2015年07月29日

国家って何だろう?=柴田鉄治

 私は、戦う少国民を育てるためにと名前まで変えた国民学校に入学し、「お国のために命を捧げよ」という教育を受けた。事実、数多くの先輩たちが次々と「お国のために」命を捧げていったのである。
 それだけに戦後、新憲法が発布され、「国の主権者は国民である」「国民一人ひとりの基本的人権は国家といえども侵してはならない」と規定されたことを知ったとき、ああ、国家と国民の関係が逆転したのだな、と思った。

 戦前は、国家と国民の関係が常に国家が上で、国民は従わなければならないという関係だったのが、戦後は、国民が上に立ったのだ。戦争を望む国民はいないだろうから、これで戦争はなくせるぞと、戦争を放棄した9条とともに新憲法の発布にまぶしいような感慨を抱いたことを思い出す。
 ところが、いま、再び国家を国民より優位に置こうとする動きが活発になってきた。そのことを最も分かりやすく示しているのが、2012年4月に発表された自民党の憲法改正案だ。国防軍の創設だけでなく、言論の自由など国民の基本的人権に対して、すべて「公の秩序に反してはならない」と条件を付け、それを判断するのは国家だとしているのである。
 さらに、現憲法では、政府や官僚に憲法遵守の義務を課しているのに対して、自民党案では国民に遵守の義務を課しているのだ。
 安倍政権は、この改憲がすぐには難しいと考えて、憲法の解釈を変え、まず「自衛隊が海外でも武力行使できるようにしよう」と安保法案を出してきたわけだが、海外派兵にいろいろ条件を付けているとはいっても、それを判断するのはすべて国家だというのだから、危ないことおびただしい。国家が暴走しやすいことは戦前の日本を見ればわかる。
 いま世界は、多くの国家に分かれているが、そもそも国家って何だろう?
 国家がなければ、軍隊もいらないし、戦争もなくなるだろう。「国家って何だ?」と考えるとき、私はいつも北朝鮮と南極のことを思い浮かべる。
 朝鮮半島が分断され、二つの国家が生まれなかったら、朝鮮戦争もなかったろうし、すべては「お国のためだ」と国民を飢えさせても軍備に走るような「戦前の日本とそっくりな国」は出てこなかっただろう。
 もう一つの南極は、どこの国の領土でもなく、国境もなければ軍事基地もない。南極条約で各国の観測隊が仲良く協力し合っている平和の地なのだ。世界中が南極のように、一つの「地球国家」になれば、警察は必要でも、軍隊はいらない世界が生まれよう。
 国益とか愛国心とかが強調される時代だけに「国家って何だろう?」と、もう一度、根底から考え直してみたい昨今の状況だ。
(JCJ代表委員)


<JCJ機関紙購読・会員加入申込みHP>
http://jcj-daily.sakura.ne.jp/postmail/postmail.html

・「ジャーナリスト」はタブロイド判8面、毎月25日の発行です。
・年間購読料:3000円(12号分)です。
※会員の場合、機関紙購読料は会費に含まれています。(←いまなら郵送料込み)

posted by JCJ at 13:37 | TrackBack(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック