自民党、公明党、たちあがれ日本の野党3党が提出した内閣不信任案。2日午後、衆院本会議で採決され、賛成152、
反対293で否決された。民主党はこれに先立ち同日昼、民主党代議士会を開き、
菅首相は大震災の復旧や福島第1原発の事故収束で一定のめどがついた段階で退陣する意向を表明していた。
不信任案に賛成する構えを見せていた小沢民主党元代表は、首相の退陣表明を受け、本会議を欠席、小沢氏に近い民主党議員にも「自主投票」
の方針を伝えた。なお菅首相から退陣の考えを引き出した鳩山前首相は、菅首相は夏までには退陣すべきとの見通しを示したが、
菅首相は来年1月をほのめかしている。
(JCJふらっしゅ「Y記者のニュースの検証」=小鷲順造)
否決された内閣不信任案。結局、民主党内の離婚さわぎでおさまった。 器と存在価値をみせたのは自公の上滑りを見切って棄権を決めた共産党、欠席を選んだ社民党、そして途中で矛をおさめた小沢氏だろう。
共産党と社民党の動きが、今回の不信任案決議騒動を、国会全体を巻き込んだ「動き」 から民主党内の家庭内騒動の水準へとその本質を浮き彫りにした。小沢氏は当事者の片割れそのものだが、落としどころを、 菅首相に活を入れつ役割を果たし、一定の続投を認めるかたちとして選んだ。小沢氏は裁判を抱え、党員資格停止の状態にある。 その手を限られた状態が小沢氏に、 裸の王様になりかかった菅首相を戒めるという新たな役割を果たすところで止めさせる結果につながったのかもしれない。
小沢氏にその役割を振ったのは、2日当日午前の、鳩山氏の菅首相との会談だった。具体的な辞任時期を示さない話し合いの結果、 小沢氏は欠席を決め、他の同調者に自主投票の方針を打ち出した。鳩山氏の詰めの甘さは今に始まったことではないが、 小沢氏に同調した鳩山氏に対して、鳩山氏周辺は慎重姿勢を崩さなかったという背景も影響していたかもしれない。菅首相の「退陣」 の時期をめぐる党内闘争の火種を残す結果となった。
民主党は内部に「詰めの甘さ」を漂わせており、それをが重大事態へと発展させてしまう過去を引きずっていることは、 いまさらいうまでもないことだが、不信任案決議に賛成で固めていた小沢陣営を驚かせたという菅―鳩山会談の中身。菅氏や岡田氏は、 鳩山氏の思惑を見切って「言質」を与えなかったというが、このエピソードからは、その両氏よりも、 最後まで党を割らないための努力を続けた鳩山氏の人物のほうが上手だったように思える。
またその生煮えの「約束」取り付けをもって、矛を収める決断をした小沢氏の判断のつけかたに対して、「実質、小沢氏の勝利」 と伝えるメディアも一部にあった。この見立ては、「小沢氏の敗北」「小沢氏の影響力低下必至」とやったメディアの論評よりも、 その人間洞察において(即座の総選挙はなくなったという意味も含め)はるかにまともとも思うが、だれが勝った負けたは、 その政策との関連においては重要だが、数の移動や再編、数の論理や野合の類を基盤とした政治ゲームの論理であるなら、 それはほとんど意味を有しない。まして、メディアが政治ゲームを自作自演して右往左往したり自己満足する姿は、あまりにみじめだ。
それがいかに党内闘争にとどまらず、政界再編につながる事態、場合によってはさらなる「政権交代」 かと踊ったメディアがあったように、日本の政治にとって大きなエポックになる可能性があったにせよ、不信任案が否決された段階で、 まだ事態の変化に対応できず、事態の推移をみることをないがしろにして(あるいは恣意的に事実関係を外して)、 なんとか大事に仕立てようと焦ったニュース番組の姿などには、がっかりさせられた。
いたずらに「劇的」「ショック」を演出したがる番組の蔓延は、ニュースをワイド番組に組み込んでいく過程で生じたものなのだろうが、 小さなことにいちいち「動揺」してみせ、それに同調することを視聴者に誘う手法をニュース番組でも多用することは、 いま伝えるべきことを伝える役割の放棄につながりかねない。なによりニュースの送り手のニュース感覚をゆがめ、 伝えるべきことの優先順位を決めていく知性と感覚とを鈍らせる影響があるのではないかと心配になる。
「動揺」を引き出そうとする意識あるいは無意識、原発事故で「動揺」をおさえつけようとして情報を後出し、 小出しにした論理と表裏一体である。その意味で私は、ニュースのワイドショー化に大きな危険が潜んでいると感じている。この機会に、 ワイド番組と一体化させたニュース番組のありようを、もう一度、徹底的に見直してみたらどうだろうか。
倒閣に走った自公は相対して野党を自覚することになった。野党として自らの足場を根本からとらえなおし、 固めなおすことがなにより大事な時期である。公明党はこれまで、自公政権の経験から、 民主党を見下して政権担当能力をみせつようとするかのような浅ましさを残してきたが、 同じ政界で生きる者としての謙虚さから積み上げなおす勇気をこの機会に取り戻したい。
菅政権の面々も同様の浅ましさを漂わせている。そうした「政権の一員の自覚」は、往々にして政権と自身を同一視した「保身」と 「自己正当化」を肥大させるだけである。「保身」と「自己正当化」による「一枚岩」ほど当事者にとって心地よいものはないそうだが、 それほど脆いものもないことも確かであろう。
また、ようやく存在していることを印象づけ始めた菅首相。その矢先に、内閣不信任案が飛び出した。 その動きをどう受け止めるべきなのか。その実像はまだみえていない。菅氏にそれを突破する力量と執念があるのか、問われることになる。 不信任案提出騒ぎを自身のターニングポイントとできるかどうか。一定の期間の区切りを切ったにせよ、切られたにせよ、たとえ短期間でも、 首相の「器」と「振る舞い」を自身のものとできるかどうか。まわりは、どれだけ短期間で、菅氏に首相の「器」 を身につけさせることができるかどうか。自公政権当時には考えられなかったほどに、非常に複雑で奥の深いところで、 魑魅魍魎が蠢くのを感じとっている人もいるだろう。菅首相のかかえる唐突、思いつきの弱点のほかに、ときどき繰り出すほのかな「真実味」。 あれはいったいなんなのか。
不安定な政権を内側から厳しく批判する勢力の存在は、 ときに外部からダイレクトに繰り出される攻撃の防波堤として機能することがある。民主党の鳩山、小沢、菅のトロイカ体制は、 見ようによっては、鈍いきしみの音をたてながらも、、かろうじてバランスを保ちながら、そうした機能を果たしているように見えなくもない。 今回の不信任案をめぐる騒動を、そうしたスタンスから見直すと、とても奇妙な経過をたどっていることに気づかされる。民主党とその政権は、 いったいなにとたたかっているのだろうか。内なるひ弱さや無力か、見たとおり内なる権力闘争か、 それとも過去の栄光を引きずる原子力ムラとその勢力か、あるいはPL法の立場からの告訴を恐れる原発製造メーカーやその関連企業群か、 あるいは強大な原発推進国の救援と表裏一体となった圧力の類か。あるいは、いまはまだ見えていないその他のなにかなのか。
自公政権時から引き続く「安全神話」で固められた権力機構と国際環境、そして福島第一原発事故の発生を機に、 それまでも独りよがりの策に走りがちだった菅氏とそのチームには到底処理しきれない複雑すぎるジグソーパズルが噴出しており、 政権そのものが行き詰まっている可能性もある。私たちはそれが菅政権なのか、菅首相の個人的資質の問題なのか、 そこだけに帰結させて済む問題なのかどうかも含めて、真の敵と真の交渉相手を正しく見極めていかねばならないだろう。
菅氏は、退陣表明と引き換えに不信任案の採決は否決に動いたわけだが、レームダック化は避けられない。だが震災・ 原発事故への対応と、次なる総選挙にむけた環境整備は欠かせない課題だ。
このことは、日本の政治家すべてに、その課題が突きつけられていることを意味する。菅氏の首相在任期間の長短の問題ではない。 その次がかかわってくる。日々の国会の積み重ねが、日本の近未来を決めている。その自覚がほしい。菅氏は民主党に対する「甘え」、 国会や国に対する「甘え」を捨てなければならない。この時期、捨てるべきは「甘え」や「慣れ」(あるいは不慣れからくるクリンチ、責任転嫁) 、そこからくる敵対感情、根拠のないパフォーマンス癖であって、「甘さ」ではない。菅氏の場合、「甘さ」をは「包容力」 へと転化できないできたところに大きな課題があるのではないかと思う。
皮一枚で首のつながった菅氏。鳩山氏の詰め寄りも、退任時期を「玉虫色」にして乗り切り、実質、何枚も器の大きさをみせた小沢氏の 「勝利」を、「原理主義者」岡田民主党幹事長の「除籍処分」(小沢氏の欠席に対する処分案)の圧力が半減させる結果を導き出したが、 輿石民主党参院議員会長と断続的に会談を続け、その後「処分見送り方針」を出した。岡田氏がここで譲ったことの背景には「ポスト菅」 が影響しているのかもしれないが、岡田氏の「原理主義」は、 人を掻き分け押しのけてでも上昇ろうとする習癖の強い体質と一線を画すために選択したポーズである可能性もほのみえた。
なお民主党執行部は役員会などで不信任案賛成者の除籍を決定している。政党としてのけじめのつけ方の問題もあるだろうが、 その根源に「求心力のなさ」「人望の広がりのなさ」があることを見失えば致命傷となる。必要なのは表面的なけじめではなく、「求心力」 そのものであるはずだ。それを自省せずして他者に転嫁するだけであれば、それこそ民主党に未来はない。
菅氏に退陣表明というかたちで先を越された自民党の大島副総裁は、内閣不信任案理由の説明のなかで、菅氏退任の「目途」のほか、 他者に責任を「転嫁する」体質なども指摘した。野党生活を続ける中で自民党も、少しずつ自省を始めているのだろう。もしそれが、旧来からの 「左翼」攻撃マニュアルのなかから、単に習慣的に引っ張り出されたものでないのであれば――。
党内闘争の緊張が民主党政権を結果的に救っている。それは自民党の時代から引き続く日本の永田町の風物。 それにあきれてそっぽを向く民衆。一歩まちがえば、その一見平和な風景を暗転させて、混沌と暗澹たる社会状況へと日本社会全体を突き落とす。 発揮され伸張させいくべき変革のエネルギーが渦巻くいま、政治がその足を引っ張るようなことがあってはならない。民主党政権と、 自公政治からの政権交代を成し遂げる重要な役割を果たした勢力は、 自公政治へのリバウンドを期待する種々の策謀に踊らされるようなことがあってはならない。
政治は数合わせではないと新聞が論じ、テレビがそれを足蹴にして政治ゲームに走る。政治の質を問わずに、政党のもつ人数、 数の移動や再編にのみ関心を寄せた報道は、選挙報道の速報主義と同様、中身をすっ飛ばし、候補者の地盤・看板に焦点を当てるだけで終わり、 勢力争いや勢力図を示すだけの役割しか果たさないのと同様である。その場だけのゲームに興じることが、 本当に政治を大切にすることにつながるのかどうか、私たちはもう一度見直さねばならないだろう。
政権交代を国民が選択したときの民主党のマニフェストを、ずるずると後退させ、変質させてきた菅政権。 大震災の発生で首の皮がつながり、躊躇を伴いつつも脱原発の動きで煮え切らない、稚拙な菅政権の「やり方」の片鱗がみえつつもある。 明日に期待をちないでつないで、結局、最後は国民を大きく裏切ってせっかく誕生した民主党政権は終焉を迎える―― そんなことになりはしないだろうか。そうした危惧を抱きつつも、時代は自公政権当時とは様変わりしてきたことは事実だ。今回の内紛も、 結果としては民主党全体にスポットが当たった。メディアが内紛好きなのか、政治家たちが好きなのか。
大切なのはこの先だ。大震災と原発事故という深刻な危機を内包した日本社会は、自公政権時代と変らずまだ永田町ムラのどたばたに 「動揺」したがるのか、それとも視野を大きく開いて、日本社会の建て直し、日本の市民社会のつくり直しに焦点をあてていくのか。 たくさんの数え切れない市民が立ち上がって、それぞれにそれぞれのやり方で力を伸ばし発揮する場所を発見し始めている。 そうした新たな状況に対応できないでいる政治家や役所の姿。その原因のひとつに、 メディアと政治家の共依存の関係が生み出す状態があるのではないか、私は疑いたくなる。
民主党が自らなし崩しにしてきたマニフェストについても、各党に対して役所が資料の提出・提供のほか、発表の方法・ 予算など全般的なアシストを、平等に行うべき時代に入っているように思う。マニフェストと称しながら、それに責任をもたず、 自分勝手に改変していく姿のままでは、マニフェストはマニフェストたりえない。それぞれの政党の提案の趣旨やコンセプトを尊重して、 それをそれぞれにしっかり裏付けていく役所の各政党に対する尊敬と、柔軟性、多様性の確保が必要になっているのではないだろうか。
また、市民自身が運営し、新たな活動や情報や提案・提言を発掘・発信する情報チャネルが急速に拡大、成長している。 この多様なメディア、情報発信・受信機能の広がりの中で、日本のマスメディアは大きな分岐点に立っている。「いま伝えるべきこと」 「いま論じるべきこと」を的確に見出し、実現していくこと。そのジャーナリズムの底力を企業の枠をこえ、切磋琢磨し、 研ぎ澄まして発揮していくことが、いままさに求められているように思う。
(こわし・じゅんぞう/日本ジャーナリスト会議会員)
衆院本会議で内閣不信任案を否決、菅首相は退陣を表明(AFP2日)
http://www.afpbb.com/article/politics/2803734/7291124
菅首相辞意表明―不毛な政争に区切りを(朝日新聞3日付社説)
http://www.asahi.com/paper/editorial20110603.html
菅首相退陣の意向 もう混乱は許されない(毎日新聞3日付社説)
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20110603k0000m070130000c.html
内閣不信任案:欠席の小沢元代表 処分見送り方針(毎日新聞3日)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110603k0000m010133000c.html
小沢グループ、前夜の高揚感…一転沈滞ムード(朝日新聞3日)
http://www.asahi.com/politics/update/0602/TKY201106020559.html
内閣不信任案:菅首相、退陣年明け示唆(毎日新聞3日)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110603k0000m010119000c.html
首相、辞任は来年1月示唆 「原子炉冷温停止めど」示す(朝日新聞3日)
http://www.asahi.com/politics/update/0602/TKY201106020642.html
余録:首相の退陣意向表明(毎日新聞3日)
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20110603k0000m070126000c.html