2012年09月23日

地方紙は民意を繋ぐ回路 全国紙にはない可能性と存在意義=清水真

 近頃参加するどのシンポジウムでも、例外なく聴衆からメディア不信の声が上がる。筆者は首都圏に住むので、聞こえる批判の矛先は主に全国紙である。不信の声は諦めで終わる。
 新聞の発行部数減の原因を、インターネットの無料情報を好む読者に帰する発言を、新聞人の編集・営業を問わず、世代を問わず、度々耳にする。福島第一原子力発電所の事故以降、新聞報道に寄せられる期待と現実との乖離への不満を感知できないでいるとしたら、読者は、新聞を向こう側の遠い存在≠ニみなすのも、当然かもしれない。それでも本稿では、より読者に近い立場からの報道を続ける地方紙に光を見出したい。
 日本全体では全国紙が総発行部数の5割以上を占め、同時に県レベルでは地方紙がシェアの多くを占める、いわゆる「二重の寡占」の構図によって、地方発のニュースは、県境で遮断されて中央に届かなかったり、東京を経由する過程で紙面から弾かれたりする。
 地方の諸問題はいつも、東京との対峙関係で語られ、民意は地域に押し込められて断片化される。
 民意を繋ぐ回路が必要である。そこに地方紙の存在意義がある。
 新聞製作が完全にデジタル化され、記事や写真を遠方に送る事は容易になった。地方紙は近年、この技術発展を活用して、報道の可能性を広げている。
 熊本日日新聞が沖縄タイムスの連載「挑まれる沖縄戦/『集団自決』問題キャンペーン」を、中日新聞が熊本日日新聞の「検証・ハンセン病史」を転載したように、現場との距離感を同じくする地方紙による「記事交換」は、地域に共生する当事者としての目線を育む。さらに、沖縄タイムス・神奈川新聞・長崎新聞の3紙が共同して日米安保改定50年という一つのテーマを取材した「合同記事製作」は、各地域で発生する諸問題が同根であることを暴きだしている。
 また、沖縄県二紙のワシントン特派員が、全国メディアを凌駕する多様な情報源への取材を通じて行う報道は、地方と国が真っ向から立場を異にした際に、地方が代替的な道を探していくための情報を、取材の原点に立ち返って示している(地方紙の報道活動について、近刊『日本の現場 地方紙で読む 2012』(旬報社)を参照されたい)。
 ただ多様な報道活動の一方で、読者との関係構築が遅れている。2000年代の最初の10年には、速報機能と双方向機能に長けたインターネットを活用して、特に地方各紙がユニークなニュース・サイトを展開していた。この動きは新たなジャーナリズムを追求するものであったが、すでにすっかり影を潜め、いまSNSをはじめとするインターネット技術は、各紙が読者の囲い込みを図る手段となっている。
 しかし同じ技術を使っていても、読者の囲い込みと双方向関係の構築とは全く異なる。ニュース・サイト黎明期に関わった新聞人が目指していたのは、双方向関係の構築を読者の信頼獲得へと繋げていく、まさに民意を汲み上げる回路であった。
 それでも新たな萌芽として、河北新報・寺島英弥編集委員が同紙SNS内で展開するブログ「余震の中で新聞を作る」にみられる読者と記者の誠実な対話を挙げることができる。
 また東京新聞「応答室だより」は、従来の読者対応の域を越えた動きを示している。大飯原発再稼働抗議デモ不掲載に関する読者の疑義に、取材体制の不備を率直に説明したり、読者からの支援の声と記者の声を繋いだり、さらには読者と読者を繋いだりする。
 読者の信頼を獲得した双方向的な回路は、紙面にも新たな風をもたらしている。(昭和女子大学准教授)

(JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2012年9月25日号)

posted by JCJ at 13:23 | TrackBack(0) | 政治・国際情勢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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