2015年06月11日

政府の「安保法案・合憲」見解にみる論理破綻と安倍自公政権の「憲法違反体質」の根深さ

▽日弁連会長「そもそも合憲なのか違憲なのか、原点に立ち返ったのは好ましい」

 信濃毎日新聞によると、日弁連村越進会長が10日、国会で審議中の安全保障関連法案に反対するため、全国52の弁護士会の会長がそれぞれの地元選出国会議員に法案廃案を訴える一斉要請を19日に行うと明らかにした。
 村越会長は「弁護士会は会員それぞれの政治的信条を超えて、立憲主義を守る法律団体として法案は違憲だと考えている」と強調。衆院憲法審査会で自民党推薦を含む憲法学者3人が関連法案を「違憲」と明言した意味は重いとし、「その法案が国会多数の賛成で通ってしまうことになれば最高法規としての憲法の意義が失われる。法治国家として危うい」としている。
(JCJふらっしゅ「ニュースの検証」=小鷲順造)


 村越氏は、憲法審査会での憲法学者の発言をきっかけに、各論に入りつつあった国会審議が「そもそも合憲なのか違憲なのか、原点に立ち返ったのは好ましい」とし、「さらに議論が深まることを期待したい」と述べているが、同感である。
 日弁連は18、19日に都内で理事会を開いたうえで、安全保障関連法案について初の反対の国会議員要請を行うという。
 各所でのこうした取り組みが、大きく実を結んでいく時代としたい。
 なお政府・与党は、首相の安倍氏と自民党の谷垣幹事長が10日に会談し、会期を延長して安全保障関連法案の成立をめざす方針を改めて確認している。報道によると盆前の8月10日までの延長を軸に検討するが、それ以上の延長になる可能性も指摘されている。

安保法案「法治国家として危うい」 日弁連、19日に反対要請(信濃毎日新聞11日)
http://www.shinmai.co.jp/news/20150611/KT150610ATI090029000.php
派遣法改正案、成立へ 働き手代えれば無期限可能に(朝日新聞11日)
http://www.asahi.com/articles/ASH6B5H2DH6BUTFK00V.html


▽文民統制弱体化と武器輸出の司令塔的な役割

 10日の参院本会議で、自民、公明、維新各党などの賛成多数で改正防衛省設置法が可決、成立した。防衛省の内部部局(内局)の背広組と呼ばれる官僚(文官)が、制服組自衛官より優位とする規定の変更を柱とする内容だ。本会議では、民主、共産両党が「政治が軍事に優先する文民統制(シビリアンコントロール)が弱体化する恐れがある」として懸念を示した。(→東京新聞)
 改正法では、官房長や局長は、各幕僚長らと「相まって」防衛相を補佐するとして対等の関係に。制服組が、部隊運用などで背広組を通さずに防衛相とやりとりできるようになった。(同)

 改正防衛省設置法には、それ以外の問題も潜んでいそうだ。
 東京新聞によると、
1)改正防衛省設置法では、内局の運用企画局を廃止し、業務を制服組の統合幕僚監部に一元化することも盛り込まれた。
2)内局主体だった自衛隊の部隊運用は、制服組主体に変更。陸海空の自衛隊の運用を一体的にするとともに、在日米軍との調整を円滑化させる狙いがあるとみられる。
3)同法には、防衛装備品の研究開発や輸出を担う外局「防衛装備庁」(仮称)新設も盛り込まれた。武器輸出や他国との共同開発を原則解禁した「防衛装備移転三原則」(昨年四月に閣議決定)を受けた組織で、現在の防衛省経理装備局の一部や、陸海空自衛隊の関連部門などを統合し、計1800人体制とする。
4)国内の防衛企業の海外戦略を支援したり、他国との交渉窓口も担ったりするなど、武器輸出の司令塔的な役割を担う。今年10月にも発足する予定だ。

 <制服組が、部隊運用などで背広組を通さずに防衛相とやりとりできる>ようにする法律と、新設するとされる「防衛装備庁」(仮称)=防衛装備品の研究開発や輸出を担う外局のからみというか、仕組みの狙いを浮き彫りにする大事な記事といえるだろう。
 政府が昨年4月に閣議決定した「防衛装備移転三原則」は、A.武器を輸出した相手国が日本の事前同意なしに第三国へ再輸出したり、B.目的外使用したりする懸念が指摘されており、C.日本が輸出した武器が、紛争地域で使われる危険性を高めるとの指摘が出ているが、政府・与党は「安保法案」だけでなく、それに付随しその具体化を推進するための、こうした具体的な動きを積み重ねてきていることに留意しておく必要があるだろう。
 政府・与党は「安保法案」に関連して、<環境の変化>をことさらに強調し、日本国憲法の枠組みを破る<抑止力>の強化・建て直しの必要を執拗に煽っている。そこには、軍拡競争に陥る<抑止力のジレンマ>を警戒する論理は存在しない。
 その理由のひとつに、<武器輸出や他国との共同開発>を経済政策の柱に育て上げようとする<アベノミクス>の思惑が働いていることも忘れるわけにはいかないだろう。

部隊運用 制服組主体に 武器輸出主導「装備庁」を新設(東京新聞11日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015061102000121.html


▽憲法は国の最高法規であり、憲法に反する法律は無効

 政府は9日、<安全保障関連法案は違憲>とした憲法学者の指摘に反論し合憲とする見解をまとめ、「これまでの政府の憲法解釈との論理的整合性および法的安定性は保たれている」とした。
 これについて毎日新聞は11日付の社説<安保転換を問う 政府の反論書>で、小見出しに<やはり「違憲法案」だ><法体系の信頼揺るがす>と打って、厳しく断罪している。(下に内容を再整理しておく)

1)憲法学者3人の国会での集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法案は「憲法違反」だとの指摘は、憲法違反の疑いがある法案を数の力で強引に押し通せば、国の土台が揺らぎかねないこと、憲法は国家権力を縛るものだという立憲主義の精神にも反するという根本的な問題を改めて突きつけている。
2)政府はそれに反論し、安全保障関連法案は合憲だとする見解をまとめたが、基本的に昨年7月の閣議決定文を焼き直した内容に過ぎず、論理が通っていない。
3)1972年の政府見解が「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」としていた論理を維持したまま、安全保障環境の変化を理由にその結論を認識を改めたとし、他国への武力攻撃でも、存立危機事態など武力行使の新3要件を満たせば「わが国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として、一部、限定された場合」に集団的自衛権を行使できるとした。
4)同じ基本的論理をもとにしながら、安全保障環境が変わったからという理由で、結論を集団的自衛権の行使は「できない」から「できる」にひっくり返しているものであり、これで論理的整合性が保たれているとはとても言えない。

 そのうえで、以下を指摘し、日本国憲法98条と99条にふれる。
5)集団的自衛権行使の新3要件は基準があいまいだ。限定がかかるかどうかは時の政府の裁量による。
6)政府が、国際法上の集団的自衛権一般ではなく、限定的な集団的自衛権の行使だから認められる、と言っていることも、うのみにできない。
7)中谷防衛相は衆院の特別委員会で、将来的に安全保障環境が変われば、解釈が再変更(元に戻す)される可能性があるとの認識を示した。これも憲法をあまりに軽視する姿勢である。

8)憲法98条は、憲法は国の最高法規であって、憲法に反する法律は無効だと定めている。
9)99条は、政府や国会議員に憲法を尊重し擁護する義務を負わせている。
10)政府が憲法解釈の変更を全くしてはいけないというわけではないが、変更は決して恣意的であってはならず、過去の憲法解釈との論理的整合性が取れていなければならない。
11)そうでなければ憲法は規範性を失い、国民から信頼されなくなる。論理的整合性を超えて解釈変更が必要というのなら、憲法改正を国民に問わなければならない。

 朝日新聞は政府の<見解>について、11日付の社説<「違憲」法制 また砂川とは驚きだ>を立てて、<安倍政権が50年以上前の最高裁判決を持ち出して反論している。だが、その主張は牽強付会(けんきょうふかい)というしかない>と書き出して、政府<見解>の基本的におかしな点を、以下のようにまず指摘する。
1)政府の反論は、要は限定的な集団的自衛権の行使は最高裁が認めた自衛権の範囲内であり、問題はないというものだ。安倍首相は「今回の法整備にあたって憲法解釈の基本的論理は全く変わっていない。この基本的論理は、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にする」と語っている。
2)(だが)、59年の砂川判決は、「わが国が、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のこと」と述べているに過ぎない。裁判では日本の集団的自衛権の合憲性など問われておらず、争点は憲法9条のもと在日米軍の駐留が認められるかどうかであり、最高裁は違憲との一審判決を破棄し、日米安保条約のような高度に政治的な問題に裁判所の審査はなじまないとの判断を示しただけである。
3)現に政府が集団的自衛権の行使は認められないとの解釈を固めていったのは、判決の後のことだ。

 そのうえで社説は、この<砂川判決>をまた持ち出したことについての経緯を振り返り、疑問を投げかけ、その狙いについて言及している。
4)自民党は昨夏の閣議決定にいたる議論の中で「最高裁は個別的、集団的を区別せず自衛権を認めている」と、集団的自衛権を認める根拠に砂川判決を持ち出したが、これには公明党からも「論理の飛躍がある」との強い異論が出た。
5)そのため政府は結局、安全保障環境の変化を理由に「集団的自衛権の行使は認められない」とした72年の政府見解の結論を変更する形で閣議決定にこぎ着けた。
6)今回、政権側が砂川判決をまたも無理やり持ち出したのは、違憲かどうかを判断する権限があるのは学者ではなく、最高裁だと強調する狙いがある。

 大事な指摘だ。社説は、政権側が砂川判決を持ち出し、違憲かどうかを判断する権限があるのは学者ではなく最高裁だと強調することで、今回の憲法学者3人の国会での集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法案は「憲法違反」との指摘を軽視し、やりすごそうとする姿勢を厳しく指弾する。

7)しかし、それは学者の違憲との指摘を無視して法案を成立させていい理由にはならない。
8)日本の制度では、最高裁が合憲性を判断するのは具体的な事件に基づく訴訟が起きてからだ。なおかつ、最高裁はまさに砂川判決がそうであったように、「高度に政治的な問題」への判断は避けてきた。
9)政権側は高をくくって、最高裁を錦の御旗にしているようにも見える。
10)だからこそ国会で違憲かどうかの根本的な議論を尽くすことが重要だ。
11)政権側の理屈をやすやすと受け入れるようでは、立法府の存在意義はない。

 この社説は、政権側の反論は<最高裁を錦の御旗>にして論点をずらそうとするプロパガンダにほかならないことを浮き彫りにしているといえるだろう。

 なお、脇道にそれるが、公明党については読売新聞が、同党の山口代表が10日の党参院議員総会で、「憲法学の講義内容があまりにも現実政治とギャップがあることを残念に思った」と自身の学生時代を振り返って述べたことを伝え、<先の衆院憲法審査会で、憲法学者3人が安全保障関連法案を「憲法違反」と主張したことを暗に批判したもの>としている。記事は、<山口氏は東大法学部卒で、弁護士資格を持つ。同じく弁護士資格を有する自民党の高村正彦副総裁、谷垣幹事長、民主党の枝野幹事長らの関連法案を巡る憲法論争に「参戦」した形だ>としている。
 山口代表の「憲法学の講義内容があまりにも現実政治とギャップがあることを残念に思った」との発言の真意は不明だが、この時期の発言としては公明党の「見識」のほどの危うさを感じさせるものであり、与党として自民党と共同歩調をとり続ける同党の「腐食」の度合いのほどがいよいよ気になる記事であることを付け加えておく。

 東京新聞も11日付の社説<安保法制 説得力欠く「合憲」見解>で、1)安倍内閣が、集団的自衛権の行使容認を正当化するための論拠として再び持ち出したのが、最高裁判所が一九五九年、自衛権の行使を「国家固有の権能の行使」と認めた、いわゆる「砂川判決」だが、2)この判決では、旧日米安全保障条約に基づく米軍駐留の合憲性が問われ、日本が集団的自衛権を行使できるか否かは議論されておらず、判決も触れていないと指摘。
 そのうえで、<この判決後、岸信介首相は集団的自衛権の行使について「自国と密接な関係にある他国が侵略された場合、自国が侵害されたと同じような立場から他国に出かけて防衛することは、憲法においてできないことは当然」(60年2月10日、参院本会議)と述べていることを挙げて、<砂川判決が行使を認めた自衛権に、集団的自衛権が含まれていないことは明らか>とあらためて指摘している。

 東京新聞の社説は上記を前提に、以下のように整理して、防衛政策の検討のありようについての提言へと続ける。
3)歴代内閣はその後も、集団的自衛権を有しているのは当然だが、その行使は日本防衛のための必要最小限度の範囲を超え、許されないとの憲法解釈を堅持してきた。
4)国会や政府部内での長年の議論の積み重ねを軽んじ、一内閣だけの判断で、違憲としてきた集団的自衛権の行使を合憲と変えてしまうことが許されるはずはない。
5)自民党が衆院憲法審査会の参考人として推薦した憲法学者までもが、国権の最高機関である国会の場で、安保法制を違憲と断じた意味は重い。安倍内閣は謙虚に受け止め、一連の法案を撤回すべきではないのか。合憲と主張する憲法学者の実名をいくら並べても、国民は納得するまい。

 社説は以下の提言で締めくくっている。
6)日本を取り巻く国際情勢が変化しているというのなら、集団的自衛権の行使ありきで非現実的な事例を持ち出すのではなく、変化に即した現実的な防衛政策を検討すべきだ。
7)それが海外で武力を行使しない「専守防衛」の枠内にとどまるべきことは当然である。

 読売新聞は11日付の社説として<集団的自衛権 脅威を直視した議論が大切だ>を掲げ、<日本の平和を確保するには、憲法との整合性を前提として、現実の脅威や安全保障環境を直視した議論が大切>と書き出している。
 政府の<見解>については、以下を挙げて、<妥当な内容である>と持ち上げている。
1)1959年の最高裁の砂川事件判決は、日本の存立を全うするための自衛措置を可能とした。
2)72年の政府見解は、国民の権利を守るための武力行使を認めた。
3)今回の政府見解は、一連の「基本的な論理」が維持されると指摘した。
4)一方で、日本の安保環境の根本的な変容を理由に、他国に対する第三国の攻撃でも「我が国の存立を脅かすことも起こり得る」とし、自衛の措置としての集団的自衛権の限定行使を容認している。
5)妥当な内容である。
6)日本を取り巻く関係国のパワーバランスの変化や、軍事技術の革新的な進展、大量破壊兵器の拡散などによって他国への攻撃が日本の安全を脅かすシナリオは十分あり得る。

 読売新聞の社説は、最高裁の砂川事件判決にふれつつも、72年の政府見解と今回の政府見解の乖離については問うことなく、政府が「基本的な論理」が維持されるとしていることと、安保環境の変容を理由に、自衛の措置としての集団的自衛権の限定行使を容認するとしたことを、そのまま受け入れる形で<妥当な内容である>と評価し、A.関係国のパワーバランスの変化や、B.軍事技術の革新的な進展、C.大量破壊兵器の拡散などによって、<他国への攻撃が日本の安全を脅かすシナリオは十分あり得る>と補強する。

 さらに、解釈変更による集団的自衛権の行使容認を「違憲」とする声が民主党内に出てきたことについて、<民主党は4月にまとめた党見解で、「安倍政権が進める集団的自衛権の行使は容認しない」として、将来の行使容認に含みを残していたのではなかったのか>と揺さぶりをかけることに余念がない。
 また、<憲法学界では、自衛隊についても、伝統的な解釈に沿って「憲法が保持を禁じる『戦力』に該当する」などと主張する向きが少なくない>として、<現実の政治との乖離が指摘されるゆえんである>と書いて、自民党の高村正彦副総裁が「憲法学者の言うことを無批判にうのみにする政治家」を批判する姿勢を擁護する。

 この社説の締めは、以下のとおり。
7)中国の軍備増強や海洋進出、北朝鮮の核・ミサイル開発などを踏まえれば、憲法の範囲内で自衛隊の役割を拡大し、日米同盟と国際連携を強化して抑止力を高めるのは当然だ。
8)国会でも、そうした観点の論議を展開してほしい。

 こう見てくると、読み返してみても、これを「社説」として読もうとするこちらの姿勢に問題があるように思えてくる。論じられていることは何も無いようにしか思えないからだ。事実関係を検証しようとする跡も見出せない。この新聞にとっての<社説>とは、もはやこういう種類のものとなっているのだろうか。
 <日本を取り巻く>環境の変化をもって、ひたすら<日米同盟と国際連携を強化して抑止力を高める>必要を強調してやまない姿勢からは、<抑止力のジレンマ>についての検討も見出せない。とすると、一本調子の<抑止力強化>も<軍拡競争時代の到来>も、この新聞の期待するところなのだろうか、とその根拠やつながりのほどを疑いたくなる。その点を、産経新聞と競い合っているようにも、対象や論調を変えて共存しているようにもときどき思える。

 産経新聞は11日付社説に<憲法と安保法制 「戦争抑止」へ本質論じよ>を掲げて、<厳しさを増す安全保障環境>への注意喚起と、<実効性の高い防衛政策>の必要を訴える。
1)「憲法違反の戦争法案」か否かが大きな焦点となり、政府が防戦に追われるようなおかしな事態が生じている。
2)法案の本質は、日米共同の抑止力を強め、日本の平和や国民の安全を守ることにある。言い換えれば「戦争抑止法案」である。

 このように政府の「安全保障関連法案」を位置づけて、野党側は、A.厳しさを増す安全保障環境や実効性の高い防衛政策への考察は軽視、B.「違憲」「戦争に巻き込まれる」といったスローガンばかりで、成立阻止の攻防に持ち込もうとする姿勢は極めて問題だ、として、野党側の<違憲と決めつける議論は的外れだ>との論を試みている。
 <周辺環境の激変に応じ、砂川判決の下で新たな解釈をとろうというのが今回の安保法制だ>として、政府・与党の「安保法案は、戦争抑止法案である」とのキャッチコピーの正当化を繰り返したうえで、<占領期に作られた現憲法は、独立国の安全保障の観点からは欠陥だらけだ>と指摘して、<従来の解釈では日本を守りきれない。その危機を乗り切る法案を審議していることを、何度も丁寧に国民に訴える必要がある>との主張へと続けている。

・占領期に作られた現憲法は、独立国の安全保障の観点からは欠陥だらけだ
・従来の解釈では日本を守りきれない
・その危機を乗り切る法案を審議している

 骨子は上記にあるようだ。
 そのうえで、政府の「安全保障関連法案」は、「戦争抑止法案」というのである。
 独立国の安全保障の構築には、従来の解釈ではだめだというのであるから、専守防衛の枠も、日本国憲法第9条も受け入れられないというベースを変えることは相変わらずできないようだ。つまり、産経新聞の主張は、やはり「戦争こそ平和だ」と煽ってやまない。そのプロパガンダのトーンから抜け出ることはできないようである。

(こわし・じゅんぞう/日本ジャーナリスト会議会員)


安保転換を問う 政府の反論書(毎日新聞11日)
http://mainichi.jp/opinion/news/20150611k0000m070141000c.html
「違憲」法制 また砂川とは驚きだ(朝日新聞11日)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11801925.html
安保法制 説得力欠く「合憲」見解(東京新聞11日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015061102000160.html
集団的自衛権 脅威を直視した議論が大切だ(読売新聞11日)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20150610-OYT1T50164.html
憲法と安保法制 「戦争抑止」へ本質論じよ(産経新聞11日)
http://www.sankei.com/column/news/150611/clm1506110004-n1.html


posted by JCJ at 17:00 | TrackBack(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック