公言していても、 自社で情報の真偽を検証した上で報道の価値ありと判断してこうしたサイトと連携する必要が生じることはありうることだし、 それが有効な場合も多々考えられるだろう。また、市民の知る権利に貢献することを目的にメディアとの連携をはかって (つまり既存メディアを否定せずに)活動しようとするこうした類のサイトとの連携について、積極的になることもあってしかるべきだろう。

 サイトの掲載する秘密情報を邪魔だと考える国家権力機構などが強大な力を駆使して、 こうしたサイトを攻撃し閉鎖に追い込もうとしたり、正当な根拠なしに<犯罪者扱い>するキャンペーンを繰り広げるような場合には、 それに全精力をかけて反対する姿勢を打ち出す既存メディアがあってもしかるべきであろうと思う。 そうしたサイトの個々については種々の判断を必要とする要件が生じてもくるわけであるから、 ただ死守することを義務付けられるものではないにしても、あくまで民主主義と、言論表現の自由と、人権擁護などの名においては、 最大限の社会的監視を、そのときそのとき利害関係者となる権力機構や企業に対してと同時に、 そうしたサイトなどに対して怠るわけにはいかないだろう。

(こわしじゅんぞう=日本ジャーナリスト会議会員)

<ブログ版補足>「内部告発」を悪いこと、犯罪的行為であるかのように思い込んでいたり、 思い込まされていたりする人が増えているようにも感じるこの頃である。この機会に、「内部告発」「情報流出」と政治(家)、 メディアに関連する映画なども観ておきたいところ。
「大統領の陰謀」(出演)ダスティン・ホフマン , ロバート・レッドフォード , (監督)アラン・ J・パクラ/「インサイダー」(出演)アル・パチーノ, ラッセル・クロウ, (監督)マイケル・マン/ 他に「消されたヘッドライン」(出演:ラッセル・クロウ, 監督:ケヴィン・マクドナルド) なども観ておきたい。(問題の性質上、特にインターネットに関連する映画の例にはふれないでおく)


論調観測 ウィキリークス 何が公益で何が危険か(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/archive/news/20101205ddm004070013000c.html
【社説】週のはじめに考える 『情報流出』が問う意味(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2010120502000041.html

posted by JCJ at 22:53 | TrackBack(1) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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