2012年12月02日

【映画の鏡】冷厳だが非人間的な法と検察を問題視 再び法に挑戦した周防監督『終(つい)の信託』=木寺清美

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深い友人関係内での命の信託は不許可?
  『Shall we ダンス?』や『それでもボクはやっていない』などで知られる、周防正行監督の新作である。周防監督は、『それでも〜』で、痴漢行為と言うものが、一度疑われると、なかなか無実を証明できないとう司法の不備を描き、司法批判を試みたが、今回は、患者と医師の強い信頼の絆がある中での、善意に試みられた安楽死が、殺人罪になるという問題を、真正面からリアリズムで描き、再び司法の不備に挑戦した。描かれるのは、日頃から、人生や命について語り合う、深い友人関係になっていた、主治医の女医(草刈民代)と、重度の喘息患者(役所広司)との友情関係であるが、自らの担当患者と言うよりは、理解しあう友人でもある患者が、意識が回復しない脳死状態になったとき、延命治療はしないと言う約束に従って、酸素パイプを引き抜くことも、友情の一つとして許されるのではないかと、問題提起している。つまりこの映画は、終末医療のあり方を、法律でがんじがらめにした上に、一律の物理的条件以外は認めないという司法の判断を、批判しようとしている。そしてそのことに執着する、検事検察の非人間性をも暴いていて、終盤に展開される取調べシーンの、すさまじい迫力は見ごたえがあり、冷たい検事役の、大沢たかおの演技も秀逸である。



時日が経って、突然呼び出された女医

  問題となった安楽死から、時日が経ち、事件性があると判断した検察が、女医の折井綾乃を、東京地方検察庁に呼び出すところから、映画は始まる。なんとなく陰湿な権威主義を感じる正門をくぐり、呼出状を見せると、つっけんどんな守衛の応対で、入庁者の署名捺印をさせられ、「ああ塚原検事のところね」と、取調室の在りかを教えられる。取調室のドアをノックすると、若い事務官が現れ、「少しお待ちください」と、薄暗い前室のソファを案内される。冷たい硬いソファで、しばし待っても、誰も現れず、物音一つしない。  奥の部屋では、「来られました」という事務官の報告を、大きな権威主義的な机に座って、腕組みをしている塚原検事が聞いているが、「暫く待たせておけ」と言ったまま、動こうとせず、「昼メシを先に済ませよう」と言って事務官も誘い、裏ドアから出て行ってしまう。手持ち無沙汰の女医は、待たせられた長い時間の中で、「なぜ呼び出されるようなことになったのか」と自問し、安楽死の顛末を、思い出す形で、ドラマが語られていく。

意識なく呼吸するだけになり管を抜くが

  入退院をくりかえすたびに、症状が重くなっていった、重度喘息患江木泰三と、主治医の女医折井綾乃は、江木が暫く帰宅を許されていたときに、江木の自宅近くの海辺を散歩し、もう死期を知った江木から、女医は、延命治療はせず、最期のときは早く楽にさせてほしいという希望を聞かされる。そして二人は、それまで築いてきた強い信頼関係の中で、これまで生きたきた人生や、医者の役目などについて語り合い、「考える葦」としての役目を果たせなくなった時の、人間の命の無意味さを、深い友情の絆の中で確認しあう。そしてそのときは来た。
 「臨終近し」として呼んだ家族に囲まれながら、江木はもう長く意識がなく、ただ呼吸だけをする物体として横たわっていた。折井綾乃は、「もうできるだけ早く、安らかにしてあげた方がいいときが、やってきたと思いますが・・」と、江木の妻に話しかけ、「もうそれ以外に手段がないなら」という妻の同意を取りつけて、口から挿入してあった、酸素パイプの管を抜いた。
 その瞬間、綾乃の予想にも反して、江木はカッと目を見開き、数十秒間激しくむせ、綾乃も慌てて、逆の蘇生措置をとるほどだった。しかしやがて発作は収まり、こと切れた。予想外の展開に妻も驚き、「管を抜くのが早かったのではないか。ひょっとすると意識が回復したかも」と思うようになる。この措置は、病院内の同僚の医師たちの間でも、多少問題になるが、結局は止むを得ない処置として処理された。家族も一応納得したが、葬儀などを終えた後、家族は警察に相談した。

大沢たかおの熱演で描く検察の非情

  こうして数ヵ月後、検察は動き、折井綾乃は、呼び出されたのだった。塚原検事の追及は、言葉は丁寧だが、非常に冷酷なもので、「延命措置の中止は、口約束だけで、本人や家族が書いた、文書による依頼はなかった」「確かに呼吸するだけの症状になっていたが、酸素を送れば自立呼吸をしており、人工呼吸器は取り付けてなかった」などの不利な事実を、強引に認めさせられ、深い友情関係などと言うものは、あいまいな感情レベルのことに過ぎないと排斥され、「治療疲れで、医療を放棄したかったのだろう。医師の義務違反だ!」と大声で決めつけられる。そして、事実だけが書いてあるのだから同意しろと、調書にサインを強要されてしまう。サインを終えると、殺人罪で逮捕と、既に作ってあった令状を見せられ、有無を言わせず、収監されてしまう。この検察の、既定のコースを突っ走る取調べの怖さは、実によく描かれており、証拠隠滅とか、自白の強要とか、見込み捜査で逮捕起訴とかといった、最近多く報道される検察の非道が、まざまざと思い出されていく。取調べの全面録音といった問題までが、浮上しているが、ここでも検察の都合のいいように法律を運用し、冷酷非情に罪を作っていく様が、大沢たかおの、今年の「助演男優賞もの」とも言える熱演で、見事に描かれている。

周防正行の「司法もの」映画の傑作

  かくしてこの映画は、善意とか、友情の発露とかといった概念は、法にはなじまないものとして、時には非道に、人間をおとしめる材料にするのが、検察であると言うことを、明確に主張する映画として、記憶されるべき成果を挙げており、周防監督の『それでも私はやっていない』に続く、「司法もの」映画の傑作となった。法律家作家である朔立木(さくたつき)の原作小説を読んだ周防監督が、「膝を打って映画化に邁進した」という情熱を、見事に結実させたと言える。
 ただし、前半部分で描かれる、女性関係にルーズな、インモラルな同僚医師(浅野忠信)に、結婚願望の独身女性として登場した綾乃が近づき、だまされて捨てられ、その結果、医道に邁進する決意をして、担当患者との友情を築くという展開の部分は、いささかメロドラマ的で,同僚医師の人物像も充分に描かれておらず、浅野忠信も演じにくそうであった。この映画の唯一の欠点部分であり、なくても良かったエピソードである。
(上映時間2時間24分)
写真提供:(C)2012 フジテレビジョン、東宝、アルタミラピクチャーズ

全国主要都市東宝系劇場、各地のシネコンで一斉上映中
◆配給社 東宝株式会社 03−3591−3511

《公式サイト》http://www.tsuino-shintaku.jp

 

posted by JCJ at 14:54 | TrackBack(0) | 映画の鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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