2015年04月01日

コメンテーターはテレビ局の飼い犬でいいのか――古賀茂明氏発言の問いかけるもの=吉竹幸則

 テレビ朝日の「報道ステーション」。元経済産業省官僚で、コメンテーターの古賀茂明氏とキャスター古舘伊知郎氏の発言が論議を呼んでいる。「バトル」などと面白おかしく記事にしたり、ジャーナリストの中にも、古賀氏の行動を「私怨」と批判する人もいる。しかし、コメンテーターは権力に弱腰のテレビ局のシナリオ・意向に沿って発言する飼い犬でいいのか。言論・報道の自由の根幹にかかわる問題なのだ。
 3月27日の報ステ。古賀氏は中東情勢に関しコメントを求められると、「ちょっとその話をする前に」と古舘氏の発言を遮り、「テレビ朝日や古舘氏事務所のトップの意向だ」として、「(出演は)今日が最後」と話し始めた。

 「菅官房長官をはじめ官邸の皆さんにはものすごいバッシングを受けてきました」
 「私が言いたかったのは、言いたいことはそのまま自然に言おうということ。裏で色々圧力をかけたり、官邸から電話をかけてなんだかんだと言うのはやめていただきたい」

 降板の裏に政権の意向があったのではないかと臭わせ始めた。古舘氏は、「今の話は承伏できません」、「番組で川内原発の指摘や、辺野古問題も取り上げてきたじゃないですか」と反論。古賀氏も「それをつくってきたチーフプロデューサーが更迭されます」と応戦、古舘氏が「更迭ではない」と否定する場面もあった。

 古賀氏降板を巡るウワサは、今年初めから週刊誌などで取り上げられてきた。「イスラム国」人質事件での安倍首相の対応について「I am not Abe」と批判したことや、昨年12月の総選挙報道で番組スタッフが「特定政党を批判する発言を控えてほしい」と申し入れたことに古賀氏が反発したことなどが背景とされてきた。 もちろん、事の真偽は当事者でないと分からない点は多い。しかし、昨年の総選挙では「中立報道」を名目に、安倍政権がテレビ局に圧力をかけ続けたことは、よく知られている。テレビ局幹部は放送法、電波の許認可権で政治家・官僚で縛られ、もともと国家権力に弱腰だ。スポンサーの圧力もある。あり得ない話ではないだろう。
 もし、権力の意向を汲んだテレビ局幹部の判断でコメンテーターの降板が左右されたのが事実とするなら、権力を監視し、批判する側のコメンテーターの意見は人々に伝わらない。言論・報道の自由、ひいては国民の「知る権利」にとってもあってはならない大問題なのだ。

 しかし、よくテレビに出演するジャーナリストやコメンテーターの中にも、古賀氏の行動に対して批判的意見を表明する人がいるのはどういうことだろう。例えばツイッターで江川紹子氏はこうつぶやく。
 「公共の電波で自分の見解を伝えるという貴重な機会を、個人的な恨みの吐露に使っている人を見ると、なんとももったいないことをするのか…と思う」 古賀氏が報ステで語ったことが、どうして「個人的な恨みの吐露」になるのか。降板の裏に権力の意向が働いていたとしたら、「個人的」ではなく「社会的」に許しておける問題ではない。
 だから古賀氏は「公共の電波で自分の見解を伝える」「貴重な機会」を利用した。こんな機会を利用しないことの方が、「なんとももったいないこと」なのだ。江川氏は、「公共の電波」を持つテレビ局側の意向に沿うことで「自分の見解を伝える貴重な機会」を得て、許容される範囲で発言するのがコメンテーターの役割とでも考えているのだろうか。
 江川氏には、真意はそうでなく、私の「邪推・曲解」との反論があるかも知れない。私もそうあって欲しいと思う。ただ、長年テレビ関係者と付き合ううち、知らず知らずのうちにジャーナリストになった原点を忘れ、「上から目線」になっている面はないのか。心の片隅に少しでも残っているなら、結局、コメントの「自主規制」につながり、権力の思う壺なのである。

 江川氏は従軍慰安婦、原発報道でバッシングを受けた朝日新聞の「信頼回復と再生のための委員会」の委員も引き受け、提言をまとめている。
私は朝日記者時代、当たり前に報道するべき記事を止められ幹部と闘った経験から、この誤報問題について「朝日は派閥官僚体質の病根を絶て」(2014年11月17日)で詳しく書いた。
 誤報で権力側からバッシングを受けるスキを作ったのは、長年の派閥官僚体質で、人々の「知る権利」に応えることにも、誤報に対する責任を取ることにも真剣さを欠き、「権力監視」との建前と裏腹に権力との間の緊張感を失ったことが、根本的な原因だ。
 しかし、委員会ではこんな幹部の体質、責任にほとんど触れることなく、「読者との対話」を改革案の中心に据え、お茶を濁した。委員会での詳しい審議内容は私たちOBにもほとんど知らされていない。委員は江川氏一人でないにしても、もし、委員を委嘱した経営側の意向に沿う範囲内でしか提言をまとめないと江川氏が考えていて、それが改革提言にも反映していたとするなら、今回の古賀問題の発言も含め、私は江川氏のジャーナリストとしての資質を根底から疑う。

 それぞれの深い学識・経験、「良心の自由」に基づいて、コメンテーターが「自分の見解」を真剣に伝えてこそ、その言葉が視聴者の心に響く。採用してくれたテレビ局側の顔色・ご機嫌をうかがい、何某かの報酬を得る。そんなコメンテーターの打算に基づくへっぴり腰発言など、視聴者が求めるものではないはずだ。
 竹田圭吾氏も「古賀茂明という人はテレビで発言する機会を与えられていることの責任と義務をまったく理解していない」と書き込んでいる。私は古賀氏発言を「テレビで発言する」「責任と義務」に基づいたものだと考える。むしろ竹田氏が「責任と義務」についてどう考えているかを伺いたい。 テレビに登場するコメンテーターの中には、よく注意して見ると、出演する局によって発言の色合いを微妙に変えている人もいる。この人たちの意識は所詮この程度と考えると、私には妙に納得も出来る面もある。
 ただ、古賀氏は憲法に定める「国民に奉仕するのが官僚」との意味で、利権体質にどっぷりつかった他の官僚よりはるかに本物であった。ジャーナリストとしての古賀氏も、憲法の定めの「国民の『知る権利』への奉仕者」という意味で、この程度のジャーナリストに比べ、はるかに本物であることだけは間違いない。

 テレ朝も大株主の朝日新聞も、これまで国の審議会制度と参加する学者、知識人に対して厳しい批判を重ねて来た。論点は、「政府・官僚によって審議会委員に任命されると、多額の報酬も名声も得られる。官僚からもちやほやされ、引き続き選ばれたいと思い、委員は官庁に煙たい発言はだんだんしなくなって取り込まれる。結局、審議会は役所にとって都合のいい代弁機関となり、国民が求めるチェック機関の役割が働かない」と言うものだった。
 前述の通り、テレビ局経営者は様々な尻尾を官庁に握られ、権力に弱い体質を宿命的に持っている。権力側からあれこれ報道に注文もつけられる。局の意向に沿う人物はちやほやし、古賀氏のように伝えても受け入れないコメンテーターがいると、次々は外していけば結局、権力に言いなりのテレビ経営者、その経営者の言いなりになるコメンテーターしか残らない。行き着くところは権力監視どころか、権力翼賛報道のオンパレードだ。
 テレ朝は自分たちの報道、組織のあり様が、国の審議会の二の舞になってもいいと考えているのか。自ら発した言葉に責任を持つのが、最低限の報道機関・ジャーナリスト倫理だ。なら、ダブルスタンダード・二枚舌は許されない。国の審議会に発した批判は、自分たちに返ってくる。

 テレ朝広報部は「古賀氏の個人的な意見や放送中に一部、事実に基づかないコメントがされたことについて、承服できない。番組に一部、混乱がみられたことについて、視聴者の皆様におわび申し上げます」「そもそも古賀氏は専門分野の1人。降板ということではない」とコメント。古舘氏は「古賀さんのお考えは尊重し続けるつもりですが、一部承服できない点もある。私は真剣に真摯にニュースに向き合っていきたい」とする。しかし、多くの視聴者から疑問が出ていることに、両者は正面から今のところ答えていない。

 古賀氏は、古舘氏との会話について、「全部録音させていただきました。そこまで言われるなら出させていただきます」と話し、今後もテレ朝と闘う覚悟だ。もちろん、古賀氏の誤解の可能性もないとは言えない。でも、「誤解」と言うなら、それを解く説明責任はテレ朝側にある。
 古賀氏降板に政府・官邸側の何らかの介入・圧力があったか否か。テレ朝がジャーナリズム、古舘氏がジャーナリストを自認するなら、報道に対し今後の権力側の介入を防ぐためにも、うやむやは許されない。今回の事実関係を包み隠さず、すべてを調査し、視聴者に明らかにすることが第1歩だ。
 戦前の報道弾圧社会が安倍政権の出現で、すでに現実のものになっている。しかし、ジャーナリズムの組織、ジャーナリストはその危機感があまりにも乏しい。その鈍感さを長くジャーナリストとして活動してきた人ではなく、元官僚の古賀氏が勇気ある発言で警鐘を鳴らした。
 報ステ人事に安倍政権側からの圧力があったのか、なかったのか。「火のないところに煙は立たず」とのことわざもある。週刊誌報道などで、様々な憶測が出ているなら、視聴者の心配に答え言論・報道の自由を守るためにも、その真相を一番よく知るはずのテレ朝関係者が、何故、古賀氏の前に明らかにしなかったのか。何より、私はそれを憂え、一層危機感を持つ所以でもある。

(フリージャーナリスト・元朝日新聞記者、秘密保護法違憲訴訟原告)


posted by JCJ at 11:15 | TrackBack(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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