2010年12月09日

広がる<都の漫画規制>に対する抗議の輪――青少年の<健全育成>と言論・表現の自由<圧殺>の試み(2)

 角川書店が8日、来年3月開催の「東京国際アニメフェア」への出展取りやめを明らかにした。東京国際アニメフェアは、 都などでつくる実行委員会(委員長・石原知事)が主催。同社も実行委員に加わっている(今年は244社が出展、約13万人が来場)。 (→共同通信)
 井上社長は8日「ツイッター」で、「マンガ家やアニメ関係者に対しての、都の姿勢に納得がいかないところがあり」と、 出展取りやめの理由を記しているところから、 石原知事が成立に強い意欲を示している<都青少年条例改正案>の動きに対する疑念が背景にあるものとも受け止められている。

(JCJふらっしゅ「Y記者のニュースの検証」=小鷲順造)

 <都青少年条例改正案>については、多くの漫画家らが「表現全体への規制が始まる」として抗議の声をあげており、 行政が根拠薄弱のまま出版物について「不健全図書」と決め付け、 子どもへの販売を禁止するなど性描写規制を行うことに対する批判が広がっている。都は、6月の議会で否決された案を手直しして、規制対象を 「法に触れる性行為や近親間の性行為を、不当に賛美し、誇張したもの」(朝日新聞)としている。

 これでは、出版界が独自に自主的な整備の動きを進めてきたにもかかわらず、「それでは不十分」として、 公権力による<規制>に踏み出そうという動きに対して、「表現に対する規制は許されない」「石原都政による表現の自由圧殺を許すな」 の声が広がるのは、この民主主義社会においてはしごく当然のことといえよう。まして<都条例にはすでに「性的感情を刺激し、健全な成長を妨げるおそれがある本や雑誌を青少年に売ったり見せたりしない」規定がある。知事は、出版社などに必要な処置の勧告や、「不健全図書」の指定ができる。「わいせつ物」に該当すれば刑法の取り締まり対象だ。漫画は野放しではない>(朝日新聞)。

 にもかかわらず、「それでは不十分」として規制強行に動こうとしている条例案推進側は、表現による社会的被害の度合いを明らかにしたこともない。公権力がその力を利用して、その勝手なセンスに任せて「不健全図書」と断じ販売を規制する権限を市民は付託したことはないし、その能力を都が有していることをだれが保証できるというのだろうか。

 日本のマンガやアニメが広く世界に浸透し、 これからの日本の文化と経済の牽引力としてさらなる成長と飛躍が期待されているときでもある。条例による規制をもくろむ都は、その 「不健全図書」の判定基準、その市場規模、その社会的影響の規模、あるいはその犯罪性や被害の実態などについて、少なくとも明確にしてから 「それでは不十分」というべきである。そうでなければ社会全体が問題を共有して問題解決をめざそうという状況は生み出しにくい。

 7日の都議会本会議で石原知事は、「子どもを取り巻く現状の改善にこれ以上猶予の余地はない」(共同通信)と述べ、 改正案成立の必要性を訴えているが、そこからどのような説得力を感じ取れというのだろうか。そのような姿勢では、<気に入らないものは、 気に入らない>から<これは不健全図書!>と断定して、マンガやアニメ界を自分の配下におきたいとでもいうのか、 と受け止められてもおかしくはないのである。石原氏のような政治家やそれに屈従する役人が (あるいはそういう警察関係者がもしいまだに存在するというのであれば)、 日本のマンガやアニメ文化の先導役を果たすような時代をゆるすことがあれば、いったいどうなるか。火を見るよりも明らかであろう。

 少年や少女たちの性の問題に、なぜ都がその公権力をもって介入する必要があるのか。その意図がわからない。もし、警察の事件抑止・ 捜査、事件解決のためであるのだとすれば、そのことと「不健全図書」の関係はなおいっそう明確にされねばならないだろう。

 警察の事件捜査との関連で<わいせつ>を論じる場合でも、作品と事件との直接的関連について、 動機や手口に類似性や影響を見出せるケースがあったにせよ、 同じ作品をみたすべての人が犯罪に走ることはまず考えられないというのが常識である。あくまで犯行主体のそのときあった状態を主におき、 犯行当時に読んでいたり観ていたと思われる作品が発見されたにせよ、そこから自分の犯行に役立つ情報や、 自身に犯行をあおり立てる要素を見出すのは、その当人にほかならない。
 <裸の王さま>とその取り巻きが<不健全図書>と断じる作品をみないことで、どれだけの犯罪を抑止したり、撲滅できるというのか、 政治家個人の好みやセンスからではなく、事件抑止・捜査との関連でみるとしても、警察組織や警察官個々人の好みやセンスが、 日本のマンガやアニメの方向を決めていくことなど、ナンセンス以外のなにものでもないだろう。反社会的勢力の資金源撲滅を目的とするならば、 広くマンガやアニメ界全体に投網をかけるような条例を、日本の首都・東京が出さねばならない理由はさらに見出しにくくなる。 もし警察がらみもあって出そうと考えた条例改正案であるならば、知事や都の青少年・治安対策本部の担当者は、例えば『捜査指揮―― 判断と決断――』(東京法令出版刊、岡田薫著、寺尾正大協力)のような本に目を通すなどして勉強し、 時代対応した警察組織のありようについて深く考え直すことのほうがはるかに有益なのではないか、と私は思う。

 朝日新聞が三日付の社説「都の漫画規制―手塚、竹宮の芽を摘むな」で、以下のように論じている。少し長いが、 大事な論点が提示されているので、ここに引用しておくことにする。
<意見が分かれる表現があっても、青少年に届けたい漫画はある。竹宮恵子さんは「風と木の詩」で、少年同士の性愛や父子の性関係を描いた。 出版社は苦情を恐れたが、少女たちに性の問題を伝えたいと考えたからだ。文化庁長官を務めた心理学者の河合隼雄さんは 「思春期の少女の内的世界を表現し切った」と絶賛。いまも広く読まれている。しかし改正案を額面通りに受け取れば、ずばり規制の対象だ。 10代の読者に届かない。
 過去には、医学博士である手塚治虫さんが性教育の意味を込めた漫画が「悪書」扱いされたこともある。都は「そういう作品は規制しない」 という。だが、そのさじ加減が行政の判断ひとつというのは心配だ。「描くことへの規制ではない」ともいう。しかし、産業でもある漫画は、 流通にかかる圧力が表現に跳ね返りやすい。
 未来の手塚さんや竹宮さんが息苦しさに悩まされず、子供たちが優れた漫画に感動したり、考えたりする道を狭めないためには、 公権力を介入させることに慎重でなければならない。>

(こわしじゅんぞう=日本ジャーナリスト会議会員)

角川書店、アニメフェア不出展へ 都の姿勢に反発(共同通信)
http://www.47news.jp/CN/201012/CN2010120801001048.html
都青少年条例改正の成立訴える 性描写規制で石原知事
http://www.47news.jp/CN/201012/CN2010120701000648.html
都の漫画規制―手塚、竹宮の芽を摘むな(朝日新聞)
http://www.asahi.com/paper/editorial20101203.html#Edit1
『捜査指揮』(文庫版)
http://www.kadokawa.co.jp/bunko/bk_detail.php?pcd=200710000477

posted by JCJ at 14:11 | TrackBack(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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