日本の産経新聞の男性記者はただした。「この記者会見場は韓国政府機関の建物だ。あなたは韓国政府を利用していることにならないか」
植民地支配からの解放を祝う光復節前日の8月13日、ソウル。元慰安婦と名乗り出た金学順さんの記事を1991年に書き、慰安婦問題否定派から攻撃されている元朝日新聞記者、植村隆さんの記者会見は、韓国と日本のジャーナリズムが戦後70年に行き着いたものの違いを見せつけた。
会見は、植村さんが韓国女性家族省の国際シンポジウム「戦時下の女性への暴力」に出席するため開かれた。同省のキムヒジョン長官のシンポジウムあいさつは象徴的だった。「加害、被害の歴史を記録するのは重要だ。だが、人類がそれを乗り越えるためにどういう努力、支援をしたのかの記録も重要だ。その主人公は皆さんだ」。
「皆さん」のど真ん中で踏ん張らなければならないのはジャーナリストだろう。だが、植村さんが非常勤講師を勤める札幌の私立北星学園大学に昨年、「捏造記者植村を解雇しないと爆破する」などと攻撃が殺到したとき、新聞・テレビは当初、報道しなかった。雑誌が取り上げ、読者が新聞社にコピーを持ち込んでも黙殺した。朝日新聞が、産経・読売などにたたかれ、火だるまになっているのを見て、逃げた。
シンポジウムで、韓国側は正義を求めた。「植村さんの問題は韓国でよく報道されてきた。地球村市民、民主主義の問題だからだ」。植村氏も訴えた。「朝日新聞は戦前、戦争に協力した。反省から戦後は戦争責任に取り組んだ。そのリベラリズムと歴史認識を嫌悪する人々が私を攻撃している」
記者会見、シンポジウムは、朝鮮日報、東亜新報など韓国の主要マスコミが大きく報道した。安倍晋三首相の戦後70年談話が不評だったのと対照的だった。
植村氏の訪韓には別の意味も込められていた。実は1991年以降、慰安婦問題の大きな記事を書いていない。「バッシングに萎縮し、距離を置いてきた」(植村氏)。昨年、北星大が脅迫され、自身への攻撃は、ハルモニへの攻撃だと悟った。今回初めて、金学順さんの墓参りをし、戦うと誓った。
冒頭の記者会見。韓国と日本の記者への答えはこうだった。
「今でも当然書く。攻撃のおかげで、多くの支援者と会えた」 「私は韓国の手先ではない」
そして締めくくった。「私の記事は捏造ではない。攻撃は慰安婦に対する冒涜だ。慰安婦の尊厳のためにも負けられない」
*JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2015年9月25日号
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