2011年03月06日

予備校生逮捕が引き出したネット社会の到達点と重大な課題

 入試問題の投稿事件で、産経新聞は「東京の男子高校生2人が関与した」 とする大阪本社発行の2日付夕刊やインターネットの記事について「誤報だった」とする謝罪記事を5日、 ニュースサイトと同日付夕刊に掲載した。産経新聞は2日夕刊の記事で<都内2高校生をほぼ特定>と書き、 図解付で<試験会場にいる受験生が携帯電話のカメラなどで問題文を撮影>などと手口を解いていた。共同通信によると、 産経新聞は2日朝に捜査関係者らに対する取材から、携帯電話の契約者が特定されたとの情報を把握し、契約者についてさらに取材を進めた結果、 高校生2人が関与したとの情報を得て、記事を掲載したという。大阪編集長は「読者の皆さまにおわびします。 情報の真偽についてクロスチェックを強化するなど、今回の件を教訓として今後に生かしたい」としている。

(JCJふらっしゅ「Y記者のニュースの検証」=小鷲順造)

 問題の夕刊は、午後のあるテレビ番組で、産経新聞のスクープであるかのように紹介された。複数犯による計画的・ 組織的犯行という見込みが新聞やテレビで先行していたことが、産経の「東京の男子高校生2人が関与」 との思い込み報道〜誤報を生み出したのだろうか。新聞・ネット・テレビと複数の情報チャネルを駆使して、一刻・一秒でも他社より早く、 同じメディア企業系列の「優位性」を社会にアピールしようとするゆがんだ企業の論理が背景にないだろうか。 誤報は一記者や一取材チームのうっかりや先走りだけでは起こりにくい。大阪編集長の「情報の真偽についてクロスチェックを強化」 という対症療法に留まらない、抜本的な取材・報道体制の見直しが求められているように思う。

 大学の入試問題をインターネットのサイトに投稿した疑いで2日に逮捕された予備校生は、京都府警が翌3日、 偽計業務妨害容疑で逮捕した。予備校生は「合格したかった」と動機を話し容疑を認めている。

 各紙が5日付でこの件について社説で取り上げた。トーンはおおむね、予備校生の「不正な行為は許されない」としつつ、 カンニング行為そのものを罰する法律はない日本社会で予備校生を偽計業務妨害容疑で逮捕したことへの疑問、 そして<被害者の立場を強調する大学側にも、反省すべき点は少なくない>(西日本新聞) として大学に対してネット社会の進展への対応を求めるところが目立った。

 朝日新聞社説は、<カンニングは、一緒に勉強してきた多くの仲間を裏切る行いだ。社会的影響も大きかった。ただ、 日本ではカンニング行為そのものを罰する法律もない。まだ19歳。処分は慎重に判断すべきだろう>と提言し、 大学が頭を痛めている学生が出すリポート類のコピペ対策に言及して、「ネットや携帯を利用する際のルールやモラル」と「情報リテラシー」 の時代的課題への対応の大切さを指摘したうえで、以下、大学側に求められる対応、ネット社会への対応、若者への対応の三点を提示した。

1)大学が最初にこの問題をつかんだ段階で、「不心得者よ、名乗り出よ」と呼びかけるような手立てはなかったか。
2)今思うと、ネットの進化についてゆけない大人社会が、過剰に反応した面はないだろうか。
3)冷静に考えよう。ネットや携帯のなかった昔から、若者はときにとんでもない失敗をしでかすものだから。

 この「若者はときにとんでもない失敗をしでかすものだから」の一言に、ほっと胸をなでおろしたり、 メディアの大騒ぎに巻き込まれていた自分からわれにかえる想いをした人もいたことだろう。 だがこの件をめぐる真偽入り乱れた情報洪水はテレビを軸にすでにピークに達し、 同じ時期に伝えるべき重要な報道がわきへおいやられた後だった。

 前述の西日本新聞は、「警察など関係者は、不正の具体的な手口の解明にとどまらず、 予備校生がここまで追い詰められた心理状況など事件の背景も解き明かしてもらいたい」と、捜査に求められる社会的使命に言及している。 これは言外に、カンニング行為そのものを罰する法律はないなかで、 予備校生が偽計業務妨害容疑で逮捕されていることに対して慎重を求める内容も含んでいるかもしれないが、 社説は行為の背景を明らかにすべき理由として、「ネット社会に、若者を引き込むわなが潜んでいるように思えてならない」ことを挙げている。

 大学側の対応については、「今回、被害者の立場を強調する大学側にも、反省すべき点は少なくない」として、 2004年に韓国で起きた大学入試での携帯電話を悪用した大量不正の件と、数年前の東京芸術大入試で、 絵を描く実技試験で受験生が対象物を隠し持った携帯電話のカメラで撮影してトイレでメール送信して外部にアドバイスを求めた不正行為を例示して、 大学側の対応の後れと監督責任を問うている。

 ただ、大学の一部から出ている、国に対して携帯電話の持ち込み禁止など対応指針の策定を求める声については、「教育機関としての 「大学の自治」を自ら放棄することにならないか」と問いかけ、「ネット社会に生きる子どもたちをどう導くかは、大人の責務でもある」として、 情報社会のあり方まで考えるよう求め、対応を誤らないよう提言している。

 「予備校生がここまで追い詰められた心理状況」など背景を解き明かせという指摘や、「ネット社会に生きる子どもたちをどう導くかは、 大人の責務でもある」との提言に、新聞の果たす言論・論評機能の大切さをあらためて感じ取った人もいたことだろうと思う。それでも、 メディアはこの件をどこまでスペースをさいて伝え、論じるべきだったのかは考えておきたい。その反省は残るように思う。

 北海道新聞は、「是非はともかく、犯行自体は、入試制度の根幹を揺るがすもので到底許されない」としつつ、「カンニング行為に、 偽計業務妨害罪を適用するのは前例がない。逮捕までする必要があったのか、意見は分かれている」と慎重な対応を求めた。捜査のありようにも、 「若者の心理面にも十分に配慮しながら、動機や手口などの実態を解明しなければならない」とする一方で、大学側に「携帯電話を操作する姿を、 4大学の試験官がそろって発見できなかった。試験監督のあり方を抜本的に見直す必要があろう」と指摘している。

 結びは、今回の不正行為は「大学入試だけではなく、さまざまな国家試験、資格試験でも起こりうることだ」として、 「IT技術の進化で、さまざまな不正の手口が編み出されることも想定」した対応・対策が求められていると提言した。
 「大学入試だけではなく、さまざまな国家試験、資格試験でも起こりうる」との指摘に、現代の「試験」 のおかれた脆い状況にあらためて思いをはせた人もいたことだろう。テレビを軸にこの件をめぐっておきた情報洪水のなかで、 こうした指摘がなされていたら、洪水の性格は多少ともかわっていたのか、それとも火に油をそそぐことにしかならなかったのか、 そういう点も今回の事例をもとに考えておくべきなのかもしれない。

 4日夜の毎日新聞の「入試ネット投稿:京都大への批判強まる」の記事は、大学の対応に問題はないかという視点を与えてくれた点で、 私には印象に残る記事となった。
 この記事は、「予備校生の“幼稚”ともいえるカンニングの手口が明らかになるにつれ、京都大への批判が強まっている」と報じ、 <京大へ4日までに寄せられた電話は170件を超え、ほとんどが苦情や抗議>だったことを伝えた。また、 <捜査を進める京都府警内部にも大学の対応を疑問視する声がある>ことも伝えている。

 私には、産経新聞がメディアの雰囲気を代表する形で、「複数犯」「問題文をカメラ撮影」 「テキスト化してインターネットサイトに投稿」というトーンを醸成していったなかで、 その見方を根本的なところからくつがえす役割を果たしたように感じられた。

 また、京都府警内部から<京大の対応に違和感を覚えるという声>が出ている理由が、<監督の不備の可能性に目をつぶり、 内部調査もしないまま警察に丸投げした形>になっていることにあるということだ。警察内部にもそうした疑問があってしかるべきだが、 それがテレビなどからはまったく伝わってこない。テレビのワイド番組では、 早くから偽計業務妨害罪で逮捕に疑問を呈した一部のジャーナリストなどを除き、「一億総探偵」 になったかのようなコメントが横行する事態に陥っていると感じていた人は多いだろう。 警察も全面的におかしくなっているわけではないことも知ることができた。少なくとも私にとってはこの記事が、流れを変えた一報だった。

 毎日新聞は4日の<余録:携帯カンニングで逮捕>が「カンニングで強制捜査とは以前なら考えられぬ話だ」としつつ、 「実施中の入試問題が天下にさらされ、試験場内外の通信が自在なのを見せつけられては、捜査による真相解明なしに入試への信頼は保てまい」 と問題を指摘し、そして「もし供述通りならやや拍子抜けである」として、予備校生の「子供っぽさと、 そのもたらした重大な社会的波紋との落差がかえって不気味」であるとして、 小さな現実が膨大に肥大化するネット社会のありようを描いてみせた。

 また同日の<発信箱:電卓と携帯>は、電卓持込可の試験を例に、 <解答の過程に使う電卓と解答そのものを尋ねた今回のネット投稿とでは違いがある。だけど、 日々使いまくっている技術から試験の時だけ隔離するのって、非日常というか非現実っぽい。 たくさんある情報や手段をうまく使いこなすのも一つの立派な能力>と、別の視点を提供している。 そして<携帯もネットも教科書や辞書の持ち込みもOK、の現実社会に近い環境で、 問題解決能力を試す試験はどうでしょう>と課題を投げかけて、<どんな情報にアクセスしようと、最後は本人の考える力が問われる試験。 出題や採点の方が大変で、これまたネットでご相談、になっちゃう?>として、現代における<試験する側>のありようを問いかけている。

 一つの事件にすべてのメディアがどっと押し寄せ、一つの濁流をつくっては流れ去り、 私たちの社会として大事なことや教訓を引き出すこともなく、 すぐに捨て去って忘れてしまうというジャーナリズムの習性は依然として残っている。そのなかで、 上記のように毎日新聞が多様な視点を提供したことに注目しておきたい。

 最後に、信濃毎日新聞の社説を見ておきたい。5日付「予備校生逮捕 背景にこそ目を向けよ」である。
 この社説は、比較的冒頭に近いところで、<今回の問題は、大学教育の在り方をはじめ、さまざまな課題を投げかけている>と前置きする。

 この社説はそれに続いて、<日本でもこの際、 受験制度や大学教育の仕組みについて抜本的な見直しを進めてほしい>との提言に至る文章が続いている。私はこの社説におおいに感銘を受けた。

1)現在の受験制度で大学に入るには、推薦枠があるとはいえ、大方は一発勝負の入試を突破しなければならない。 大量の知識と問題を解く技術を詰め込む勉強方法は、以前から変わっていない。
2)予備校生は、高校時代に父親を亡くしていた。母親に経済的な負担をかけたくないとの焦りもあったとされる。 大学を目指す若者たちに開かれている進路の幅の狭さを示している。
3)米国では、個々の大学が入試を課す例はまれである。1年に数回受験機会がある共通試験の成績で入学できる大学が決まる。 高校の成績も重視される。
4)最初は希望の大学に入れなくても、別の短大や大学から編入するのが日本よりずっと容易だ。 入学要件が緩いコミュニティーカレッジから大学に編入する学生も少なくない。個々の学習習熟度に応じ、無理なく進路を選べる。

 現在の受験制度が受験生たちの人生を縛りこんでやまない状況にメスをいれ、そして、<日本でもこの際、 受験制度や大学教育の仕組みについて抜本的な見直しを進めてほしい>との提言へとたどりつく。
 私も賛成である。今回の出来事を教訓に、日本社会は受験制度や大学教育の仕組みについて抜本的な見直しを進めるべきだと思う。

 社説は続いて、<大学が取った姿勢>に論点を移す。
 「大学が取った姿勢は疑問が残る。発覚後、すぐに警察に相談し、被害届を提出している」
 この事実を提示したうえで、<関係機関に協力を求めるにせよ、自治が尊重されるはずの大学として、 まず独自に事実関係を調べることはできなかったのか>として、上述の西日本新聞と同様、大学としての自治はどうしたのか、 どうするのかを問うている。

 この点について、「これだけで人生を台無しにすることがあってはならない」と話すある大学教員の存在を紹介して、 <この気遣いがあるなら、受験資格停止など大学としての処分にとどめることもできたはずだ>と、大学の良心と見識と独立性の重要性を、 あらためて求めた。

 そして最後に、<サイトの運営会社と携帯電話会社の捜査協力>についても、検証を求めている。この点の指摘は、 私が目を通したかぎりでは、信濃毎日新聞だけから出されている。

 <サイトの運営会社と携帯電話会社の捜査協力についても検証が要る><両業者が、 通信記録などを警察に提供したことが速やかな事実解明には結びついた><けれど、「通信の秘密」は憲法で保障されている。 個人情報を開示することには慎重でなければならない>として、「こうした捜査手法が当たり前にならないよう政府や国会の動向を注視したい」 と結んだ。
 
 テレビのワイド番組を軸に広がってきた「一億総探偵化現象」。その圧倒的な流れに動員され、飲み込まれる記者たち。 その情報創出システムが社会に与える情報環境とその効果・影響。大人たちには神業としか思えないような、 信じられないスピードで文字を打ち込む技術を身につけてきた若者たち。そして日々高度化し続ける携帯端末とネット技術。 広がり続ける人と人とのネットワーク。
 すでに抜本的に社会のありようを変貌させているネットワーク技術とその使い手たちの存在の一端を、今回、 高校時代に父親を亡くして母親に経済的な負担をかけたくないと焦り、「携帯を股の間に隠して操作した」 一人の予備校生が私たちにかいまみせた。そして意図するしないにかかわらず、大学に課題を突き付け、 警察とサイト運営会社と携帯電話会社に宿題を残し、産経新聞に情報の真偽チェックの甘さを思い知らせた。

 朝日新聞社説が書いたように、「ネットや携帯のなかった昔から、若者はときにとんでもない失敗をしでかすもの」である。 そういう若者が次代を担う。今回の予備校生が同世代のヒーローになるようなことはないだろう。しかし予備校生の幼く拙い失敗は、 日本の情報社会のたどりついた現状をあぶりだした。

 メディアがこぞって描き出し、日々生み出してくる情報環境・メディア社会のありよう、私たち個々のそれへの向き合い方と、 信濃毎日新聞が指摘したサイトの運営会社と携帯電話会社の捜査協力については、特に心して考え、厳しく検証を加えていかねばならない。

(こわし・じゅんぞう/日本ジャーナリスト会議会員)

産経新聞、誤報で謝罪記事 「東京の高校生2人が関与」(共同通信)
http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011030501000248.html
入試投稿者逮捕 ネット社会に大きな教訓(西日本新聞3月5日付社説)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/230019
予備校生逮捕―若者の失敗、どうみる(朝日新聞3月5日付社説)
http://www.asahi.com/paper/editorial20110305.html#Edit1
入試投稿逮捕 ネット悪用対策万全に(北海道新聞3月5日付社説)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/275927.html
入試ネット投稿:京都大への批判強まる(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/today/news/20110305k0000m040101000c.html?inb=tw
余録:携帯カンニングで逮捕(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20110304k0000m070129000c.html
発信箱:電卓と携帯=福本容子(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20110304k0000m070140000c.html
予備校生逮捕 背景にこそ目を向けよ(信濃毎日新聞3月5日付社説)
http://www.shinmai.co.jp/news/20110305/KT110304ETI090013000022.htm

posted by JCJ at 10:52 | TrackBack(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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