2013年02月04日

【映画の鏡】「ひまわり」 沖縄は忘れない あの日の空を=今井 潤

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ストーリー

2004年8月13日、激しい爆音とともに米軍のヘリが沖縄国際大学へ墜落し た。事故現場を見た山城良太は、4 5年前の石川市の空を思いだしていた。良太は宮森小学校6年生で仲良しの子ら と元気に遊びまわっていた。良太の クラスに宮城広子が転校してきた。良太の心は華やいだ。青い空の下で沖縄の 人々は一生懸命に生きていた。195 9年6月30日、突然、米軍のジェット戦闘機が炎上しながら民家と小学校へ激 突した。悲鳴を上げながら逃げまど う子供たち、良太は広子を助けようとしたがすでに息絶えていた。それから53 年目の2012年、年老いた良太は 妻を失い、娘の家で暮らしていた。孫である大学生の琉一はゼミ仲間とともに宮 森小ジェット戦闘機墜落事件のレポ ート活動を始めるが、宮森事件の傷跡は今も深く遺族の心を苦しめている。琉一 たちは、基地と平和を考えるピース フルコンサートの開催を決意する。さまざまな困難に直面しながらも、コンサー トは良太の参加をも得て成功裏に終 わる。逆境を跳ね返して咲く「ひまわり」の美しさへ思いをはせながら、琉一た ちは平和への決意を新たにする。


宮森小学校の米軍戦闘機墜落事故について
米軍の地上戦の終結宣言から14年後の1959年6月30日、午後10時40 分頃、嘉手納飛行場を離陸した米軍 ジェット戦闘機が突然、石川市6区5班、8班(現うるま市石川松島区)、そし て宮森小学校に墜落炎上した。(後 に整備不良だった事が判明)一瞬のうちに学童11名、近隣住民6名、(さらに 事故の後遺症で1名)の尊い命が奪 われ、210名の重軽傷者を出す大惨事となった。県民4人に1人が犠牲となっ た沖縄地上戦、悪夢のような地獄の 戦場を逃れて命拾いをした父と母が戦争のない戦争のない平和な時代を迎え、そ れぞれの家庭で希望の星として誕生 した子供たち、明るい未来が約束されていたにもかかわらず、突然奪われた18 名に命、その無念さを考えるとき決 して風化させてはいけない事故なのだ。

沖縄国際大学のヘリ墜落事故に ついて< br>
2004年8月13日、米軍のヘリが沖縄国際大学に墜落、負傷者は出なかった が、1972年に沖縄が日本に復帰 後初の事故となった。墜落後、米軍が日本の警察などをシャットアウトしたの で、沖縄の住民の反発をよび、日米地 位協定の壁が厚いことが明確になった。翌2005年に行われた抗議集会は、 1995年の米軍による少女暴行事件 への抗議集会(10万人)に次ぐ規模となった。



この映画が訴えていること 2013年1月27日沖縄県の全市町村の首長らが上京し、オスプレイの配備計 画の撤回を要請した。しかし、本土 の県議会でオスプレイ配備計画反対の決議をしたのは5県にとどまっていて、沖 縄の痛みは本土には届いていない。 この映画は沖縄復帰40年作品として企画され、沖縄県映画センターが製作とし て加わり、代表の本村初枝がプロデ ューサーを担った。沖縄では、製作を成功させる沖縄県民の会が発足し、県民総 意の映画製作支援の活動が旺盛に展 開された。また、製作運動は全国でも展開され、うねりが広がっている。主人公 山城良太には、誠実で思慮深く渋み のある演技で定評ある長塚京三が沖縄の悲劇に挑む。沖縄の基地問題で苦しむ女 子大生の城間加奈を演じるのは、2 013年4月より放映されるNHKの朝ドラのヒロインに抜擢された人気沸騰中 の能年玲奈が演じる。また、本土と 沖縄のベテランの映画、演劇人が多数出演している。監督は新進気鋭の及川義弘 が担当する。撮影監督は「お葬式」 「マルサの女」等伊丹十三作品を多数手がけた前田米造が担当。企画・製作は 「アンダンテ稲の旋律」の桂壮三郎が 担当している。今日まで、日米両政府は沖縄に多大な基地を押し付け、県民へ犠 牲を強いている、最近も米兵による 犯罪が後を絶たない。なぜ沖縄から基地がなくならないのか、これは沖縄だけで なく、平和憲法を持つ日本の問題で もある。今回の映画製作は基地沖縄の現実を描く入魂作である。

(上映時間1時間50分)
東 京 新宿武蔵館 1月26日〜上映
大 阪 梅田ガーデンシネマ 2月9日〜上映
全国順次公開

《公式サイト》 http://www.ggvp.net/himawari/index.html

posted by JCJ at 20:57 | TrackBack(0) | 映画の鏡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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