2012年04月25日

政治、そして報道の劣化と、基地問題、ミサイル問題(1)

 NHKは24日のニュースで、田中防衛大臣は、23日夜、アメリカのパネッタ国防長官と電話で会談し、在日アメリカ軍の再編計画の見直しについて、25日にも、日米両政府で共同文書を発表することを確認しました、と報じた。
 田中大臣が23日夜、パネッタ米国防長官と在日アメリカ軍の再編計画の見直しを巡って電話会談、1)普天間基地の移設問題に先行して、2)沖縄の海兵隊のうち9000人を国外に移転するとともに、3)嘉手納基地より南にある軍施設を3段階に分けて返還すること、などを盛り込んだ、4)再編計画の見直しの共同文書を、25日にも、日米両政府で発表することを確認した、と伝えた。
(JCJふらっしゅ「Y記者のニュースの検証」=小鷲順造)


 NHKはその後に、5)<これを受けてパネッタ長官が、今回の合意を高く評価する考えを示した>ことを加え、それに対し、6)田中大臣は「この合意に従って、日米の良好な関係を築いていきたい」と述べたこと、そして、7)会談の中で田中大臣は、普天間基地に配備されることになっている海兵隊の最新鋭輸送機「MV22オスプレイ」がモロッコで墜落し、兵士が死亡した事故について「沖縄の懸念は強いので、きちんと説明する必要がある」と述べ、速やかな情報の提供を求めたこと、それに対し、8)パネッタ長官は「原因が分かりしだい、情報を共有したい」と述べたことを伝えた。

 この報道で何が伝わるか。何がこの件で課題や問題であり、どの点で国民の意見がどのように分かれ、注視されるべき政府の動きのポイントがどこにあるのかなど大切なことは、うまく伝わってこない。ここでは仮にNHKのニュースを取り上げたが、ストレートなニュースとしては、マスメディアの報道は大方このようなものとなっている。NHKの報じたこの件のニュースの内容としては、上記のように1)〜8)までの要素を短いなかに盛り込んでいる点で、たとえば小泉自公政権当時のNHKのイラク戦争関連ニュースの有様とは比べ物にならないほど、プロパガンダ性は弱まっている。

 しかしながら、この手のニュースをいくら流されても、いまの日米交渉の動きの問題点は伝わらないし、理解も深まっていくことはないだろう。刻々の変化を追っていくだけ、表層を追いかけるだけのニュースでは、報道する側は擦り切れるだけ、伝えられる側は無自覚に不満を募らせるか、あきらめて興味を失うか、さらなる判断基準となる論評を求めてさまようか、いずれにせよ多様な世論の勃興や生起、形成、そして議論の深まりを期待することは難しくなる。

 ツイッターやフェイスブックでも、この問題に関係する市民の情報発信は弱いのではないかと感じている。そして市民の反応、情報発信が弱ければ、マスメディアの側の解説や論評もそれと比例して弱まるか、あるいは逆に日米政権の側から垂れ流される情報に汚染・傾斜する傾向を強める。

 これがマスメディアが果たすべき情報環境の形成に健全に寄与した姿なのかどうか、いま一度確認したり問い直したりする作業を、私たちは行うべきなのではないか、と感じているところである。このところの米軍再編をめぐる日米交渉の関連報道は、つまるところ25日にも、日米両政府は再編計画の見直しの共同文書を発表する、ということを前もって予告するための報道だけが垂れ流しになっているのではないか、という危惧を、私なりに感じてきたからである。

 この問題はいうまでもなく、TPPや原発や各国のミサイルや増税や、あるいは国家秘密をめぐる言論統制の問題などに間接的ではあっても、深く、根強く、大きな影響力を伴って関係してくる。米軍の在外基地の展開のありようは、米国経済にも大きく影響するし、兵士たちの処遇や帰還後の健康や就職など生活全般を通じて、米国内の世論にも多面的に影響する。そしてこれも言うまでもないことだが、米軍基地を受け入れた土地の経済や自然環境や人々の生活のありように深く関わる。

 騒音や自然破壊、兵士による多岐にわたる犯罪、その国の警察力の及ぶ範囲を限定されることから治安の破壊にもつながり、そして駐留米軍のもつ破壊力がそのまま地元を襲う脅威(軍用機の落下や暴発事故など)、さらにその基地が狙う「敵国」や「ターゲット」から逆に「敵国」や「ターゲット」として狙われる脅威も常に抱え込むことになる。

 24日付の沖縄タイムス社説<[米軍再編見直し]「普天間返還」が原点だ>は、冒頭、「あの熱気はどこへ行ってしまったのだろう」と書いて、「潮が引いていくように国民の関心が薄れ、新たな解決策を模索すべき政治家にも無力感や徒労感が広がっている」状況に警鐘を鳴らしているが、それも当然の状況といえるだろう。

 社説は、「日米両政府による米軍再編の見直し協議は、普天間問題の新たな解決策を打ち出す絶好の機会である。今が大きなチャンスなのに、野田内閣からは、辺野古移設の見直しを求める強い意志が少しも伝わってこない」と訝る。もっともな事である。

 米軍普天間飛行場が「世界で最も危険」だと言われる軍事基地であることは、もはや常識の範囲となっているはずだが、「沖縄の負担軽減を是が非でも実現しなければならないという国民の声も、残念ながらその水位が急速に下がってしまった印象だ」と、この社説が書かざるを得ないほど、この件に関するマスメディアの報道は、米国側と日本の外相のまるで「値切りあい」「ビジネス交渉」のようなかけひきの実況報道に陥り、そこにはそのかけひきの情報をあえてリークすることで、米側の移転費要求とそれを受けて「強く」値切る日本側の三文芝居に成り下がっている。

 大方の予想通り日米は、表面的には、海兵隊グアム移転の実施に向けて、「2009年に締結された日米政府間協定で取り決めた日本側財政支出の上限額28億ドル(約2280億円)の維持で、日米双方が合意」した。

 しかしながら、これも21日付の西日本新聞社説「グアム移転費 同盟の対価として妥当か」が示すように、
1)日本政府が米側の要求をそのまま受け入れずに、米側の譲歩を引き出したのは最近の日米交渉では珍しい。民主党政権になってからは恐らく初めてだろう。その意味では評価していいのかもしれないが、
2)グアムに移転する米海兵隊は、協定に記された規模から大幅に縮小されていることを見逃してはならない。移転規模が縮小するのに、費用負担が協定合意額より「実際には増える」というのでは、国民の理解を得るのは難しい。負担も縮小するのが筋だろう。

 社説は、海兵隊のグアム移転規模はオーストラリアなどへの分散配備もあって、当初の8千人から4千人に半減する。にもかかわらず負担が増えるのは不合理だ、と指摘する。そして、「軍事予算が削減される中で、米軍がアジア太平洋の安全保障体制を維持していくために、日本の負担増は「同盟の対価」として当然、と言うのだろうか。そうであるなら、米政府は負担の算定根拠を同盟国に詳細・明確に示すべきだ」と鋭く斬り込んでいる。

 その背景・理由として、同社説は、下記を挙げる。
1)日本の資金拠出の根拠である協定で、海兵隊グアム移転は普天間飛行場の名護市辺野古への移設と一括実施することを前提としている。
2)その辺野古移設が行き詰まった今、協定の前提は崩れ、日本が資金を拠出する根拠は希薄になった、と理解するのが妥当ではないか。

 そして、<ここは、海兵隊移転計画の妥当性や沖縄の負担軽減を含めたアジア太平洋全域をにらんだ日米の安保協議を通して、グアム移転費負担が「同盟の対価」としてどこまで必要か、再考するときだろう>と提言して社説を結んでいる。

 その提言の根拠としては、以下を挙げている。
3)協定は条約と同様に法的拘束力を持つ国家間の約束である。
4)協定を見直さずに、状況が変わったからといって、根拠があいまいなまま「はい、そうですか」と要求に応じるのでは、同盟国であっても主体性が無さ過ぎる。

 見事に筋の通った、至極もっともな提言である。
 国会では、玄葉外相ではなく、田中防衛大臣に問責決議がなされている。田中氏の肩を持つ気はさらさらないが、たとえば北朝鮮のロケット問題への対応については、田中氏を見下すことなどできない面々が、閣僚のほか国会にはうじゃうじゃ存在しているのが実状ではないのだろうか。

 その裏で、まるで子供の使いのような玄葉氏の「値切り交渉」があり、そしてそれは、辺野古先送りで協定の前提が崩れているのに、「協定」そのものを見直さずに「状況が変わった」とだけいって、見直しの根拠も負担額の根拠もあいまいのまま、「はい、そうですか」と要求に応える姿勢で「値切り交渉」を行っただけのことであるから、これがビジネス社会であれば落第点がついて当然であり、双方のトップから交渉やり直しの指令が出てしかるべき類なのである。真に問責を食らうべきは、玄葉氏のほうではないかと私などは考える。

 沖縄の基地負担軽減の問題は、24日付沖縄タイムス社説がいうように、「沖縄を訪れたクリントン米大統領も橋本龍太郎首相も沖縄の基地負担軽減に熱心だった」。そして、「橋本首相は大田昌秀知事と17回も会っている。一国の総理と一県知事がこれほど頻繁に面会するのは極めて異例のことだ」った。しかし、<時とともに初発の志が失われ、実質の伴わない「フタンケイゲン」という言葉が日米双方で空しく飛び交っている。今こそ原点に立ち返るべきだ>との問題提起が、心にしみる。
 私は米国防長官や軍部の意向や満足度ではなく、米国議会や大統領の考えをもっとよく聞きたいと思う。あのブッシュ政権当時のラムズフェルド氏にも「世界で最も危険」といわせた在外米軍基地「普天間飛行場」の廃棄の問題をどう処理するのか、そしてオバマ政権の時代に、日米関係の、現在から将来へとわたるビジョンと、それに対応した在日米軍の有様とを、どのように見直し、何を、どのように世界と共有していくのか。

 沖縄タイムス社説は、今回の米軍再編見直し協議の経緯の枠組みを、以下のように整理する。
1)米国側は、18〜19年度に普天間飛行場滑走路の大幅な改修工事を実施する計画であることを明らかにした。
2)公式には辺野古案を堅持しつつ、今後も普天間を使い続けるという虫のいい話だ。
3)嘉手納基地より南の施設を、普天間の辺野古移設と関係なく先行的に返還するのはいい。だが、肝心の普天間返還が遠のくことになれば、本末転倒である。
4)世界で最も危険だと言われる普天間飛行場の一日も早い返還こそ問題の原点である。

 こう考えてきた段階で、冒頭のNHKニュースの文面のなかで気になってくる箇所がある。再編計画の見直しの共同文書を25日にも、日米両政府で発表することを確認したというわけだが、上記NHKニュースの、5)<これを受けてパネッタ長官が、今回の合意を高く評価する考えを示した>の箇所だ。

 この<パネッタ長官が、今回の合意を高く評価する考えを示した>の意味はいったいどういうことなのだろう。ニュースはパネッタ長官の評価の後に続いて、それに対し、6)田中大臣は「この合意に従って、日米の良好な関係を築いていきたい」と述べた、と続く。こうした表現からは、皇帝様にひれふす地方豪族のようなやりとりを、私などは思い浮かべてしまう。私の中の固定観念か何かが、このニュースのこの部分をそう読ませてしまうのだろうか。それにしても違和感が残る。
 日本の報道姿勢の中に、こうした時代がかった意味不明のフレーズや、床にひれ伏さんばかりの奇妙な外交姿勢の名残を残していること自体、信じがたいことではあるが、それを社内(あるいは電波や予算を牛耳るお上)の伝統、引継ぎ事項、習慣、あるいは出世・昇進のための処世術や必要悪などとして許容し続けるのであれば、たとえばかつての「高度経済成長時代」にかわる、「高度情報文化発展時代」を迎えることなど、夢のまた夢となって遠のいてしまうだけだろう。

 ところで、田中防衛大臣に対する問責決議騒動について、河北新報は18日付社説「問責決議案/政局栄えて審議しぼむでは」で、以下のように指摘している。

1)田中氏は米軍普天間飛行場移設問題や、北朝鮮の「衛星」発射答弁で迷走を繰り返し、野党から厳しい追及を受けてきた。閣僚としての適格性に疑問符が付く。
2)専門知識を重視するなら、官僚を大臣に起用すればいいだけの話だ。田中氏が心もとないのは知識うんぬんより、国会議員を四半世紀にわたって務めながら「定見」が一向に見えてこないことではないか。
3)野田佳彦首相の任命責任が問われる。不適切な言動で問責議決を受けた前任者の後継者として、ミスキャストは許されなかったはずだ。
4)消費税増税関連法案をはじめ重要法案山積の今、問責が可決されても野田首相が閣僚を交代させないケースも想定できる。
5)これに反発して審議拒否を続ければ、今度は世論の反発が避けられない。自民党はそのリスクを承知で勝負をかけるつもりか。問責の応酬、乱発が政治劣化を招く。

 自民党は、参院で問責決議を受けた前田国土交通大臣と田中防衛大臣が交代しないかぎり、国会審議には原則応じられないとしていたが、その方針を事実上転換というかいったん撤回した。これをうけて自民党の審議拒否姿勢に距離をとっていた公明党が24日夜、「これから自民党と歩調を合わせて、充実した審議に臨んでいきたい」(公明党・山口代表、NHK)と姿勢を軟化、しかし自民党内部では早々たる態度転換に異論が噴出、そこでとりあえず、27日の審議入りを目指す民主党に対して、自公両党は大型連休前の審議入りには応じない、という姿勢をとることに決めたようだ。

 ことほどさように、政治の劣化は民主党に限らず、著しい。3・11を経て、いよいよ日本の未来を決める重大な分岐点が訪れている。にもかかわらず、民主、自民の有様はこの体たらくだ。なんとかならないものか、それも早急に。

 いずれの国会議員も、その実施時期は別として、当然総選挙を視野に入れ始めている。
 そのせいもあってか、メディアなどの論調を過敏なほどに意識した政治姿勢、政治家の姿勢が際立ってきているように思えてならない。しかしながらマスメディアのほうも全般的にみると、どうもいま一つ劣化がおさまっていない気がしてならない。

 たとえば田中防衛大臣に対する問責決議騒動では、北朝鮮の「衛星」発射の対応が決議案提出のきっかけとなったわけだが、その北朝鮮の「発射」問題をめぐるメディアの姿勢はどうだったか。それを問い詰めようとした野党・自民党のほうの問題意識はどうだったか。政府の危機管理の稚拙さをあげつらうだけの、偏頗な独りよがりだけが目立っていなかったか。河北新報はそれを、「問責の応酬、乱発が政治劣化を招く」と見事に指摘してみせたが、メディアの「劣化」のほうはどうだろうか。

 政治の劣化を、政治家だけの劣化として放置するわけにはいかない。当然のことだが、それは政治家や公権力とのメディアの癒着や共生の実態だけを問題にすればそれで十分というわけではない。その国のメディアの有様を結果的に決めているのは国民であるが、メディアの劣化を飛ばして、政治の劣化をそのまま国民の責任として課すことはできまい。つぶさにメディアをチェックしていけば、日々、優れたジャーナリズム活動はいくつも散見される。しかしメディア総体を概観した場合、メディアが社会で果たすべき役割や機能、ひいては存在価値そのものを問わねばならないほど、マスメディアの劣化は目を覆うばかりになっていないだろうか。
 それは広告収入や事業収入、あるいは視聴率の全般的な低下として表れている数値・指標だけに目を奪われていては、到底取り戻すことも、再構築することもできないほどに、マスメディアの立脚点、存在基盤そのものと直結した課題なのである。

 北朝鮮の「発射」問題をめぐって創出された日本の政治と情報環境のありようは、いまの日本が陥っている深刻な袋小路を、そのままさらけ出したもののように感じているのは私ばかりではないだろう。

 日米両政府は本日(25日)午後、在日米軍再編計画見直しの中間報告となる共同文書を発表する、と報じられている。次回は、この問題とあわせて、北朝鮮の「衛星」発射問題も振り返りながら、政治とメディアのありようについてもう少し検討を加えてみることにしよう。

(つづく)

(こわし・じゅんぞう/日本ジャーナリスト会議会員)
@junzo_kowashi


日米防衛相 再編見直しを確認(NHK24日)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120424/k10014664251000.html
[米軍再編見直し]「普天間返還」が原点だ(沖縄タイムス24日)
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-04-24_32889/
グアム移転費 同盟の対価として妥当か(西日本新聞21日)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/298397
問責決議案/政局栄えて審議しぼむでは(河北新報18日)
http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2012/04/20120418s01.htm

posted by JCJ at 12:52 | TrackBack(0) | 政治・国際情勢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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